DIARY


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2005/03/26
昨日はなんだかんだで日記を書けませんでした。
今、26日の午前十時少し前です。
この日記を書き終わったらPCを外す予定でいます。

今朝、大学進学の為に上京する末の弟を見送ってきました。
奇しくも同じ日に引越しだったんです。
これで二人いる弟が二人とも県外の大学に進みましたので、
実家には両親と私だけになってしまいました。
なんとも寂しい感じがします。

さあ、お引越しです。
もうすでに手伝いを快く了承してくれた友人が私の部屋にいます。
外は快晴です。
開け放たれた窓から少しだけ冷たい春の風が入ってきます。
旅立ちにはとてもいい日です。

どこへ行こうとも、どれほどの時間が経っても、
私は私でしかないと思います。
だから、新しい場所を素直に受け入れて、
そこでも真剣に生きていこうと思います。
年を重ねるほどに日々の流れは速くなってきているようで、
最近少し焦っても来ていますが、
でもやっぱり私は私でしかないのだから、
やはりやれることをやれるだけ、やり尽くすしかないのでしょう。

さあ、春が来ます。
木々が目覚めます。鳥達が歌い始めます。道端には名も無い花が揺れます。
光が辺りを覆って、新しい季節を高らかにしかし慎ましやかに告げます。
春です。桜が咲きます。みな、少しだけ新しい顔で街を歩き出すでしょう。
そして何か新しいものを期待して、歩を進めるでしょう。
何かを始めるのにはとてもいい季節です。

濁りの無い冬に汚れは洗い流されて、
せいせいとした気持ちを心地よく感じながら、
大きく手を振って、私も歩き始めようと思います。
春はなんともおおらかな季節ですね。
今年はどこにお花見に行こうか、と、
頭を悩ませるのもとても楽しいことです。

それでは、また。
新しい輝く季節で、みなさんとまたお会いしたいと思います。
どうかみなさんもお元気で!


2005/03/24
ちゃんとした引越し日は26日なのですが、
引越し先である実家のほうの部屋の準備などもあり、
明日の夕方に一足早く帰ることになりました。
そのため少し予定が繰り上がって、この日記と明日の日記を書いたら、
ひとまず『病弱な花々』はお休みということになります。

今日の夕刻に問い合わせてみたところ、
実家には4月1日くらいにネットが開通するそうです。
思ったよりも早くて安心しました。
とりあえずつながった所で更新などを試してみて、
どうしても上手くいかなかったら、
残念ながら『病弱な花々』は移転、ということになります。
IPアドレスが変わると、更新に使用しているFTPソフトで、
サーバーに接続できなくなるかもしれませんので。

その際には掲示板に移転先のアドレスを書き込んでおきますので、
どうぞそちらをご参照ください。
活動は4月の10日くらいには再開できたら、と考えています。

さて、ご連絡は以上です。

今日も一日中お引越しの準備でした。
とはいえあんまり物が無い生活をしていますので、
(音楽関係の機材についてはこの際忘れてしまおう)
人よりもかなり楽だと思います。

それで、ちょっと今日思ったのですけど、
私は片付けたりするのが結構好きみたいです。
よくよく考えてみれば掃除なんかも好きなんですよね。
綺麗になっていくのを見るのも楽しいですし、
働いた分だけ仕事が減っていくのを見るのも楽しいですし。
ただし、独りでやる場合に限ります。
なぜだか複数でやると途中でイライラしてきてしまうことが多いです。
独りで、自分のペースで黙々やるのが好きです。
自己中心的なんかなあ。AB型なのに。

色々な物を整理していると、懐かしいものが沢山出てきて、
なんだかその度に手が止まるのも楽しいものです。
別れた彼女から貰ったプレゼントとか出てきたり。
「あれ? これって誰に貰ったんだっけ?」というような、
なんだか記憶が曖昧なものまで数点見つけました。
埃を被ったそれらは、なんとも不思議な感触でそこにあって、
もし引越しをすることにならなかったら、
いつまで物の陰に追いやられて陽の目を見なかったのだろうか、と、
そんなことまで考えさせられます。
そして、そうやって手をとめて物思いに耽っていると、
いつのまにか日は暮れかけて、外は暗くなってきてしまっていました。

やべえ、全然進んでない・・・。

本当に明日までに全部終わるのでしょうか。
甚だ不安です。

なにはともあれ、また明日。

--------------------

追記。

明日の17:00まででしたら掲示板などに返信できますので、
もし何かありましたら時間にお気をつけて書き込みください。
それ以降の書き込みにつきましては、
申し訳ありませんがネットが開通し次第ということになります。
よろしくお願いいたします。


2005/03/23
引越しの準備中です。

ダンボールを大量に貰ったので、とりあえず荷物を大まかに分類して、
なんとなく自分が分かり易い傾向の物どうしを入れてみています。
細かな物は更にビニール袋に小分けし、ダンボールへ。
一杯になったものから順々に「服(春夏)」とか、「机周り」とか、
短い書き込みをしておいて、部屋の隅に重ねておいて置きます。
私はあまり物を持っていませんので、
こういう時は本当に楽で良いなあ、と思いました。
問題は・・・大量のCDと、書籍関係でしょうか。

大きめなダンボールに荷物を限界まで詰め込むと、
重量が大変なことになってとても運搬できませんので、
少し小ぶりの物を用意した、ということもありますが、
現在、梱包した荷物の過半数がCDか書籍のようです。
具体的なダンボール数は7だったりします。
CDはほとんどが前々から持っていたものですが、
書籍の大半は寮に入ってから購入したものです。
実家にはほんと、腐るほどあります。
ただでさえ家人に迷惑がられているのに、これ以上増えるとなると・・・。
スペースの問題もありますので、どうも本棚を増設するしかなさそうです。
今、確か本棚は6つありますので、増やしたら7つですね。
実家はあまり広くも無いのに、
私のせいでそろそろ一部屋が書斎扱いになってしまいそうです。

お引越しの話に戻ります。
重量、手間的にCDと書籍関係が引越しのネックになることは否めません。
実は私は今回で6回目の引越しなのですが、
なんだかいつも同じことで泣いているような気がします。

大きな荷物は他に、PC、エレキギター(ハードケース付きで二本)、
ギターアンプ、CDコンポ・・・それに布団くらいかなあ?
TVなどの家電関係が少ないのが我ながら生活臭がしないなあと思いますが、
これもいつものことですので気にしません。

やっぱり病み上がりの体で作業しているためか、
分類するにせよ梱包するにせよ、いまひとつはかどりませんが、
まあ、のんびりやっていこうと思います。

さて、今夜は我らが文芸部の追い出しコンパがあります。
通称『追いコン』と言われるそれは、
平たく言えば「卒業生を送る会」です。
私は一応部長さんですので、張り切っていってこようと思います。
風邪薬とお酒って最高に相性が悪そうですけど。

仙台の皆さん。
今夜、国分町の街角で、女の子ばかりの集団に一人、
やたらと顔色がいい(もしくは悪い)馬鹿な人がいたら、
それはきっと私です。
石とか投げないでやってください。
医師ならむしろ呼んでやってください。
よろしくお願いします。


2005/03/22
こんばんは、お久しぶりです。
急に消えてしまっていて申し訳ありませんでした。
19日のLIVEが終わった後、どうも寒気がするなと思っていたら、
翌日のお昼過ぎに急に熱が出てきて、そのまま倒れてしまいました。
インフルエンザとのこと。
一時は熱が40度を超えてしまい、久々に完全ダウンしてしまいました。

昨夜、症状が小康状態になりましたので、
無理をおして寮に帰ってきました。
仕事が溜まっていましたし、なにより引越しの準備をしなくてはいけません。
引越しの日程は結局26日の土曜日になりそうな雰囲気です。
ちょっと早まりましたので、もうほとんど余裕が無い。
とはいえまだまだ元気に頭痛が暴れているので、
いきおいのんびりとした物になってしまいます。
出来る範囲でやっていくしかないのでしょうね。

さて、肝心のLIVEでしたが、ええと・・・。
どうだったのかなあ。
正直、今回のLIVEはいまいち良く分かりませんでした。
ただ、PAっていう、LIVEハウスの音周り関係がとても酷くて、
『ここのスタッフは耳が悪いのか、頭がおかしいのかなあ』という印象が強く、
どのバンドの演奏でも、なんだか音が割れていて各楽器のバランスが悪いため、
「一体なにを弾いているんだろ?」状態でした。
私達のバンドも、演奏自体も荒々しかったために、音が本当に酷かったようです。
LIVE後、「ギターが聞こえなかった」と幾人かに言われてしまい、
少々ショックだったりもしました。
リハーサルの時に凄く時間をかけて音作りしたのになあ。
前々から感じていたことではあったのですが、
仙台はなぜかLIVEハウスの力がとても強くて、
出演するバンドには発言力がほとんどありません。
「こうしてください」とお願いしても、「いや、それはさあ」と、
言い返されてしまうことが常です。
そして結局スピーカーから出てくるのはみんな一緒の音。
なんでこうなったのでしょうね。
仙台でバンドが育たないのも分かる気がします。
私は東京に住んでいた頃、ヘルプで幾度かバンドに入りましたけど、
その時のLIVEは決してそんなことはありませんでした。
こちらの好き勝手にやらせてくれて、なおかつ、
こちらの意向を汲んで助言してくれるような感じでした。
アーティストの周りを固める者として、それは当たり前のことなのでは?
とにかく、そういったことが当たり前だと思っている私は、
リハーサルの時にはいつもLIVEハウスと険悪になってしまいます。
私個人は別にいくら喧嘩しても平気ですが、
バンドメンバーが居心地悪そうにするので、いつも尻すぼみです。
一度で良いからLIVEハウスのスタッフをステージに引きずり出して、
スピーカーの前に土下座させてやりたいものです。

話が脱線しすぎました。
とにかく、なんだかなあ、なLIVEでした。
あ、ギターは頑張って弾き倒しましたよ。
「聞こえなかった」って言われちゃいましたけど・・・。
次のLIVEはどうなることやら。

そういえば体調を崩したのはそのLIVEのせいかもしれないそうです。
うちのバンドのベースであるThによると、
『お客さんの中にインフルエンザの人がいたのではないか』とのこと。
そんなThも、Thがつれてきたお客さんも体調を崩してしまったみたいです。
私達のLIVE中に、インフルエンザもLIVEしていたのかもしれませんね。

また頭痛が戻ってきたので薬を飲んで一眠りします。


2005/03/18
さて、いよいよ明日は私の在籍しているバンドである、
シルバーチャリオッツ(愛称、シバチャリ)の三ヶ月ぶりのLIVEです。
シバチャリはLIVEパフォーマンスに定評があって、
LIVEハウスの紹介では『激しいステージング』などと書かれたりします。
いや、自分達はそう思ったことが今まで一度もなくて、
初めてそういった紹介の文章を見たときには、
メンバーでひとしきり笑ったものですけど。
シバチャリの音楽はロックンロールです。
ちなみにうちのヴォーカルは、『仙台のロックンロール番長』とか、
わけのわからない呼称で紹介されてました。
実話です。これにもかなり笑いました。
番長って・・・。

シバチャリのLIVE評はこちらをどうぞ。
写真入りです。私は写ってませんけど(笑)
同LIVEでの私の写真はこちらです。

今回は久しぶりということもあって、無駄に気合が入っています。
・・・とかいいつつ、いつも全開のLIVEをしてますけど。
おかげでLIVEが終わった直後は楽屋で息も絶え絶えです。

LIVEはとても楽しいです。
バンドの醍醐味のほとんどがその瞬間にあります。
ステージの上はまるで別世界のようで、
そこに流れている時間は、とても密度の濃い物です。
スポットライトを浴びてギターソロを弾く時、
私はいつも目の前が真っ白になって何も見えなくなります。
ただ、音だけがそこにある感覚。
とても幸福で、泣きたくなるような時間です。

場所は仙台パークスクウェア。
チケットはお一人様1000円、プラス、ドリンク代500円。
オープンは18:30、スタートは19:00です。
お暇な方はまだ間に合いますので、ぜひ見に来てやってくださいね。
受付の所で『シバチャリ見に来たよ!』って言ってください。
よろしくお願いします。

ハジケてきます。


2005/03/17
弟の卒業LIVE。
高校の仲間達が集まり、LIVEハウスを借り切っての自主企画。
STARTは15:00。空はあいにくの雨。気温が下がっていく。
終了は21:30。
熱気に溢れたLIVEハウスの中から一歩出ると、
雨はすでに綺麗に上がっていて、澄んだ空気が街を静かに揺らしていた。

昨日の日記に書いた通り、弟のLIVEに行ってきました。
高校生活最後のLIVEということもあり、
とても特別なLIVEでした。
弟の高校、その中でも特に弟の世代は、
仙台でもカリスマ的な位置に存在しているらしく、
お客さんの動員数は総勢160人を超えたそうです。

11バンドが次々に入れ替わりながら、長いLIVEが行われました。
一言で言うと、素晴らしかった。
LIVE終了後に、私は弟に一言も告げず、その場を後にしました。
ちょっと目が赤くなっていたと思ったので、
その姿を見せるのが妙に気恥ずかしかったからです。

私は、高校を半年で辞めました。
そして自分の道を独りで歩いていくことを決めました。
そのことに全く後悔はしていませんし、
多分、とても上手く歩いてこれたと思っています。
ですが。

私は、彼らに嫉妬しました。
そして羨望を覚えました。
あまりに眩しくて、何度も目をこすりました。

そこには、私が諦めたものが確かに存在していました。

私は、高校に「何か」を求めていたのだと思います。
それは光のような、眩い何か。
そして私は、それが「存在しない」と結論付けて、
早々にあの窮屈なだけだった場所を抜け出しました。
それなのに。
彼らは「なに言ってんだ? ここにあるじゃん?」と、
無邪気に、でも本当に力強くそれを目の前に突き出してきました。
その何か、とは陳腐な言葉でいえば『青春』とか言われるものでした。
漫画や映画にしか出てこないような、それはそんな光。
私が諦めてしまった光。憧れてやまなかった光。
どうせ妄想の中にしかねえんだよ、と吐き捨てようとする私に、
彼らは圧倒的な実存として、それを見せてくれました。
それはどこかに「ある」のではなく、
自分達で作り出すものだというひどく当たり前のことを、教えてくれました。

思えば私は彼らの活動を、
彼らが高校に入り、動き始めた頃から知っています。
初LIVEも見に行っています。
演奏面や、ステージングなどについてアドバイスもしましたし、
何を望むのか、自分はなにをしたいのか、何が出来るのかを、
常に自分に問いつづけろ、と教えました。
そして彼らは真剣に三年間を走り抜けました。

そんな中で、昨日、気づいてしまったことがあります。
私は彼らを通して、自身が辿り着けなかった場所をそこに見ていました。
自分が出来なかったことを、彼らに期待していました。
無意識に、でも焦がれるような、どうにもならないほど切実な気持ちで。

LIVEが全て終了して、ステージの上は眩いスポットライト。
汗だくの彼らが綺麗な笑い声を上げながらそこにいました。
客席にいる沢山の高校生達がその姿に歓声を送りながら、
声もなく抱き合い、手を握り合い、泣いていました。
私は彼らのそんな姿に目を奪われていました。
瞬きもせず、彼らを見つめていました。
そして、自分が通り過ぎてきた場所を思いました。
取りこぼしてきてしまった多くの光を思いました。

明後日の19日、私のバンドのLIVEがあります。
なんと彼らが総出で見に来てくれるそうです。
私は、彼らに、彼らとは違う、一つの光を見せたいと思います。
彼らとは違う道を懸命に歩いてきた私の光を見せたいと思います。
それがせめてもの恩返しだと信じます。

最後に。
ありがとう、みんな。
本当にありがとう。
青春が本当に素晴らしい物だという事を、
それは恥ずべきものや、揶揄を込めて語るものでは決してないのだと、
こんな俺にも教えてくれてありがとう。
本当にありがとう!


2005/03/16
今夜はこれから出かけることになりました。
ちょっとお酒を飲んできます。

ところで明日は弟の高校生活最後のLIVEなんです。
今から本当に楽しみで、ワクワクしています。
彼もギターを弾くのですが、そのプレイは流石は兄弟、といった感じで、
なんだか私のプレイとフィーリングがとても似ていたりします。
面白いですよね。
客席でにやにやしながら応援しようと思っています。

ああ、もう時間が余りありません。
それではまた明日。


2005/03/15
急にチェルノブイリの現在について知りたくなり、
webで色々と見て回ったりしていました。
その途中で見つけたサイトがとても興味深かったので、
皆さんにもお教えしようと思います。

エレナのチェルノブイリへのバイク旅(日本語翻訳版)

英語版はこちらです。

これはウクライナに住むエレナさんという方が、
自身のバイクでチェルノブイリの汚染地帯を旅して回った記録です。
貴重な資料だと思います。何より内容がとても分かりやすいです。
もしチェルノブイリに興味があれば、ご一読をお薦めします。

チェルノブイリについてはどうしても放射能汚染濃度や、
被爆者の後遺症(甲状腺癌)の状況だけが注目されがちですが、
エレナさんの記録の貴重なところは、
汚染され、人が立ち入れなくなり、時が止まったかつての街の情景を、
人々の想いや自身の気持ちなどを最優先にして、
丁寧に、しかし淡々と語ってくれていることだと思います。

もし英語力が堪能であれば、英語版を読むことをお薦めします。
そちらの方が少し具体的に書かれているようですので。
まあ、私はちょっと英語が苦手ですので、
書かれている事の半分くらいしか理解できませんでしたけど。
う〜ん・・・。情けない。もっと勉強したいなあ。

しかし・・・。なんだかあれですね。
こうやって失われた街の写真の数々を見ていると、
何とも言えない気持ちになってきます。

プロメテウスをご存知ですか?
ギリシア神話において、神から火を盗み、
人間に与えてくれたティタン(タイタンの方が一般的かな)神族です。
その体は不死で、巨体だったのですが、とても優しい神様で、
人に様々な知恵を与えてもくれ、
しかし、明日への希望を失わないようにと、
未来を知る能力を奪い去った神様です。

しかし、神界から火を盗んだことでゼウスの怒りに触れ、
カウカサスという非常に険しい山の頂に縛り付けられ、
毎日大鷲に肝臓を食べられるという苦しみを与えられました。
不死身ですから、生きたまま内臓をついばまれるのです。
しかも、永遠に。
プロメテウスは長い時を経て、ヘラクレスに解放されるまで、
たった一人でその苦しみと戦いつづけていました。

エレナさんのチェルノブイリの写真を眺めていたところ、
最後のページにプロメテウス像の姿を見つけました。
皮肉ですね。とても悲しい皮肉だと思います。
ゼウスは正しかったのかもしれませんね。さすが全能の神です。
プロメテウスは今のこの世界を見て何を思っているのでしょうか。

なんとも気持ちが沈む話です。

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話は変わりますが、私には昔からの大きな夢があります。
それは徒歩でベトナムやモンゴル、そして中国を放浪することです。
そして多分、一度行ったらそのまま帰ってこないと思います。
尊敬してやまない詩人達・・・、
李白や杜甫、尾崎放栽、種田山頭火、小林一茶、松尾芭蕉、
それに思想家達、荘子や老子のように、
旅に生き、旅の地で死にたいと思っています。
今も少し放浪癖がありますが、
それはせいぜい1、2週間ほど、国内限定で原付バイクを使っての話です。
そうじゃなくて、あてもなく、フラフラと、
飢えたり病んだりして倒れるまで世界を見て回りたいのです。
そして行く先々で色々なことを考えたり、
言葉を紡いだりしたいと思っています。
路銀はそうやって書いたものを日本に送って、
原稿料で行ける所までレッツゴー・・・とか(笑)
そんなことを妄想していたりするんです。

『願わくば花の下で春死なん その如月の望月の頃』
と詠んだ一茶のように生きても良いし、
酒に酔って湖面に映った月をとろうとして、
見事に溺れ死んだ李白のように生きてもいい。
どうとでも生きていけるはずです

今回、エレナさんの写真と文章を見ていて、
気が急いて来てしょうがない私でした。
一応、予定では三十歳頃に出かけようかなって考えてますが、
中国語などを学ばなくてはならず、道は遠そうです。
いやあ、無謀ですよね。

幸い、音楽をやっていますので、
弦楽器だったらなんとか即興でどの国の人とも演奏できそうです。
それだけを心の栄養にして頑張りたいと思っています。


2005/03/15 お昼
正規の日記に先駆けまして。
昨日更新したTOPテキストに感想を頂きましたので、
私なりの所感をここに書き残しておきたいと思います。

最近、病弱な花々のTOPはとても優しいものばかりでした。
その為か、最近このサイトを訪れてくださるようになった方が、
『BRILIANT WORLD』の暴力性に戸惑われているようです

実は私は、元々この方向性の物ばかり書いていたような人間でした。
16から18歳の頃の作品は、もっと直接的で攻撃的な物を書いていました。
それゆえ『BRILIANT WORLD』は私にとってとても自然な作品でもあります。
ここ数年、心境に多少の変化があり、穏やかな作品も書くようになりました。
しかし今回、『BRILIANT WORLD』を書き上げたのは、
ちょっと理由があったりしました。

実は最近、知り合いの編集者から、
ある新人向け短編賞の第一次審査員を頼まれています。
すでに締め切られたそれは、応募総数300を超える、
短編賞としてはなかなか大きな催しになっているそうです。
一次審査ではそれを30前後まで絞るらしく、
私にはそのうちの10篇をお願いされました。

短編というのは難しいものです。
原稿用紙80枚ほどで何を語るか。
長編に較べてこれはとても難しいです。
半端な短さのために、どうしても詰め込みすぎたり、
逆にスカスカになってしまったりします。

私はマーカー用の赤ペンと、メモ用紙を片手に読み始めました。
そして酷くがっかりしました。
短編はテーマが全てと言っても過言ではないです。
にも関わらず、それが不透明な作品がとても多かった。
加えて、私が受け持った分がたまたまそうだったのかもしれませんが、
なんとも暗い作風が多く、
しかもそれらのほとんどが、何とも薄っぺらい個人の愚痴にしか聞こえない、
しかしどこかで誰かの顔色を窺っているような、
なんとも卑屈でお粗末な内容でした。
そしてそういう作品ほど言葉の誤用が多く、
「ああ、この人は自己満足でしか物を書いていないなあ」と、
なんだか寂しい気持ちにさせる物でした。

一つに勉強不足。
二つに主題の不透明。
三つにただなんとなく書きました、という雰囲気。
四つになんだか響きが良いだけの底の浅い言葉達。
五つに物語に対する、人生に対する覚悟の足りなさ。思慮の浅薄さ。

私はプロではありませんが、頼まれて商業誌に寄稿することもありますので、
そういう時には完全に頭を切り替えて書いています。文体なども変わります。
逆に、あくまで個人的な物を吐き出す時には、
この病弱な花々や、誰にも見せないノートの中などに書き散らしています。
私が今回見た作品の多くもまた、個人的な領域を出ないものでした。

結論から言えば、私は受け持った全ての作品に、
一次通過該当作なし、のメモを添えて、編集部に送り返しました。
通常、応募作品は作者に返却されないものですが、
私が見た作品に限っては、編集部を直接訪れた方にだけ、
返却してもらえるようお願いしました。
全ての作品に赤ペンでびっしり添削をしましたので、
返却された方は怒りさえ覚えるかもしれませんが。

『BRILIANT WORLD』は「眩い世界」というほどの意味です。
そしてその眩い世界というのは自分の中にだけある世界、
つまり自己満足の世界のことです。
現実世界を冷静にかつ注意深く見詰めてみれば、
そこは決して眩くなんて無いはず。
其処此処に洞のような闇が口を開けています。
それに立ち向かうこともせずに、安易な安寧を得ようとしている。
私は今回の作品の多くにそれを感じました。
そしてそれを攻撃的な言葉で『BRILIANT WORLD』に託してみました。

欺瞞だって突き詰めればそれは素晴らしいものになります。
私が残念に思ったのは、それすらも追求できない軟弱な姿勢でした。
人の共感を得たいと望むのなら、社会的な状況や世論に耳を傾けて、
大衆が何を望んでいるかを念頭に置いた上で真剣に作品に望めばいい。
いや、自分はどうしてもこう感じ、主張したいのだ、と思うのなら、
例え99人に罵声を浴びても、1人の心を激しく揺さぶるような、
燃え上がる作品を自分の全てをかけて書き上げればいい。
両方ともできないのなら、自分なりの書き方を探し求めればいい。
そしてやはりそれを極限まで磨き上げていけばいい。
私が憎むのは、それらのどれでもない宙ぶらりんな姿勢です。
これは、常に力を入れて書けということではありません。
人に認められたいのなら、もっと出来ることがあるのではないですか、と、
私は聞いてみたいのです。

眩い世界は自分の中だけで完結させるものではなく、
自分を飛び出して、もっと大きな所で発露させるものであればいいと思います、
数値化されたRGB(レッド、グリーン、ブルー。つまり光の三原則です)、
しかし本当の色彩や光というものは、到底数値化できないものです。
手軽で分かりやすい方法ではなくて、自分なりの世界を彩る。
そういった作品に出会いたいなあ、と思います。

世界には素晴らしい作品が溢れていますよね。
頭をクリアにして、一度それらに本当に触れることが出来れば、
きっと沢山の事がわかりますよ。
『BRILIANT WORLD』は私自身の自戒も含めた、
物を書こうとしている方へのメッセージでした。

・・・・・・。

というわけで、あのTOPテキストにはそんな経緯があったんです。
ともあれ、驚かせてしまったことは申し訳なく思います。
ごめんなさい。私はこういう人間です。


2005/03/14 本日二回目の日記
急遽、外出が取りやめになりました。
ぼんやりとギターを弾きながら物を書いたり、
タバコを吹かしたりしています。
こういう時、お酒が切れていると寂しいものです。

なんでだか今夜本来会う予定だった人間と、
延々と携帯メールで他愛の無い話をしているのですが、
これがとても愉快で興味深かったので、
記録としてここに残しておくことにしました。

益体も無い話から、いつしか話題は恋愛の話へ。
私は恋愛ごととは無縁の無粋な人間ですので、
どうしても聞き役になります。
彼はずっと前から結論の出ない恋愛に縛られている人間です。

ところで携帯のメールというのはタイムラグがありますよね。
私はぼんやりとネットでサイト巡りをしながらメールをしていました。
途中、今の彼の状況にあっているような言葉を見つけましたので、
彼にそのまま送ってみました。

 『いくつになっても、じょうずに恋ができません』

さて、どんなものか、と返信を待つと・・・。

 『じょうずも何も、好きなもんは好き、だめなもんはだめ。』

というレスが。
私は大笑いして、こいつはすごい奴だなあと、ほとほと感心したのです。
芝居がかった思わせぶりな言葉よりも、
私は彼のシンプルだけど力強い言葉を愛します。
レスを返してみると、また返信が。

 『恋のゲームをナウプレイングですから。切実よ。』

私は深く考え込まされて、すぐに諦めました。
いくら想像を働かせたところで、
現実に恋と戦っている彼の苦しさは到底理解できないだろう、と、
そう素直に思えたからです。
末尾の『切実よ。』の一言が胸に突き刺さりました。

恋愛って本当に面倒で、複雑で、馬鹿馬鹿しくて、
それでも人の心を捕らえて離さない不思議な物ですね。
彼はそんな物の一端をいつも私に見せてくれます。
恋を知らない私にも、その場の隅にいさせてくれます。
きっと伝わっていないだろうけれども、とても、感謝しています。

それにしても。

 『ほれ薬くれ』

これがメールの最後に付いてなかったら滅茶苦茶感動したのになあ。

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追記。

日付変更前に何とか間に合いましたので、TOPテキストを更新しました。


2005/03/14
久しぶりに詩を書きました。
『十六夜挽歌』ということで。
読む方によっては一目瞭然ですが、
宮沢賢治の『青森挽歌』に強い影響を受けた作品です。

ただ、元々そういった詩を書こうと思ったのではありません。
この詩を書いたのは、昨夜の作業中についうたた寝をしてしまった時、
何とはなしに見た短い夢を元に書いてみようと思ったからでした。

私は夜行列車に乗っていました。
同じ車両に乗客は私の他に数人いますが、
みな静かに話していて、レールを滑る列車の音が大きく響いていました。
そして断続的に続くそれはやがて波の音のように聞こえてきました。
どこかで赤子の泣く声も聞こえましたが、掻き消されていきました。
闇を写す窓には自分の顔が移っていて、
外では時折、思い出したように電灯が光っては通り過ぎていきます。
私は独りでした。
私は、その列車に乗って、
誰か懐かしい人の下へと行こうとしているようでした。
そしてそれは何故かとても悲しい決意でもって行く道行きのようでした。
列車は駅に停まらずに、緩慢な速度で夜を渡って行きます。
車内販売の声が聞こえてきたところを考えると、
どうやら寝台列車のようにも思えましたが、
私が乗っていたのは普通の座席で、どうもそんな感じもしませんでした。
それは夢の曖昧なところなんでしょうね。

やがて、車両の前のドアが開いて車掌さんと見られる方が来ました。
他の人の所には止まらなかったのに、何故か真っ直ぐ私のところに来て、
黙って右手の平を私に向けました。
私はしばらくぼんやりとそれを見つめた後、ふと我に返り、
慌ててポケットの中を探りました。
でも、何も見つからなかった。
困り果てて正面に立つ彼を見上げると、
何時の間にかそこには誰の姿もありませんでした。

次に気が付いたとき、私は見知らぬ山道を歩いていました。
やはり時間帯は夜。
道の両端から生えた木々の波の間から、
靄がかった空を通して、僅かに欠けた月が見下ろしていました。
道は曲がりくねっていて、やや険しく。
私は酷く絶望的な気分でひたすら歩を進めます。
そしてふと、「ああ、自分は今、帰っている」と思いました。

夢はここで終了です。
目覚めたとき、なんとも言えない気持ちになりました、
昨日はそのまま眠ってしまったのですが、
今朝になって、ふと文章にしてみることにしました。
そして途中、青森挽歌のことを思い出したのです。
ああ、私が見た物の原風景は、まさしくあの詩の世界ではないか、と。

気が付けば『十六夜挽歌』は書きあがっていました。
迷いましたが、UPすることにしました。
2005年最初の私の詩です。例によって難解な物になってしまいました。

宮沢賢治はどのような闇を見ていたのでしょうか。
書き上げたばかりの十六夜挽歌を読み返しながら、
今日、私の頭から離れなかった悲しみは、そのようなことでした。

-------------------------

蛇足。

本日、ようやく愛妻(ギター)が退院してきました。
思ったよりも長引いた入院のために私は気が狂いそうでしたが、
ようやく私の胸に返ってきてくれました。
妻がそこにいてくれるだけでここまで心が安定するのか、と、
今更ながら痛感した次第です。
最近、なんとも言えない不快感や、イライラ感が常にあったのですが、
嘘のように消えてくれました。

残念ながら、今夜はこれから出なくてはいけません。
明日は一日中妻と戯れていたいなあ、と思います。


2005/03/13
「悩みが無さそうでいいね」
よくそんなことを言われます。
確かに。
私には悩みがありません。

「後藤さんは強いですね」
今日、そんなことを言われました。
ええ。自分でもそう思います。
愚痴も弱音もめったに吐きませんしね。
たまに冗談で口にはしますが。

聞きなれてしまった言葉はいつもどこか空疎で、
何も心に響かないまま通り過ぎていきます。

私が懸念するのは、人にそういうことを言ってしまえる人間は、
きっとどこか別の場所で、誰か別の人にも、
そういった心無い言葉を投げつけているのではないか、という事です。

私は強く、悩みも無く、生きる力も覚悟もあります。
だから何を言われても動じませんし、気に留めません。
ですが、もし配慮の足りない言葉を投げつけられた他の人が、
実は人一倍弱かったら。

悩んでいる、傷ついている、と、
声高に辺りへ撒き散らす人がとても多いです。
そしてそんな人ほど、自分だけしか見えていないものです。
同じ社会に生きて、同じ時代に生きているのだから、
我と彼との間に、そこまで大きな隔たりが生じるものでしょうか。
貴方が苦しんでいる瞬間に、きっと相手も同じくらい苦しんでいます。
どちらにせよ、他愛の無い苦しみであることが大半ですが。
本人達にしたら大真面目で大きな問題なのでしょう。
まあ、この際、自分に酔っていると言い換えてしまいましょう。

弱さ、というものがいつのまにか肯定される時代になりました。
気が付けばどこを向いても『苦しい』、『辛い』、『痛い』。
オンパレードです。バーゲンといったほうが適切かもしれません。
繊細、という言葉で巧妙に表現されるそれらは、
でもはたして本当に実像のあることなのでしょうか。

私は『弱い』という言葉が嫌いです。
『情けない』と言います。
オブラートに包まれた言葉も、
こうすればほら、一つの姿が見えてきます。
流石に愚痴を『戯言』とは言いませんが。

誰か自分を理解してくれと声無く叫ぶ群衆に呑まれて、
誰か自分に価値を付けてくれと右往左往する人々に揉みくちゃにされて、
私のように悩みの無い人間は困惑すること頻繁です。
その人が何をそんなに悩んでいるのか分からないからです。
どうしても、分からないからです。

「これこれが辛い」と言われて、「じゃあやめれば?」と言おうがものなら、
その瞬間に自身が恨みの対象になってしまいます。
じゃあ、どうすればいいか。
黙って「うんうん」と聞いていればいい。これが正解です。
ですが、あいにく私には時間がありません。
そのような座興に付き合える余裕がありません。
やるべきことは山積みで、期限も迫っています。
そして私は不治の病です。
もうすぐ24歳ですので、後56年後くらいには死んでしまうでしょう。
それは誰もが決して超えられない、不治の病です。
私は、時間が惜しい。惜しくてしようがない。
やりたいこともまた多いからです。

こういった視点で辺りを眺めていると、
まるで人間世界を俯瞰しているような、そんなような感覚です。
仙人様にでもなったつもりか、と、
時折自身の内に潜む得体の知れない優越感を叱り付けます。
でも、それすらもどうでもいい事。
この道をひたすら歩き続けていくのに較べてたら、
それはなんと小さなことなのでしょう。

街の明かりの下では今日も沢山の人々の思惑が渦巻いています。
山の上にあるこの場所の、私のお気に入りの木は、
今日も音も無く、そこにあります。

どうでもいいこと、この世にいくつあるだろう。
きっと、私たちが考えているよりもそれは遥かに多い。

『優しさ』に興味が無い私は、そう言い切ります。

今日ある人と話していて、日頃から感じていたことが、
少し自分の中でまとまったので書いてみました。
誰に向けるわけでもない、下らない『愚痴』です。


2005/03/12
昨日の飲み会では途中で眠くなってしまい、
結局午前一時過ぎくらいに先に抜けてしまいました。

呑みながら気づいたのですが、昨日の飲み会って、
私にとっては寮での最後の飲み会だったんですよね。
でも、あまり気負わずにぼんやりと楽しめました。
お腹いっぱいに物も食べましたし、
お酒も沢山飲めましたし。
お喋りもまあまあ進みました。
私、酒の席ではあまり喋る方じゃありません。
いや・・・。普段もあまり話さないかも。

相変わらず皆のお酒はゆっくりで、
一人でこっそりとズンズン盃を進めてしまいました。
どうしてだか寮では(大学でもかも)、
手酌(てじゃく、と読みます)が許されないのですが、
「あ、今こっちを誰も見てない・・・それっ」ってな感じでコポコポと。
コポコポというよりか、ドボドボと。

ああ、手酌っていうのは、人に注いでもらわずに、
自分でコップにお酒を注いで飲むことです。
独り酒が多い私は、つい自分で注いでしまうのですが。

寮には他にも独特の作法が幾つかあって、
私はそういったものが少々苦手なのですが、
まあ、ローマに入ればローマに従えとも言いますし。
寮に入ってからというもの、それなりに楽しんできました。
それももう終わりですねえ。

宴会の席で、切れ目も脈絡も怪しいノリで先輩や後輩が話す、
なんとも当り障りのない、しかし罪も無い話は、
そうやって杯を進める私の上を微かな音を立てて通り過ぎていきました。
奇妙な時間ですね。宴会というのは。
それとももしかしたら、私が慣れていないというだけで、
多くの人にとってああいう時間は頻繁にあるものなのでしょうか。
どちらにせよ、あまり印象に残ることは少ないだろうなと思います。

寮に入ってからというもの、多くの飲み会を経験してきましたが、
いつもその印象は希薄で、頼りないものです。
ただ、誰かが楽しく大騒ぎしているのを、
とても愉快な気持ちで眺めていたなあ、ということは、
強い印象として残っています。
多分、大学を卒業して、数十年経ったとき、
私はこの寮での宴会を思い出さないのではないかと思います。
漠然と「寮は楽しかったなあ」という一種の風景になると思います。
沢山の出会いがありましたしね。

思えば今私が在籍しているバンド、シルバーチャリオッツも、
その加入の経緯は寮つながりでした。
奇縁というものなんでしょうか。
それとも、そういう物だったのでしょうか。
どちらでもいいと思っています。

引越しの日程が決定しました。
三月二十八日に寮を出て実家へ帰ります。
やはりその頃はまだ実家にネットが繋がっていない模様です。
しばらくweb上から消えることになりそうですね。
なんだか三月から四月の中頃にかけてとても忙しくなりそうですので、
ちょうど良かったかもしれません。
ちょっと充電したいなとも思っていましたし。

後十六日。
それまではこの場所でのんびりと言葉を吐き出していようと思います。
実家に帰る前までに何らかの作品を発表したいですねえ。


2005/03/11
もうすぐ19:00です。
こんばんは、後藤あきらです。
これから寮の飲み会があります。
男子寮の飲み会というのは、全員が潰れるまで続くので、
多分午前三時くらいまでは終わらないと思います。
楽しみです。

ただ、みんなあんまりお酒が強くないので、
どうしてもお喋りが多くなってしまうのだけが寂しいのですが。
貴様ら、もっと呑まんかい!

ひとりでぼんやりと飲みつづけようと思っています。

明日の午前10時からバンドの練習があるアキラでした。
それでは。


2005/03/10 夜
愛ってなにかな、と思うところがありました。

最近、恋愛の心理とかシチュエーションが知りたくて、
ネット上の悩み相談のようなサイトを見ていたりします。
現在書いているシナリオが恋愛物ですので、
自己経験が圧倒的に不足している私にはとても必要なことです。

それで・・・。
いつものようにつらつらと話を目で追っていって。
一つ一つの事例にちょっと考え込んだりもしてみて。
ふと、気づいたことがありました。
恋って、ほとんどの人が結婚を、
そしてその後のことまでを考えていないと思いませんか?

出会いがどうたら、とか。
現在付き合っている異性がどうの、とか。
思いを伝えたいのだけれども、とか。

私は、恋愛自身にはほとんど興味がありません。
ですが、結婚・・・というよりか、「家族」に深い関心があります。

随分昔から夢想していることがあって、
「この人と」と思える人と家庭を作り、
子供を育て、幸せを守っていきたい、という強い想いがあります。
それはきっと、とても難しいこと。
でも、それはきっと、とても嬉しいこと。幸せなこと。
誰かを幸せにするために生きること。
そして自分も幸せになっていくこと。
誰か、というのは他ならぬ家族のことです。

私は家族を愛しています。
父と母を心から尊敬していますし、
二人の弟のことは全力で守りたいと思っています。
自分に出来ることはとても少ないのですが、
家族の為に何が出来るだろうかとよく考えます。
それは親不孝の限りを尽くして、
一度、家族を滅茶苦茶にしてしまった後悔から来ている、
とても強い気持ちです。
辛いことがあっても、最後にはみんなで笑っていられるような、
そんな幸せな家族でいられたら良いな、と。

この気持ちは、愛、なんだろうなと思います。

悩み相談が載っているサイトを見ていると、
そこで語られている恋と、私が現在抱いている気持ちには、
どうにも大きな温度差があるような気がしてなりません。
注意深く悩み事を相談している人達の声を読んでいると、
そこには個人的な願望と欲望が渦巻いているように思います。
自分一人だけの話をしているように見えてきます。
恋とはそういうものなのかもしれません。
周りが見えなくなって、とにかくがむしゃらになる。
そういうものなのかもしれません。

恋は、やがて愛になっていくのでしょうか。

私は恋を知りません。
独占欲がありません。願望もありません。異性に何かの期待もしていません。
でも、そんなことを全て飛び越えて、
言葉にならないような気持ちを抱かせてくれるような人を待っています。
夢見がちなんですね。単純な話。

喪失の痛みを忘れることも出来ないまま、
私は大人になってしまいました。
そしてとても臆病になってしまいました。
変わること、それは避けられない事だとわかっている。
でも、できれば何も変わらないで欲しい。
私の大切な桜は切り倒されました。
今ではそこに綺麗な駐車場ができています。
便利な場所にありますので、頻繁に車が出入りしているようです。
目蓋を強く閉じれば、あの懐かしい場所はすぐに甦ってきます。
でも、それは心の一景色に過ぎません。
また春が来ますが、あの桜の木の下で舞い散る花びらを受けながら、
新しい約束を交わすことも、もう出来ません。
現在の私の知人には、あの場所を知るものがいませんので、
あの美しさを誰かと語り合えることも生涯無いでしょう。

思うに、家族とは変化でもあると思います。
一人が二人になり、さらに三人になり・・・。
子供はどんどん成長していくでしょう。
最近、私は鏡で自身の顔を見ても、
数年前から大きくは変化していないように感じます。
ですが、自分の子供となると話は別です。
子供はあっという間に大人になります。
それを近くで見守るのが親です。
そしてそこに、時間の流れと、変化を見ます。
景色は変わるのだということ。

誰かを幸せにしたい、愛したい、という気持ちの中には、
そんな、変化を受け入れよう、という気持ちも、
ほんの少しだけ入っているのかもしれません。
そして、そんな移ろいを共に見守っていきたい、と、
心から願う相手がいたとしたら、それこそが愛なのかな、と。
私のつまらない妄想でしょうか。

恋愛シナリオを書いています。
私は、ただ単に恋ではなく、
それを含めた『恋愛』を書きたいと思います。
綺麗じゃなくても構わないんです。
大きな流れの一部を取り出して、それを大切にしたい。
とても難しそうですよね。

悩み相談のサイトを見ていると、時折とても胸が痛みます。
みんな幸せになれたらいいな、などと、
能天気に願ったりします。
恋を知らない私はお気楽です。その苦痛を知りません。
だから、何の他意もなしに、
いつか恋が愛に変わって行けばいいな、と思うのです。
個人の欲望が少しずつ洗練されていって、
切実な願いになるといいな、と思うのです。

それにしても。

幸せにしたいと心から願える相手を見つけなきゃなあ・・・。
前途多難です。

--------------------------

ずっと書き忘れていましたが、先月、友人が結婚しました。
恋多き男でしたが、やっと落ち着いたようです。
毎日ひたすら働いて、自分なりの家庭を作ろうとしている彼を、
私は心から祝福し、応援します。
幸せに。どうか、幸せになってください。

実は来週は知り合いの出産予定日だったりもします。
彼女にとって初めての子供ですので、周りも本人も不安そうですが、
経過はとても良好との事。生まれてくる子は女の子だそうです。
無事に生まれてきてくれるといいなあ。
実はその知り合いっていうのは、昨年10月に掲載したTOPテキスト、
『手紙』の中で電話を寄越した人物だったりします(笑)
テキスト中での名前は仮名ですけど・・・。
あれを書いた頃はまだ先の話だなあと思っていましたが、
時間が流れるのは本当に早いものですね。


2005/03/10 お昼
いつもよりもちょっと時間が早いですけど、
私が在籍しているバンド、シルバーチャリオッツの、
本当に久々のLIVEが決定しましたのでお知らせします。

3月19日(土)
at 仙台パークスクウェア
イベント名『PUNK ROCK ATTACK vol.3』
open18:30 start19:00
チケット \1000
対バン the JUMPS(東京)/HIGH-SIDE/DRUNKER/モゾコ☆MAX/NADSAD

ええと、the JUMPSは歴史のあるバンドで、
全盛期時代はなんと、あの『リンダリンダ』などで有名な、
ザ・ブルーハーツと並ぶ人気だったとか。
私も実際に見るのが楽しみです。
すでに岩手などの方からも『シバチャリでチケット余ってませんか』などと、
問い合わせの連絡が来ているみたいです。
シバチャリを見に来てくれよ〜(笑)

さて、そんな中、シルバーチャリオッツは今回トリです。
なんでやねん・・・。
とにかく私たちも昨年12月以来、久しぶりのLIVEですので、
気合を入れて頑張ってきます。

そのせいか今回、お客さんがいつもよりも多くなりそうです。
確実に見たい方は私にメールしてやってくださいね。
よろしくお願いします。
当日でもまだ少し余っているとは思いますが。

今日はこれからバンドの練習があります。
気合入れて頑張ってきますよ。


2005/03/09
宗教って何なのかなあ・・・。
そんなことを思いました。

ネットでつらつらと調べ物をしていて、
特に意識もせず、リンクを慢性的に辿っていった所、
どうしてそんなところに辿り着いたのか、
おそらく違う宗教(もしかしたら宗派かも)同士の人達が、
口汚く口論している掲示板に行き当たってしまいました。
「ほえ〜」とか言いながらちょっと眺めてきたのですが、
これがなんとも。

私は宗教を信じていません。
でも、あえて追求するとしたら、
一つ、信じている宗教(というか最近は思想って言われるかなあ)を、
ぼんやりと信じています。

それは古き日本に存在した、学説名ではアニミズムとか呼ばれる、
いわゆる自然崇拝です。

・・・ふむ。
『崇拝』とか言うとやっぱりちょっと違う気が・・・。
でも、一般にそう呼ばれているのでしょうがないですよね。

八百万、という言葉はご存知ですか?
『やおよろず』と読みます。
意味は『数限りないもの』、もしくは、『全て』という物です。
古来、日本では多いものを表す時や縁起の良い数字に、
『八』という字を好んで使用してきたようです。
末広がりで、なんとなくいい感じがするからでしょうか。
八重桜(やえざくら)や八百屋(やおや)なんて言葉もありますね。

脱線しましたが。
アニミズムでの考え方の一つに、『八百万の神』というのがあります。
つまり、この世に存在するもの全てに神様がいるんだよ、と、
そんな考え方のようです。

日本では、死んだ人間を『仏様になった』と言うように、
神様になる、という考え方をします。
人が亡くなってから、四十九日が立ったら忌明けになり、
親族で形見分けを行ったりしますよね。
一応、これは仏教形式ですが、実は日本的な物でもあります。
突然ですが、人間は50の神様で出来ているのだそうです。
きっと昔は、人間の部位を50で考えていたからだと思いますが。
これが、その人が亡くなった後、一日一日、一つ一つ還って行く。
そして全ての神様が還った後で、最終的に弔うわけです。
最後に弔う物っていうのは、その人自身の魂ですね。
つまり、四十九日にはそういう意味合いがあったりします。
今ではほとんど知られていない、とても古い考え方に則った儀式です。
面白いですよね。

話が大分ずれてきました。
ええと、私が遭遇したサイトは一神教の宗教のサイトでした。
まあ、そこで信者さんたちが自説を展開しながら争っていたわけですが。
・・・なんだかな、と。

神様は神様で何がいけないのでしょうね。
例えば・・・そうですね、空を見上げてみてください。
どれほど言葉を違えても、それにどのような想いを抱いていても、
思想や、文明や、文化などに大きな相違があっても、
太陽は太陽。月は月。誰かと誰かの間で何か変わるのでしょうか。
きっと神様とか呼ばれるものもそれと変わらないと思います。

それを誰かが一方的に定義して、果ては訳の分からない規律を作り、
それに従わないものを一方的に弾圧する。糾弾する。罰する。
とても愚かで悲しい行為に私は思えます。
それは何とも言いようが無い、一つの傲慢に思えます。
神の代弁者を名乗る人がいますが、何をトチ狂っているのか、と。
そもそも神様って言うのは、誰かにだけ一方的に都合のいい、
そんなみみっちいものなのかと。
神に代わって裁くなんて、よくもそんなことが言えたものだな、と。
少なくとも私はそんな物を神様とは呼びたくありません。

春の気配が薄く匂う風の中でぼんやりしていたりすると、
物事は鮮明に見えてくるものです。
そして、自然は平等だなあ、と、深い感慨を覚えます。

あちらで大騒ぎしている人の上にも、
こちらで静かに生きている人の上にも、
誰かを虐殺している人の上にも、
声も無く殺されていってしまう人の上にも、
なんの差別も無くまた季節は巡ります。
太陽は東から昇ってきて西へ落ちていきます。

全ての物の中に神様は宿っている。
そう考えてゆっくりと世界を見渡せば、
なんだかとても優しい気持ちになって来るような気がします。
物も大事にするようになるでしょうし、
様々なことにも感じやすくなってきます。
私は、それでいいなあ、と思います。

ん〜・・・。
なんだかまとまりがありませんが、
ふと思ったことをつらつら書いてみました。

宗教について言及すると、
なんでだか色んな人が湧き出てきて自論を叩きつけてくるので、
正直、避けようかな、とも思ったのですが、
まあ、私の個人サイトだし、
ここは思想と表現の自由が保障されている、
とても恵まれた国のはずの日本だし、
いいかな、と思って書きました。

「俺も宗教なんざ信じてねえよ! 仲間ジャン!!」とか、
そういうつまらない同意の声は聞きたくありませんので、
メールなどはご遠慮願いたく思います。
そういうのは自身のHPを立ち上げるなりなんなりして、
そこで熱く語ればいいと思いますので。
貴方には表現の自由と、思想の自由がありますから。
その代わり、それに伴う面倒ごとに対する保証はいたしかねます。
自由には常に責任が伴うのですよ〜。
ネットにはそこのところの自覚できている人が少なく思われます。
匿名掲示板で騒いでいるのは楽かもしれませんが・・・。

ですので、もし病弱な花々の掲示板に書き込みくださっても、
私自身が興味をひかれる内容ではない場合、返信はいたしません。
私の方針として、よほど酷いもので無い限りは削除しませんけど。
よほど酷いもの、とは・・・。一例をあげれば、
議題に対する議論ではなく、誰かの人間性などに言及して、
それを侮辱するような行為です。
あ、私個人に対する誹謗中傷ならOKです。
厳粛に受け止めますので・・・。
よろしくお願いします。

うわ。長くなってしまったよ。
難しい問題を話そうとすると、どうしてもまとまりませんね。
未熟だなあ・・・。


2005/03/08/12:30
今日はこれから仕事の打ち合わせで出かける予定です。
帰りは明日のお昼頃になるかと思われます。

以下は私信です。
携帯のほうに連絡をもらっても、
19:00くらいまで出られないかもしれません。
よろしくお願いします。

それでは行ってまいります。


2005/03/07
昨日のアサイさん日記が興味深かったので、
今日はそれを勝手に取り上げてお話してみようと思います。
まずは引用から。

>創造主としての、神としての自覚はあるか。答えはノーだ。
>僕は文章を書くときに、いつもそんな自問自答を繰り返している。

実際、物語を書くということは、
得てしてその世界での神になるということかもしれません。
登場人物達の運命は書く人間の気持ち一つで容易く左右されてしまいます。

・・・と、物を書かない人は思いがちです。

それがそうでもないんです。不思議なことに。
文字という記号で綴られ、語られる世界が物語ですが、
そこには、生命があります。
物を書いていると、それを強く感じます。
到底無視できないほど強いものです。
もちろん、完全に黙殺して書きつづけることも出来るでしょう。
ですが、その瞬間に物語が自身の手を離れていくような感覚を覚えます。
そして一度そうなってしまったら永久に帰ってきません。
不思議なものです。
もちろん、その限りではない物書きも世の中には沢山いますが。

さて、取り上げておいてなんですが、
私とアサイさんの書く姿勢には幾つかの隔たりがあります。
今回、一番顕著だったのが、


>僕が書く物語の中だけでも、彼らには幸せでいて欲しいと願う。
>僕がひとが死ぬ物語を書かないのはそういう理由だ。

という一節でした。

私の物語を読んで下さった方はご存知だと思いますが、
私の物語の中には人が死ぬ物もありますし、
悲しいエンディングを向かえる物も少なくありません。
それなら私は、そういった物を自ら進んで書いているのか。

違うんですよね・・・。
できれば私も、私が書く物語の中でハッピーエンドを向かえて欲しいし、
誰にも死んで欲しくはありません。
ですが私の書き方だと、
そういった自身の要望が反映されないことが多々。
物語は勝手に渦巻き、勝手に収束していきます。
私はいつもそれを指をくわえて見ているような、
そんな奇妙な感覚を、書いているときに感じていたりします。
奇妙な疎外感と、見守る意思と。
そんな訳の分からないものに挟まれて、ひたすら見つづけます。

どうにもならないこと。

村上春樹の『風の歌を聴け』という小説の中に、
鼠の書く小説は人が死なないことが優れている、
というような一節があります。
初めて読んだとき、それはどうかな、と思いました。
物語がそれを望んでしまう場合というのがあります。
そしてその結果は、作品の優劣に何ら関係がない気がします。
古今の優れた小説の例を出すまでもなく、
人が死ぬものは沢山ありますね。
だけど、それらは全て無意味に死んだわけじゃなくて、
きっと作者も殺したくて書いたわけじゃなくて、
きっとどうしてか、そうなってしまった。
そうならなければいけなかった。
私はそう思っています。

私は、たとえ自分で書いた物語であっても、
そこで人が不幸になっていたら悲しいと思います。
人が死んだら「理不尽だ」と思います。
辛く、悲しい気持ちにもなります。
これは馬鹿げた感情なのでしょうか。
今すぐに、ハッピーエンドに書き直すべきなのでしょうか。
それはきっと、できません。
doとcanは違うんだよ、とは、
昔強い感銘を受けた、私の弟の言葉ですが、
私は今でもこの言葉には真理があると思っています。

幸せな結末があちらの世界にあって、
辛い結末が向こうの世界にあって。
残念ながら私の物語はそういったものであるようです。
『人によってそれぞれだから良いんだよ』という安っぽい言葉は、
あまり意味をなさないように思います。
辛い結末を見ることが、自分でも辛い。
これはきっとずっと変わらないんだろうな、と思っています。

本当、みんな幸せでいられたら良いのに。
眩い光の陰で色濃く澱む闇を凝視せずにはいられない、
そしてその闇が物語りの中で立ち現れてしまう。
私はそんな物書きです。

って、なんだかアサイさんに便乗して、
自分のことを散々書き散らしてしまった・・・。
転載許可も取ってないのになあ。


2005/03/06
TOPテキストを更新しました。
昨日までのTOP、「ありがとうさようなら」が別離の歌であるなら、
今回のTOPである「春に懐かしい歌を」は、
別れの後に残る思い出の歌であり、また、再会の歌です。

春は別れが告げやすい、とは、有名な一節ですが、
別れの後に何があるのか、
そしてそれは自分の歩いていく道にどのような意味があるのか、
それについても考えやすい季節が、春と呼ばれるものだと思います。

ほら、もうすぐ花が咲きます。
時は刻一刻と満ちていきます。
新しい生活が私たちを待っています。
それがどのようなものであれ、きっと、
あなたの大切な人達は祝福してくれるでしょう。
あなたが彼らを祝福するのと同じような真摯で暖かい気持ちでです。

春が来てひとりぼっちになってしまうこともあります。
私は、そんな人の背中をそっと押してあげたいと思います。
自分が刻み付けていく長い長い道の、今はまだ途中です。
春になったら思い出してください。
花はまた咲きました。道端で音もなく揺れています。
そんな風に静かに、でも確かに生きていければ良いですね。

忘れていくのが昨日で、過ぎていくのが今日であるのなら、
明日はそんな日々を思い返すものであっても良いのではないかと思います。
そしてしっかりと前を向くものであればいいと思います。
なかなか難しいですけど、道は自分で作り出すものだから、
とにかく一歩だけ歩いてみませんか、と、
私は咲き誇る桜の下でそっと歌いたいのです。
どこかで歩き出そうとしている沢山の、まだ会ったことのない、
そしてこの先も会うことはないかもしれない大切な人達へ。

それでは、また。


2005/03/05
無事に帰ってまいりました。
こんばんは、後藤あきらです。

とても疲れました・・・。
少しでも移動代を浮かそうと思って車で行ってきたのですが、
慣れない高速道路を長時間走ったために、体も心もボロボロになりました。
折悪しく関東に大雪と大寒波が来ていて、
そこら中で事故ってるわ、視界はほぼ無いわ、
路面は凍結してるわ、制限速度はどんどん下がってくるわ、
所々で通行止めになってるわで散々でした。
帰りは快晴でしたので時間的にも気持ち的にも余裕綽々でしたが。

免許を取ってそろそろ半年経ちますが、
いつでも車に乗れる環境にいませんので今もペーパードライバーです。
しかも今回乗っていった車はMTだったりします。
それがあんな悪天候の中、高速に7時間ですよ、あーた。
死を覚悟しました。主に助手席に乗っていた弟が。

一人暮らし用のマンションを探しに行ったのですが、
幸運にも良い物件を発見することが出来ました。
実は私、弟の為に物件を探すのは二回目です。
昨年、関西の大学に進学した上の弟の物件も探しました。
今回は末の弟の為に行ったんです。
二回目ともなれば慣れます。それはもう。
見るべきところと、考慮すべきところはほぼ把握していましたし、
どうやったら値切れるのかも知り尽くしていました。

結果、月々5万5千円の5畳のロフト付き8.5畳の1DKを、
共益費込み4万3千円で交渉成立。
家賃2ヶ月分だった敷金礼金を1か月分に。
更新料は無料に。権利金も無料に。
ついでに、すでに終わっていたらしい部屋の再クリーニングと、
壁紙の全交換、網戸交換、エアコン交換、室内灯交換。
それでいて、弟の通う大学までは徒歩15分、自転車で7分ちょっとです。
本当、がんばってやれるだけやってみました。
腹黒い両親も大喜びです。

引越しには同伴しないつもりでいます。
自分の引越しもありますしね・・・。
一応、私の引越し日程は3月の27日前後になりそうです。
友人にお願いして車2台でちゃちゃっとやっちゃおうかと思っています。
今住んでいる寮から実家までは車で50分程ですので、そんなに大変じゃないです。

ネットはいつくらいからつながるんでしょうね。
正直、わかりません。
この時期は新規のネット加入者も多く、工事の予約もいっぱいらしいので、
下手をしたらかなり遅くなってしまうかもしれませんね。
『病弱な花々』はもちろん続けていきますので、
もしかしたら移転になってしまうかもしれませんが、
今後もどうかよろしくお願いいたします。

今日はとにかく疲れました。
まだ22:00ですが、お酒をちょっと飲んで寝てしまおうと思っています。
それでは。

帰りの高速で140km出してちょっと癖になったあきらでした。
(弟は何事かを叫んでいましたが、聞こえない振りをしました)


2005/03/01
始めにお知らせです。
明日の夕方より、大学進学の為に上京する弟について、
不動産探しをしてくる予定になっています。
帰りは5日の夕方頃になる予定です。
その間、この日記も含めて更新作業ができなくなりますので、
予めご了承ください。
特に、メールや掲示板へのレスなどが滞ります。
よろしくお願いいたします。

体調が少し思わしくありませんので、
短いですが、今日はこの辺で失礼します。
申し訳ありません。

明日、更新する時間が取れるようであれば、
もう一度日記を書こうと思っています。

それでは、また。

---------------------------

二月分の日記を過去日記に移しました。





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