2005/02/28 |
さて。二月も終わりです。 最近また心のバランスが狂ってどうしようもなかったのですが、 そろそろそんなつまらないことは言ってられなくなりました。 遅れがちなシナリオにもっと真剣に取り組まなくては・・・。 例え、月が改まるだけにしても、 心を入れ替えるにはいいきっかけになります。 思えば心を病んでから早半年。 ほとんど人と口をきいていない事に気づきました。 放っておくと、2、3週間誰とも話さなかったこともありました。 まあ、自分からコミュニケーションをはからなかったので、 当然と言えば当然の結果だと思います。 よくよく思い返せば、今日も誰とも話していません。 そしてその間、ずっと自身が紡ぐシナリオの中にいました。 これってやっぱり異常ですよね。 元来、ずっと独りでいても平気な性質でしたが、 最近はそれに磨きがかかってしまったように感じます。 ああ、一応お断りしておくと、友人はいますよ。 でも、友人といたら何かが変わるかと言うとそれはないです。 私は幼い時から孤独と共にありましたので、 それが当たり前の状態になっています。 むしろずっと近くにいられると非常に疲れてしまう。 とか書くとちょっと誤解されそうだなあ・・・。 ええと、家庭には全く問題ないです。 素晴らしい両親と、愉快な弟達と共に、 幸せな家庭に育ちました。 だから私のこれは単純に生まれもったものです。 ただ、こんな性格ですから、今まで付き合ってきた人達には、 随分悲しい思いをさせたらしいのも事実です。 最近はちょっと諦めてしまったので、 惚れた腫れたからは意識的に遠ざかってしまっています。 一時の感情に流されちゃだめ、と自分を叱り付けています。 話が脱線してきましたが。 私は四月に実家に帰ることになりました。 以前もチラッと触れましたが、現在実家は修羅場気味なようです。 否応なく、私が積極的にならざるを得ません。 今のような状態で帰るわけにはいかないんですね。 モラトリアムはあと一月足らず。 それまでに努力してみるつもりでいます。 大分、と言うかほとんど回復していますので、 そこらへんはあんまり心配していませんけど。 あらら。なんだか今日の日記は酷いなあ・・・。 今、ちょっと読み返してみてそう思いました。 ま、たまにはこんなのもいいか。目をつぶってやってください。 なんだかどこかに吐き出したいような気分なんです。 酷いついでに今の症状が一番酷かったときのことを、 ここに書き残してしまおうと思います。 10月の終わりから、11月の終わりくらいまででしょうか。 この頃が一番酷かったと記憶しています。 その頃の記憶は途切れ途切れで、幕がかかったようでもあり、 かろうじてこの日記のログを読むことで毎日のことが分かる、 そういった状況です。 あの頃、不眠や無実感、食欲の減退、慢性的な厭世観、 暗くて黒い突発的な衝動、妄想、記憶障害などなど。 幾つかの不愉快な症状に襲われていましたが、 そんな物の中でも、一番悩まされていたのは幻聴でした。 酷かったですよ、本当に。 自分の右側。耳の近く。それも、ギリギリ死角になっている辺り。 そこで、本当にリアルに、まるで、そこにちゃんと誰かいるように、 しかし、誰のものとも知れない声が話し掛けてきていました。 本当、誰かが立って話し掛けているんじゃないかと思うほどにリアルで。 私はその声の主の姿を求めて、 独り、部屋の中で右側にくるくると回転していたりしました。 もちろん、その姿が確認できたことはありませんでしたし、 洗顔をしているときにも聞こえたときには咄嗟に鏡を見たりしましたが、 声はまだ聞こえているのにそこには誰もいませんでした。 あの声はまだ良く覚えています。 彼は、ちゃんと内容のある話をしてきました。 最初は「ああ、俺は頭がおかしくなったんだなあ」と思い、 しばらく無視を決め込んでいましたが、 彼が、私に話を聞いてほしいという旨を一生懸命に言ってくるので、 そのうちにちゃんと聞くようになっていきました。 最後の辺りは決して人に見せられないような状態でしたよ。 傍目には、誰もいない部屋で私が、 ぼそぼそと独り言を言っているようにしか見えなかったしょう。 しかも誰かと会話しているような調子で(笑) いや、でも、本当に会話していたんです、その時は。 なかなか有意義な時間だったと、今では思っています。 ちょうど12月の頭に行われたLIVEの直前くらいでしょうか。 「俺、行くわ〜。元気でやれよ」との言葉と共に、 もうその声は聞こえなくなってしまいました。 今ではちょっと寂しかったりもします。 例え病んでいたとしても、彼との対話はとても楽しかったので。 私達は控えめながら、知的な会話を楽しんでいました。 とか何とかフォローしてみた所で、 私が異常だったのはやっぱり否定できませんね。 長々と何を書いているんだか。 今だったら急にそんな声が聞こえたらきっと怯えてしまいます。 あの時は全体的にだるくて、色々なことがどうでも良くなっていたので、 あまり違和感なく受け入れてしまったのだと思います。 とはいえ、貴重な体験でした。 今思えば、ちょっと分裂症気味だったのかなあ。 まあいいや。 この話は今まで誰にもしてきませんでした。 何ででしょうね。 同時期、ある所でカウンセリングを受けてもいたのですが、 そこでも話しませんでした。 話してもしょうがないと思っていたのかもしれません。 |
2005/02/27 |
二月の終わり。時刻は午前二時半。 一人、寮の屋上でタバコをくわえながら月を見上げる。 西風が吹いていた。 まもなく、この景色も見納めになってしまう。 思えば数限りなく夜空を見上げてきた。 独りで。また、誰かと。 言葉少なに、時にウィスキーを回し飲みながら。 二月の終わりの空はいつもこんな風だったろうかと、 ぼんやり思い返したが分からなかった。 ふと地上に視線を転じる。 人の作った光は絶えず、ときに明滅し、そこにあった。 微かな勾配に沿った山間の道に、 置き忘れられたような電灯の波が見える。 人の刻んだ道。それを証明する流れ。 タバコを吸い終えてからは適当な場所に腰掛けてしばらくぼんやりした。 コートを着てこなかったので体中が余分な熱を失っていた。 頭から背中にかけて一本の濁りのない張り詰めた芯が通るような心地。 ふと、桜に会いに行きたくなった。 また、それを思った瞬間、胸に懐かしい痛みが走った。 寒さに負けて薄汚い部屋に篭り切る内にすっかりと腐ってしまっていた神経が、 やっと息を吹き返したのを感じた。 ああ、この感じは随分と久しぶりだ。 淵に積もる静かな闇が払われて言葉を失う。 冬の風はまだ去ってはいない。 そのことに感謝する。 人も音もない月の夜空の下、自分は例えようもなく個だった。 桜に会いに行きたい。 こんな月の夜には。 花が落ちるその姿があれば他に何もいらないと思えた。 でも桜はいつか散り果ててしまうから、 またそこから歩き出すことができた。 桜に会いに行きたい。 辺りには音も無い。 笑い方は忘れてしまった。 泣き方も、怒り方さえも。 感情は磨り減らしてしまった。 情感も、衝動すらも。 想い出は殺してしまった。 懐かしい日々も、あなたの笑顔さえも。 桜に会いに行きたい。 こんなとても寂しくて、透き通っていて、 何も変わっていないと感じられる月の夜には。 会って、抱きしめ、頬を寄せ、その胸で泣き疲れて眠りたい。 |
2005/02/26 |
昨日の日記に少し被るところがありますが。 他人の内面を突き詰めて知ろうとしていくうちに、 私は人の心の闇の部分にも強く惹かれていきました。 病弱な花々のアンテナを見ていただければ分かりますが、 その中でも特に『異常犯罪プロファイリング』にカテゴライズされた、 3つの不穏なサイトが登録されていたりします。 人の心は豊かなものだと思います。 それは決して喜怒哀楽などという大雑把な括りでは語りえないものです。 また、豊かであると言うことは、広く、深いと言うことと同義でもあります。 その一部に、表からは決して探ることのできない沼の底のような闇があっても、 別に驚きに値することではないのかもしれません。 皆さんの中にもそっと息づいている狂気がきっとある、と勝手に思っています。 もちろん、私の中にもそれは存在しています。 『病弱な花々』に掲載されている作品の中では、 詩の『病弱な花々』、『閉じた世界』、『吐き気』、 『精神天使と彼女』、『名前』、『不明』、『生活』。 そして物語の『僕は恋をしたことがない』に表れてしまっています。 特に私の内面がストレートに反映されている詩においては、 その半数近くもの作品に、どこか狂気の匂いがするような気がします。 もちろん、意図した結果ではありません。 狂気。これは一体何なんでしょうか。 正直、私にもわかりません。 いくつか辞書を引いてみますと、「正常ではない精神状態」のような、 なんだかはっきりとしない言葉がつらつらと並べられていました。 精神医学や心理学の本を読めば、 もう少し気の利いた説明があるかもしれませんが。 実は私には幼い頃から軽い精神疾患のような物があります。 「無実感」と呼ばれる、普段聞きなれないその症状は、 全く突然に、自身から現実感が喪失されるような症状です。 ふと、何もかもが遠ざかるような、 目の前の全てが現実の出来事ではないような感覚。 でも、この説明だけならきっと、 「そんなの自分にだってあるよ」と思う方もいらっしゃるでしょう。 私の症状が疾患たる所以は、五感が現実感を喪失することにあります。 例えば、その症状が出ているとき。 普段とは別世界のようになったその状態でフラフラしていて、 一度、誤ってガラスで深く腕を切ってしまったことがありました。 私は自分の腕から溢れ出した鮮血にどうしても現実感を取り戻せず、 痛みも感じず、戸惑いもせず。 そんな私を発見した母が言うには、 表情も無くぼんやりとあらぬ所を見ていたそうです。 幸い、怪我はたいしたことが無かったのですが、 夜になって正気を取り戻した私は熱と痛みに苦しむことになりました。 あの時の私は「正常ではない精神状態」だったと言えると思います。 今、健康的に活動している脳みそでその時の事を思い返すと、 やっぱりぞっとするものがあります。 ですが、「無実感」中の記憶はいつもどこか霧がかっていて、 やっぱり現実感が無いのもまた事実です。 心の闇は深く、千差万別でその深遠は窺い知れません。 その故に私の好奇心や探究心が刺激されるのかもしれません。 同時にトランス状態(狂騒状態、などと和訳されています)にも、 同じくらい大きな関心があります。 元々は原始宗教的な儀式(イベント)の時などに見られる、 一時の興奮状態が引き起こす、不思議な境地のことを言いました。 宗教学などを研究すると、祭祀の項目などで時折目にすることがあります。 日本人にはいまいち馴染みの無い状態ですが、これも一種の狂気ですよね。 人間と言うものはどこまで根が深いのでしょうか。 心の闇は特別視されがちですが、 人間が持つ多彩な表情のまた一つに過ぎません。 でも、やはりどこか惹かれるところがある。 怖いもの見たさも多少は入っているのでしょう。 原始的な部分で引き合うということも考えられるでしょう。 人は、恐れながらも闇を覗き込まないではいられない生物です。 ですから、重々気をつけなくてはいけないのは、 その闇に囚われてしまう事なんでしょう。 『こちらが闇を覗くとき、闇もまたこちらを覗き込んでいる』 こういう有名な言葉もありますしね。 闇を知るからこそ、光の眩さもまた深く知ることができるのではないか、 そんなことを思ったりしながら、 実は今日、一日中ちょっと危ない感じのサイトを巡ってたアキラでした。 あ、いや。シナリオの資料集めというか、勉強のためにですよ? 本当ですったら。疑っちゃいや〜ん、です。 (危ない感じのサイトに興味のある方はご連絡ください。 ウィルスなどの心配がないサイトを厳選してお教えします。) ----------------------------- 追記。 今、メールチェックしてみたら『僕は恋をしたことがない』の感想が。 新鮮で面白かった、とのこと。 とても嬉しいのですが、なんでこんなに罪悪感があるんだろう・・・。 えと、暖かい感想をありがとうございました。 でも、もしも気に食わなかったら、 「このクソヤロウ!」とか、「益体もなし!」などと、 力いっぱい罵倒していただいても私は全然構いませんので、 どうか遠慮はしないで下さいね。 |
2005/02/25 |
他人の内面なんて、どれほど知ることができるのでしょう。 どれほど相手に寄り添うことができるのでしょう。 いくら想っても、頑張っても、どうしてもその奥底には届かない。 だからといって諦めたくもない・・・。 皆さんご存知の通り、私は現在ゲームシナリオを書いています。 そこで、時折思うのが、上記のようなことです。 小説にしてもそうなのですが、 シナリオという物も登場人物達の内面にまで踏み込むものです。 で、思うんです。 自分は果たして人の内面なんて物に踏み込めるほど人を知っているのか、と。 私が書いている類のゲームシナリオというものは特異なものです。 進行は基本的に過剰なまでの一人称でありながらも、 時折、主人公(一人称の視点)が本来知るところがない部分まで、 その情景や心情を描写したりします。 それは『プレイヤー視点』、または『神の視点』と言われるものです。 シナリオを書いていると、そこにどうしようもない違和感が生じてきます。 あくまで物語りの語り部は一人称であるはずなのに、 どうして本来知ることのないはずの、その他の事象にまで踏み込むのか。 自分が向かい合う人の内面。それは永劫に知る由もない深い謎です。 にも関わらず、それが赤裸々に明かされてしまう。 これは、本当の意味では『一人称』ではないのではないか? 先日発表した『僕は恋をしたことがない』が、 「物語」コンテンツの中で、あえて「実験物語」にカテゴライズされている理由は、 実はそこの部分に執着して書いてみた物語だったからだったりしました。 『一人称』というものが何なのかに拘って、書いてみました。 その着眼点はアサイさんのくださったお題、『一人称で』から得たものです。 あの物語では主人公である兄(仮にこう呼びます)の絶対的な一人称で進められ、 その他の視点や、思惑、心情などについては綺麗に無視されています。 あれは、あくまであの兄から見た『世界』なんです。 もう一方の当事者であったはずの「妹」は、 もしかしたらそんな兄とはまったく違った心象風景でもって、 あの世界を眺めていたかもしれません。 ですが、そのことについては知る由もない。 物語は終始徹底して『一人称』で語られるのですから。 私たちが向かい合う人の心の奥まで完全に把握する日は、 きっと永遠に来ることが無いだろうと言い切れます。 せいぜい自身の心を把握できるか否かでしょう。 でも、私は物書きです。 そこに物語があって、人がいて、心の動きがある限り、 私は書き続けなくてはいけません。考え続けなくてはいけません。 なぜ、どうして、彼は彼女はそういう動きをしたのか。 その際に、一体どういった心境でそれを行ったのか。 果ての無い問いかけです。 そういった経緯も含めた話ですが、 完全な一人称で物を書くのは楽ですが、実は傲慢だとも思っています。 そこには、無視されて置き忘れられてきたものがあまりに多く感じるのです。 また、そういった『見逃されてきたもの』ほど、私の心を強く叩くのです。 永遠に追いかけ続けるべき命題だと思っています。 ただ・・・。 「空が綺麗だ」というような、無垢で全く打算の無い純粋な想いには、 そういったことをぐちゃぐちゃ言う余地は無いなあ、とも思います。 綺麗なはずの空が、どうしてもそう見えない、というような、 そんな複雑な心境の時にこそ突き詰めるべきなんでしょうね。 --------------------------- TOPテキストを更新しました。 そろそろ卒業のシーズンですね。 千の言葉よりも一度の抱擁を。 一度の固い握手を。 そして、約束を。 もうすぐお別れをしなくてはいけない人々の一人一人に、 そういった事の大切さと暖かさを伝えたくて書いてみました。 私は、幼稚園を卒園する時に担任の先生から言われた、 『素敵な男の子になってね』という涙声での言葉と、 暖かな抱擁を生涯忘れないだろうと思います。 ・・・・・・。 ごめんなさい先生。 『素敵な男の子』とは程遠い大人になってしまいました(鬱) |
2005/02/24 |
書くことに倦む事はないのか、と聞かれました。 時折感想メールを下さる方との雑談めいた話の中ででした。 私は、無いと答えました。 webを見ていても、作家のエッセイなどを見ていても、 書きたくなくなる時というのは多くの物書きに割と頻繁にあるように感じます。 毎日言葉と向き合うことに疲れてしまうことも確かにあるのかもしれません。 私は・・・ありませんね、今までは。 もちろん体調不良のときはにっちもさっちも行かなくなりますが、 健康でいる限り、書きたくなくなるときはないです。 私は音楽もやっていますし、多趣味な人間ですので、 どこかで上手く切り替えができているのかもしれません。 書きたいときに書きたいものを書ける環境もありますし・・・。 その環境とは、この病弱な花々であったり、 個人的なノートであったり、 個人的なワープロの中であったりします。 ところで表現欲求というものは年齢に反比例して減退していくものなんだそうです。 若いときには自分の中に得体の知れないパワーが溢れていて、 それをなんとか解き放とうとあくせくするものなのですが、 年齢を重ねるにあたってそういった余力は減っていって、 いつのまにか表現から離れていってしまう。 妙齢の方にお話を伺うと、自分も若い頃は、という事をよく聞きます。 私の場合はどうなんだろう、と少し考えてみました。 自己の内面を見つめると、確かに17歳くらいまでは鬱々とした激情を、 自分の中でもてあまし、いつもどこかで吐き出したいと考えていたように思います。 ただ、18の時にかなり長い小説を書き上げて、 何か一息ついたような、変に落ち着いたような、 そんな気持ちになったのを覚えています。 ありがちな顕示欲や、自己の特別視とかいったものから、 その時、開放されたように思っています。 少しは冷静に周りが見えるようになったのかもしれません。 それから早六年。 今は、どうなんでしょうね。 大げさな言葉や、気の利いた言い回しなどに興味を失って、 後はどうにかして自分の中にある風景や光を、 言葉に限らず、あらゆる手段で形にしたいという欲求が高まってきました。 それは素朴ですがとても強い欲求です。 形にしたところでどうするのか、どうなるのかについては考えていません。 きっと17歳の時の私のように、一つ憑き物が落ちて、 また新しい気持ちで表現に向かうと思います。 書くことに倦む事はないのかと聞かれました。 そんなことは今まで一度もありませんでした。 しばらくは楽しくやっていけそうだと思っています。 これで答えになったかなあ。 |
2005/02/23 |
雪と雨。 今日はそんなものが混ざった一日でした。 仕事の合間にふと顔を上げれば外は白の厚膜。 コーヒーを入れなおしている合間に、銀の掃き後。 雪から雨へ、また、雪へ。 終わりの見えない連続。 確かに何かが変わろうとしているのに、 まだそれになりきれないでいるもどかしさと、寂しさ。 不思議な気持ちになる一日でした。 お昼は久方ぶりに大学の食堂で。寮の友人と。 ちょうど雨に変わった静かな二月の空の下を二人で歩いて、 春休みも中頃なのにまだまだ賑わっている学食へ向かいました。 歩きなれたはずの寮からの道は、どこかよそよそしい顔をしていて、 また少し、寂しい気持ちになりました。 見慣れたこの景色をいつか懐かしく思う時が来るのかもしれません。 そしていつも見上げてきたこの道からの空は、 いつしか懐かしいものになるでしょう。 ええと。 突然ですが、三月末で寮を出ることになりました。 実家に帰ります。 帰るといっても、大学を辞めるわけではありません。 実は今、家の中が大変なことになっているので、 ちょっと立て直してきます。 多分、それは家族の中でも私にしかできないと思いますので・・・。 もう、卒業まで寮に戻ることはないでしょう。 とても寂しくて、辛いですがしょうがないです。 家族のことですから。 実家から大学まではちょっと通学が大変ですので、 これまでのような活発な活動は難しくなってくるかもしれません。 それに加えて、実家にはまだネットが引かれていませんので、 三月末から四月の真ん中頃までお休みになるかもしれません。 最悪、サイトの移転もあると思います。 現在私の借りている無料レンタルサーバは、 IPアドレスが変わると、ちょっと継続が難しいらしいので。 できることをできるだけ、全力投球で。 これは私が現在もかかわっているゲームサークルでの合言葉ですが、 この精神でやっていこうと思っています。 |
2005/02/22 |
ああ、魂が抜けるってこういう状態を言うんだ・・・。 こんばんは、後藤あきらです。 今日の夕方頃に、いつものごとく愛妻(ギター)を奏でていたところ、 「パキャッ」という軽快な音がすぐ近くでしました。 なんだろ? と思って自分の周りを見渡しましたが、 別段普段と何も変わったところはありません。 大したことでもないだろう、と結論付けて、ギターに視線を戻しました。 そしてそのまま、思考停止。 頭、真っ白け。 ギターのナットと言われる部分が割れていたのです。 ナットについてはこちらをご参照ください。2番の部分です。 思わず開いたまま塞がらなくなった口から、 魂が抜けていく様が用意に想像できるほど、私は凍り付いてしまいました。 ありえない! ありえない・・・(号泣) ナットは弦を支える支柱にして、調弦(音の調子を整える)為の大切な所です。 それが割れたということは・・・。 チューニングが全て無意味。弦を弾けば音にならない。 目の前が真っ暗になりました。 思えば妻と出遇ってから早9年。 9年と一口に言ってしまえますが、決して短い時間ではありません。 私達はその年月、まるで変わらぬ愛を日夜語らい続けてきました。 その代償が、とうとう目に見える形で表れてしまったのです。 私は簡単なメンテナンスなら自身でできる知識とスキルを持っています。 ですが、ナットは調整がとても難しく、 素人が手を出せる部分では決してありません。 明日、泣く泣く修理に出すことにしました。 恐らく3日〜1週間ほどで直るだろうと思います。 「なんだ、そんなもんで直るのか」とか言いなさんな! 私は、一日たりとて彼女と離れるのが辛いのです。 彼女がすぐに手に届く所にいてくれないと駄目なのです。 いつでもその歌を聞かせてくれなければ生きていけないのです。 一日中この胸に抱きしめていないと不安なのです。 とにかくもう、何もかもが駄目なんです! 他人の手に触れられるなんてもってのほかです!! 妻だけを激写したアルバムを三枚持っているほど愛しているのです!(本当) 幸い、私には愛娘もいてくれます。 愛娘はGotoSでの相方に数年前から狙われているほどできた子です。 この子がいますので、まだなんとか平静を保っていられると思います。 妻が無事に退院してくるまで、二人で身を寄せ合って、 ひたすら耐えようと思っています。 今からとても胃が痛い不安な日々です。 ・・・実は今、本当に胃が痛いです。 早くよくなって来てくれ、と祈ります。 本気で祈ります。 |
2005/02/21 |
お久しぶりです。後藤あきらです。 突然消えてしまっていて、申し訳ありませんでした。 実はまたネットが不安定になって、にっちもさっちも行かない状況でした。 やっと正常になりました。一安心です。 ここ数日の私の状況は連日短い日記をつけておきましたので、 どうぞそちらを参照ください。 病弱な花々のコンテンツである、物語の『実験作品』のカテゴリに、 病弱な花々の10000HITを取られたアサイさんからリクエストを頂いた、 『僕は恋をしたことがない』を追加しました。 お題は「愛」という単語の使用禁止でしたが・・・。 申し訳ありません。使ってしまいました。 物語が、その単語をどうしても要求してきたので・・・。 私はダメな物書きです。 なんだかいつも物語に振り回されているような気がします。 さて、『僕は恋をしたことがない』ですが。 先にお断りしなくてはいけないことがあります。 この作品、そのタイトルから受けるポップな印象からは程遠い内容になっています。 病的で、少々グロいというか、エグいです。 嫌悪感を感じる方もきっといらっしゃると思います。 最初の数行で、もし「これはダメだ」と思われましたら、 そのまま読むのをやめることを御薦めします。 倫理的、道徳的に問題がある表現が文中に散見されますが、 これはあくまで芸術的な見地による表現であって、 私自身はそれを推奨するものではありません。 表現の自由と、責任の元に書き上げました。 そして、発表することを選びました。 それだけ、特にお断りさせていただきます。 それにしても、折角リクエストを頂いたのにガッカリされたかなあ。 「僕は恋をしたことがない」というタイトルから、 私が最初に感じたインスピレーションをそのまま形にしたところ、 ああいう物語が生まれてしまいました。 冷静に考えてみれば、ああいった内容の物を書いたのは初めてです。 どうしてでしょうね。 感想を聞くのがとても怖いです。 |
2005/02/20 |
ネット、未だ直らず。 現在14:11。不通になってから一昼夜・・・、いや、二昼夜? いいかげん、仕事にも支障が出てきてしまっています。 困った。 私の仕事の半分は、実は広報活動だったりもします。 それが失くなってしまうと、ぽっかりと時間ができてしまいました。 この二日で読んだ本五冊。 作った曲二曲。 書いたシナリオ、原稿用紙で150枚分・・・。 なんだかな。いいんだか悪いんだか。 それなりに充実はしている模様です。 ところで今日はこれから弟の大学合格祝いのために、実家に帰る予定です。 なぜか私の奢りでお酒を呑みに行くことになりました。 何故だ。何故私が奢らなくちゃいけないんだ・・・。 書きかけのシナリオを放り出して行ってこようと思います。 |
2005/02/19 |
そしてまたしてもネットにつながらず。 しょうがないので、誰に見せることも叶わぬ日記を涙ながらに綴りたいと思います。 『僕は恋をしたことがない』はなんとか書き終えました。 なんだか・・・。 いや、コメントはあえてしないでおこうと思います。 皆さんの感想をお待ちしております。 早くネットが復旧してお見せできるといいのですが。 なんとも張り合いの無いものです。 |
2005/02/18 |
ええと、一つ謝らなければならないことが。 今夜発表予定だった『僕は恋をしたことがない』ですが、 急な飲み会が入ってしまったため、今夜中には難しくなってしまいました。 明日の夕方にはUP出来たらと思っています。 もう時間がありません。今から出ます。 それでは。 |
2005/02/17 |
ちょっと時間がないので、今日の日記はかなり短いものになります。 この日記を楽しみに読んでくれている方には申し訳ありません。 (↑自分でも信じられないのですが、そういう方がいらっしゃるらしいので) 急な仕事が入り、てんやわんやになっていたりする私です。 今日は仕事の為にwebで調べものをしていて、 ちょっと面白い記事を見つけました。 『知っておきたかったこと --- What You'll Wish You'd Known』 作者のPaul Graham氏についてはweb検索をすればすぐに出てくると思います。 素晴らしい内容ですので、長い文章ですが、ぜひ読んでみてください。 以前、この日記で取り上げた『才能の創出』とは又違った切り口で、 これから成長していこうとする者達への餞の言葉がここにはあります。 それでは、また。 あ、そうだ。 多分明日の夕方か、夜の辺りに、アサイさんからリクエストを貰った、 『僕は恋をしたことがない』という短い物語を発表できると思います。 今、片付けている仕事は、多分明日のお昼頃までには終わるので、 それ以降に書くことになると思います。 現時点ではまだどういう話になるのか分りませんが、 もしかしたらちょっと意外な内容になるかもしれません。 完成をお待ちください。 楽しんで書くつもりでいます。 |
2005/02/16 |
嬉しいNEWSがありました。 今年、末の弟が大学受験だったのですが、無事に第一志望に受かったとの事。 最後の最後まで『微妙だ・・・』とぼやいていたので、 こちらも随分ハラハラしていたのですが、やってくれました。 東京にある大学ですので、住むところを探さなくてはなりません。 今月中か来月頭に私も同行して、検討してくるつもりでいます。 非常に楽しみですね。 現在浪人生の方には大変申し訳ないのですが、 私は、浪人という期間に全く意味を見出していません。 私自身が浪人生活を送ったことがあるので言えるのですが。 浪人生として過ごす一年。 中には、『良い経験だった』という人間もいます。 でも、私は「大学生としての一年」の有意義さに、それが勝るとは思えません。 多くの出会いがあります。発見があります。新鮮な驚きがあります。 そしてなにより、自由があります。 そして大学は教養を学ぶところでもあります。 豊かな教養は、人生に確かな色を加えてくれるものだと信じます。 ですので、弟が浪人を経験せずに大学に入れるということを素直に喜びます。 『浪人生としての経験』をするよりは、一刻も早く大学に入り、 そして卒業して、社会に出た方が遥かに多くの経験を詰めると思っています。 また、経験はその受け止める器の大きさによって大分変わってくるものです。 そしてそれには、先ほどあげた『教養』が大きく作用してくると思うのです。 学んで、遊んで、友達を作って。 恋をしても良いでしょう。勉強に励んでも良いでしょう。 素晴らしい大学生活が弟にあるように、祈ります。 今日は大寒波だったらしく、仙台は久方ぶりに朝から大雪でした。 昨日まででほとんど溶けてしまっていた路上の雪も、 あれよあれよという間に元の通りに。 また、地上は白く染まりました。 思えば、今年は雪の道を落ち着いて歩いていません。 もしかしたら最後の機会かもしれませんので、 明日、ちょっと散歩に出かけようかと思っています。 明日も嬉しいことがありますように。 |
2005/02/15 |
昨日参加した『一語100%』の為か、 昨夜から今日にかけて多くの方が『病弱な花々』にいらしてくれています。 こういう企画物に参加するのは初めてでしたが、 人に読んでもらえるという点でとても大きな効果があるみたいですね。 改めて、参加して良かったと思いました。 こんばんは。後藤あきらです。 アサイさんに誘われて、訳もわからないまま書き上げた、 『君の待つ春へ』でしたが、早速感想のメールなどを頂きました。 自分が想像していたよりも好評を頂けたみたいで、 なんだかとても嬉しいです。 転載許可を頂いたので、一つご紹介します。 >『薄暗い部屋の中、壁時計の長針と短針が微かな音を立て、重なった。』 >この一文がちょっとエッチな感じでドキドキしました。 このエロスに気づいてくれた人がいたよ!? いや、暗喩としては非常に直接的でしたが、 流れで読んでもらったらきっと気づかれないだろうなって、 そんなことを考えながらこっそり入れた一文でした。 『大人のスパイスだぁっ!』とかも思っていましたが、 それは声を小さくして告白しようと思います。 最近よく思うのですが、私は読者の方にとても恵まれているな、と。 一文を、一言を大切に読んでくださる方が本当に多いな、と。 それが嬉しくて、嬉しくて・・・。 書いていて良かったなあ、と、素直に思います。 基本的に私の書く文章は暗喩と暗示に塗れています。 決して全てを意図してそうなっているわけではありませんが、 やはり、どこかで息づいています。 それを汲み取ってもらえる嬉しさというのは、 言葉ではなかなか表現できない感覚です。 驚きと、喜びと。 ありがとうございます、と言わせてください。 実は昨日、嬉しいことがもう一つありました。 『病弱な花々』が、なんと10000HITを超えました。 見事切り番をGETされたのはアサイさんだったそうですが(笑) このサイトを開設した昨年の六月には、 まさかこんなに多くの方が訪れてくれるサイトになろうとは、 本当に全く予想していませんでした。 嬉しいです。本当にありがとうございます。 いつまで続けられるのかちょっと分かりませんが、 全力で取り組んでいこうと思っています。 元々このサイトは、私の個人的な文章表現的実験と、 純粋な趣味の追求のために作られました。 匿名でコラムなどのお仕事を受けて物を書いていると、 なんだかどんどん自分の中に表現欲が沸いてきてしまい、 それをどうにかして解き放ちたいと願ったのがそもそもの動機です。 正直、あんまり人に見せることは考えていなかったと思います。 逆に、例えばゲームシナリオなどの、 完成までに長い期間を要する作品に取り掛かっているとき。 ずっと同じ世界、同じ空気で息をし続けることに、 得体の知れない息苦しさを感じるときがありました。 そんな時、ふと生まれてくる何かを、 このサイトでは吐き出してくることができました。 随分救われていると思います。 そして、その何かを受け止めてくれる方がいらっしゃいました。 予想外です。予想外の喜びです。 いくら文体を変えても、各作品の内容に一貫性が無くても、 ちゃんと全て受け止めてくれる方がいます。 内容について考え、感じ、 私が投げつけたスピードよりも遥かに強く、返してもらえます。 ありがとうございます。何度言っても足りません。 ありがとうございます。 おかげで私は、まだまだ冒険できます。 今後も形にとらわれず、自由に表現していこうと思います。 悲しみも、喜びも、全てそこに詰め込むつもりです。 詰め込んで、撒き散らして、叫び散らすつもりです。 そこにあるはずの光を探すつもりです。 願わくば、私の喜びが皆さんを少しでも楽しめますように。 それでは、また。 |
2005/02/14 |
一日空いてこんばんは、アキラです。 やっとネットも正常になったようで、一安心しています。 先ほど気づいたのですが、ここ数日間の日記がUPされていましたね。 本当は、ネットが復旧した日にまとめて更新するつもりだったのですが、 FTPソフトを『自動更新』にしていたために、 ネットワークシステムが不安定だったこの数日間の間、 瞬間的にネットにつながったときに勝手にUPしていたみたいです。 さて、今日はバレンタインデーです。 とはいえ、いつもと変わらない一日を過ごすはずだったのですが・・・。 『雪明りの屋上で僕は』のアサイさんに掲示板でお誘いを受けて、 『一語100%−僕たち、やっぱりラブコメが好きです−』という、 ネット上のイベント(?)に参加しました。 このイベントなんですが・・・。 なんでも、『みんなでラブコメを書こう!読もう!』という趣旨の元、 『読んで「うわー」と赤面しつつも、 ニヤニヤとしてしまうようなほのかなラブストーリー』作品を、 書くなり描くなり、個人で自由に表現して、みんなで読もう、 というようなイベントみたいです。 アサイさんの参加&私への誘いは半分ネタだったのだろうと思いますが、 非常に面白そうな企画でしたので、全力でラブコメしてみました。 今日、物語に追加された『君の待つ春へ』がそれにあたります。 ・・・・・・。 うん。 ラブコメになりきれてねえっ! ごめんなさい。やっぱり私には恋愛回路が未搭載だったようです。 頑張ってみたのですが、これが限界でした。 書き上げるまで二時間以上もかかったのですが、なんとも・・・。 精進の必要性を感じました。 |
2005/02/12 |
なんだか備忘録になっているような。 今日は街に降りてきました。 私の寮は山の上にありますので、 仙台の街中に行くときには『下に降りる』という表現をします。 HARD-OFFにて機材を購入。 ZOOMの『Tri Metal』というディストーションです。 これで今度のLIVEはかなりいい音を出せると思います。 今、色々と使い方を研究しているところです。 ネットがつながらなくて、仕事も中途半端にしかできないので、 なんだかかえってアクティブになっているような気がします。 友人とインドカレーを食べて、彼のお勧めのコーヒーショップに。 スタンド形式のカウンターオンリー。 小さな店内にジャズが流れる静かな店でした。 そこで、かつて白百合大学で教鞭をとっていたという、 元教授の方とお知りあいになりました。 薄暗い店内で、コーヒーとタバコを燻らせながら突然始まった講義。 とても興味深い話でした。 なんでも英語を研究していらしたそうで、 その関連でドイツ語やラテン語、ギリシャ語、フランス語など、 言語全般にとても造詣が深く、 また、その歴史にも精通していらっしゃる方でした。 私は、言語に関してはかなり詳しいつもりでしたが、 彼の話す内容で、三分の一ほど知らなかったこともあって、 非常に新鮮な時間でした。 週末の街角、小さなコーヒーショップでの講義は、 とても鮮烈な思い出として私の中に残りました。 さて、私の予定ですが。 明日は家族と一緒に、弟の受験終了を祝って食事をしてきます。 帰りは月曜日の夕方頃になる予定です。 その頃までにネットもちゃんと復旧しているといいのですが。 それでは、また。 |
2005/02/11 |
ネットにつながらない・・・。 なんだか、サーバーが今度システムの変更をするらしく、 昨夜からネットにつながらなくなりました。 いつ頃復旧するのかわかりません。 とにかく、それまではこうやって日記を書きつづけようと思います。 復旧次第全部まとめての更新になるのかな。 ちと虚しいです。 今日はずっとシナリオを書いています。 他に何もやっていませんので、特に書くことも無く。 かえって都合がよかったのかもしれませんね。 それでは、また明日。 |
2005/02/10 |
今日は初めての家庭教師に行った記念すべき日でした。 私が教えに行ったのは中学校二年生の男の子。 理科、英語、数学が苦手との事。 卓球部の部長であるとの事。 テレビゲームがとても好きであるとの事。 両親共に死別していて、現在は祖父母と暮らしているとの事。 笑顔が印象的な、とても優しい子でした。 ご家庭で夕食をごちそうになってしまいました。 一応、遠慮はしたのですが、ぜひに、との誘いを断りきれず、 ありがたく頂きました。 思えば、まともな食事をすること自体がひどく久しぶりです。 それが人と向き合って食べることならなおさら。 そこに笑顔があるのなら、もっと。 真っ正直な好意へ返す、私の笑顔は自然だったでしょうか。 なんだか気づかないうちに、 自分がひどくいびつな生き物に成り果てていたことを知りました。 保護者の方には気に入っていただけたようです。 毎週、早めに来て共に夕食を、と誘われました。 社交辞令かとも思ったのですが、相手の瞳を覗き込めば、 そこには真っ直ぐな人の良さしか読み取れませんでした。 私は、素直にその好意を受け取らせて頂くことにしました。 優しさは、自分の浅ましさと汚らわしさを浮き彫りにさせて、 なんだか私はひどく抜け殻です。 バイクで走る夜の帰り道、急に激しく降りしきり始めた雪が、 何もかもを白く染めていきました。 そしてそれは、感覚を失っていく両手が穢れていることを忘れさせました。 頭の中に生まれて弾けそうだった黒々とした感情を静めてくれました。 孤独は時に狂気を産むのだと、改めて再認識できました。 出会いは、それがどんなものであれ、神秘です。 なにがどうしてそれが生まれるのか。 気の遠くなるような可能性の中、そのたった一つ。 それが初めて及ぼす因果の業です。 実は来週からもう一人生徒を持つことになります。 今日の夕方になって急に連絡がありました。 小学校二年生の男の子だそうです。 どんな人間だか想像もつきませんが、 楽しみにしています。 今日は少し疲れました。 明日は静かに独りでいようと思います。 おやすみなさい。 |
2005/02/09 |
大切な物は? と聞かれたら、 迷わず『友達』と答えます。 でも、「ほんとうに?」と追求されてしまったら、 私はきっと言葉に詰まってしまうと思うのです。 過去。 それは十代と呼ばれる時代。 その中でも、本当に最初の頃の時代。 私が中学生と呼ばれていた頃の時間。 その頃の私なら、誰に何を言われようとも、 決して揺らぎはしなかっただろうと思っています。 「友達は俺にとって一番大切だよ。当たり前だろ?」と、 嘲笑すら交えて答えられたかもしれません。 ですが、今の私は押し黙ってうなだれてしまいます。 人は変わる。景色がそうであるように。 人生を長い旅に例えることがもし許される行為であるのなら、 ここはきっとまだ旅の途中なのでしょう。 行き先も、終末もわからない、あてのない旅。 目に映る景色は移ろっていきます。 それをもしどこかで止めようとするのなら、 私達はその瞬間に旅を終えなくてはいけません。 そして一度止まった足は、もう二度と動き出すことは無い・・・。 実は昨夜、古い友人が泊まりに来ていました。 彼とは小学校三年生の時からの付き合いです。 酒を飲み交わしながら多くのことを、 しかし、言葉少なに語り合いました。 その時、思う所があって、上の文章を書きました。 私は、いつの間にやら『孤独』という道を選んでいたようです。 独りでいること。 誰といても、どれほど多くの人間といても、独りでいること。 そうして独り、そこにいてこそ、本当に安らげるのだということ。 一方、彼の選んだ道は窺い知れませんでしたが、 その方向がもはや私の道とはクロスしていないことだけは分かりました。 そもそも旅立った場所が違かったのですから、 その行き先が全く別な場所でも、決して驚くような事ではないのですね。 時に、『行き着きたいと願う先はきっとみんな同じはずだ』、 という趣旨の言葉を聞きます。 『多少、形が違うだけだ』とも。 いいえ。残念ながら私はそうは思いません。 私と彼は友人という間柄であっても、決して同一の物ではありません。 そしてそれは、絶対的な他者であるということを意味しています。 私がお腹をすかしていても、彼は満腹かもしれません。 それと意味を同じくして、目指す場所が全く違うということは、 全くもって自然なことであり、当然なことのように思えます。 ただ、その事が明白になっても、 あまり衝撃を受けていない自分が衝撃的でした。 きっと、自分の中のどこかで分かっていたのだと思います。 まるでそこにあるのが当たり前のような、刹那の永遠の中、 思春期の只中において、 代わり映えのしない、退屈で平坦な毎日をこなしながらも、 どこかで、何かが移ろっていくことを感じ取っていました。 学校に行けばいつもの面子。いつもの話題。いつもの笑い声。 何かに約束されたような日々。 そんな中でも、桜は咲き誇っては散り行き、 夏草が生え、色づき、枯れ果て、雪に覆われて、また新芽を出す。 また、桜が咲き誇る。 でも、その桜は決して昨年と同じ桜ではない。 窮屈な紋切り型の毎日の中で、私が常々息を詰めて見守っていたのは、 そんな変化をし続ける秩序だった円環でした。 行き着く先の見えない、気の遠くなるような変化の連続でした。 そしてそれは常に、永遠という幻想を忘れさせました。 そして、現在。 時折襲い掛かる記憶のフラッシュバックの中、 酒のツマミ越しにいつまでも話す彼と我との距離は、 確かに降り積もっていた時間の分だけ離れてしまっているようでした。 でも。 ああ、でも。 それだけのことでしかない、とも言えるかもしれません。 人は変わる。知ってたさ、そんなもん。 知っていたからこそ、独りで生きていける強さを身に付けたんだ。 そしてそのことは、 決して後ろ向きな思いで身に付けたのではないということを、 こうしてちゃんと現実を受け止められるということで証明できる。 じゃあ、何を望む? ここから先、何を望むんだ? 火をつけたタバコの煙越しに、ちょっと眠そうな友人の顔が見えました。 きっと、自分もそんな顔をしていることだろうと思います。 私は、ちょっと笑いました。 彼のその表情を見て、自分達がまだ中学生の頃、 初めてお互いの家に泊まった夜のことを鮮明に思い出したからです。 ああ、その彼が、今も、そこに、いる。 大切な物は? と聞かれたら、 迷わず『友達』と答えます。 「ほんとうに?」と追求されてしまったら、 それでも私は、一瞬言葉に詰まってしまうかもしれませんが、私は・・・、 「本当だよ!」と、答えたいと思います。 「それは多分、変わらないよ」と、最高の笑顔で答えたいと望むのです。 |
2005/02/08 |
バイトの講習に行ってきました。 なんと、明後日からスタートだそうで。 なんともはや、気の早い話です。 満足に予習する暇も無いのですが・・・。 あ、あと報告があります。 色々と物議を醸した『女子中学生に全力で教えちゃうぞ計画』は、 本日、あっさりと潰えてしまいました。 理由は・・・やっぱり、女の子だから、という事になるでしょうか。 私のような人間を、女子中学生の個室という密室で、 今まさに綻ぼうとしている蕾のような女の子と二人きりにさせてはいけません。 |
2005/02/07 |
なんとなく昨夜辺りからダメダメです。 こういう時は大人しくしているのが一番ですね。 今日の昼間は天気が良かったので、 仕事を放り出してバイクでブラブラしてきました。 私はふらふらと出かけることが多いのですが、 行く先が決まっていることは非常に少ないです。 移動手段についても徒歩や自転車の時もあり、 その日の気分でまちまちになります。 そして持ち物は基本的になし。 携帯電話はおろか、財布も持ちません。 タバコも持っていきません。 出先でどうしても喉が渇いたら公園とかで水を飲んでます。 はい。奇異な目で見られますよ。 放っとけや! 冷静に思い出してみれば、 男の子の場合において、小学校や、幼稚園の時には、 基本的に身一つで外に飛び出していました。 それでなにも不自由を感じませんでした。 ところが今はどうでしょう。 先ほどあげたようなアイテムのほかに、 各種アクセサリやその他色々。 とどめに香水でもつけていけば完成です。 私にはそれらの物がただの不純物にしか見えない時があります。 ヨブ記だったか、ヨハネの黙示録だったかは忘れましたが、 かつて、こんな言葉に触れたことがあります。 裸で私は母の胎を出た。裸で私はかしこに帰ろう。 悟り、といった風に解釈されることの多い上記の言葉ですが、 私にとってこの言葉は一種の覚悟のように思えます。 そうあるということ、そのままであるということ。 私もそのように生きていきたいと、どこかで強く願っています。 それが何も持たずに出かけるということの複次的な要因と・・・、って、 ちょっとこじつけが過ぎますね。 携帯電話を放棄して出かけたことに本日苦言を呈してきた、 ある私の知り合いへ向けた、 日記という形を偽装した回りくどくて長ったらしい言い訳でした。 すいません。 それでは、また。 |
2005/02/06 |
TOPテキストを更新しました。 『黄昏の中で、君と』ということで。 もしかしたらお気づきの方もいらっしゃるかもしれませんが、 昨年、実験作品の『小さな手』を書いた頃から、 私は「手をつなぐ」という行為に深い関心を寄せています。 手をつなぐ・・・。ただ、それだけのことにどうしてこうも惹かれるのか。 「手をつなぐ」と聞いて、私がまず真っ先に思い浮かべるのは、 幼少の頃、幼なじみの女の子と手をつないで帰った夕暮れの景色だったり、 田舎の祖母に手をつながれて行った夏祭りだったり、 父母に片手ずつつながれて歩いた春の桜の道だったりします。 恋人とも数限りなく手をつないで歩きましたが、 そちらはあまり印象に残っていません。 『手をつなぐ』。不思議な気持ちになります。 私にとっては抱きしめるのと同じくらい大きな意味があります。 キスよりも深い感慨があります。 そしてそれは必ずどこかでノスタルジア、つまりは郷愁につながります。 どうしてだかは私にも分かりません。 ノスタルジアは常に私の創作の根幹にあります。 私は、できることなら何も変わらなければ良い、と、 そんなことを思いながら生きている人間です。 子供の頃に抱いた『大人になんかなりたくない』という想いを、 未だに未練たらしくどこかで引き摺って生きているような人間です。 そんな私にとって、別れを告げる色だった夕焼けや、 枯れて行く野原や、大切な場所を押しつぶしていったブルドーザーや、 もう叶うことの無い約束を交わした桜の木の下などは、 心の中の風景の大きな部分を占めています。 そして、そんな幾重にも折り重なる大切なファクターの中に、 「手をつなぐ」という行為も入っているのでした。 純粋な気持ちで最後に誰かと手を握って歩いたのは、 一体いつのことだったのか。 そして、その相手は誰だったのか。 私はどうしても思い出せません。 悲しい気持ちにもなりますが、思い出せなくていいとも思います。 そしてその気持ちが私に言葉を書かせる一つの大きな理由になっています。 次に・・・純粋な気持ちで手を握るのは、 自分の子供と、森の小道を言葉少なに歩く時であれば良いな、と、 夢想したりもするのです。 |
2005/02/05 |
昨夜、友人が遊びに来て仕事の打ち合わせ。 昨日の日記の終わりにちょこっと書いた内容でしたが、 やはり徹夜作業になりました。 おかげで有意義な時間を過ごせたと思います。 最後の方はワインと焼酎でベロベロでしたけど・・・。 遊びに来てくれた彼は、実は以前シナリオを書いていた人間です。 今回、私が新しいシナリオを書くことになり、 その発表形式が少し特殊で、何篇も書くことになってしまいましたので、 ちょっとヘルプをお願いすることにしました。 な〜んて。 そういった名目で、彼にまた書かせてみたかったんですよね。 私は彼の書く独特な世界観を愛しています。 もう一度、それが見たいと強く望んだのです。 それは新しい、輝けるなにか。 今回の仕事の趣旨を一通り説明し、 彼に、「どういったものを書くか?」と訊ねてみましたが、 やはりまだこれといった形は見えていないようです。 今回の仕事の締め切りはかなり緩やかなものですので、 のんびりと書いていって欲しいと思います。 さて、PCクラッシュ騒動から始まって、 なんだか賑やかだったここ数日間も今夜で落ち着きました。 明日の六日からはまた一人でひたすらシナリオと向き合う日々です。 静かな場所で、音楽に包まれながら。 のんびりとやっていけたらと思っています。 シナリオのキャラ達が強い声で私を呼びますから、 なかなかそう上手くはいかないかもしれませんが。 ----------------------------- 追記。 4日のHIT数が170ってどういうことだ?! 最近は1日50HIT前後で落ち着いていたのに・・・。 どこかで晒されたのかもしれませんが、みんなリーファーが無く、 h抜きでリンクを貼ってもらったのかなあ、と。 日記で鏡さんを取り上げたときにも一時的にHIT数が増えましたし、 なんだかインターネットというのは不思議な世界ですね。 |
2005/02/04 |
うわ、本当に受かっちまったよ。 こんにちは、あきらです。 みなさんいかがお過ごしですか? 私はもちろん元気です。 |
2005/02/03 |
PC、やっと直りました。 思ったよりも早く修復できてやれやれです。 一応、経緯をご説明します。 一昨日の夜、急にモニターが写らなくなりました。 作業の途中だったので、慌ててセーブコマンドを打って、 それがちゃんとできたのか確かめる術もなく、 真っ暗なモニターを前に呆然としてしまいました。 色々と試してみた結果、Windowsは立ち上がっていることがわかりました。 つまり、モニターへの出力だけが上手くいっていない。 こういった症状は初めてでしたので迷いました。 当初はマザーボードの不調が原因ではないかと考えたのですが、 色々と探ってみれば、なんていうことはない、 ビデオカードの差し込みがちゃんとされていなかったからでした。 実は夕方頃にPCを分解して、掃除したんですね。 その際に一度取り外したビデオカードが、 スロットにちゃんと入りきれていなかったようです。 なんだか数日前からシステムがとても不安定だったという背景もあり、 最初にハードよりもソフトの方を疑ってしまったのが、 結果的に復旧の遅れを招いてしまいました。 ただ、マザーボードを買いなおすとなると、 どうしても1万円以上の出費は覚悟しなくてはいけなかったので、 ほっと胸をなでおろした次第です。 |
2005/02/01 |
昨日は日記をかけませんでした。 昨日からPCの調子が悪く、調整中です。 かなりヤバイ感じですので、 明日までかかると思います。 直りましたらまた活動を再開します。 もう二月ですね。 遊んでる暇はなさそうです。 ------------------ 一月の日記を過去日記に移しました。 |
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