DIARY


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2005/08/31 こちらが正規の日記です。
日中の悪夢なんて綺麗さっぱりと忘れてしまって、
こちらでは何事も無かったかのように行きましょう。
あんな白昼夢は認めないです。認めたら負けです。
夏の幻はかくも残酷にこの繊細な心を抉るのか・・・。
浸ってみることで自分を慰めようと思います。

早くも答えてくださったアサイさんさくさん、
こんなふざけた企画にお付き合い頂き、ありがとうございました。
興味深くお二人のお話を伺いました。
ネタとして大切に取って置こうと思います。
しかしThは何をやっているのかな・・・。
私が知る限り、一番痛い恋愛感を持っている人間なのですが。
まあ、今後に期待します。ニガサナイカラネ?

さて、気を取り直して。
現在、原稿用紙20枚前後の掌編を書いています。
お題は・・・「邪悪」です。
邪悪としか表現できないようなヒロインに、
哀れな主人公が散々な目に遭わされるという、
なんとも愉快な胃が痛くなるようなお話です。
どうしてこんな話を書こうかと思ったかというと・・・。

なんだか最近、ネットを見ていると、
萌えだの妹だの純情だのといった、
虫唾が走るようなあまりに安易なヒロイン像が、
主にオタクと言われる界隈でまかり通っていまして、
ちと記号的偶像過ぎるのではないか、と、
別に誰も望んでいないのに異を唱えたくなったからです。

元々私は一癖以上ある女の子が好きで、
特に何かしらの異常性を愛しています。
だから自分の趣味嗜好に走りきった物を書きたかった
そういった部分を上手く生かしてやれれば、
少しは斬新な物が書けるかな、と思った次第です。

今まで経験のない試みですので、どうなることやら。
できが良かったらこのサイトで発表するつもりでいます。
すでにアサイさん等に知恵をお借りしてしまったので、
何とかそれを活かしたものが書ければと思っています。
上手く書けると良いのですが。

夏休みはまだしばらく続きます。
他に幾つか書かなくてはいけない物や、
書きたい題材などがありますので、
サクサクと進めていきたいものです。


2005/08/31 不幸の手紙編。
ああ〜っと。
なんか知り合いから不幸の手紙・・・じゃなかった、
ラヴバトンとかいう、名称からして痛すぎる物が回って来ましたよ。
私にラヴ〜? なにそれ? 美味しいの?
あのですね。私、愛なんて全然わかんねーよ!って、
昔から散々この日記でも言ってますよね?

やっぱ不幸の手紙じゃねえか。

というわけで。何も納得していないのですが、
せっかく回してくださったことだし答えてみようと思います。
回してくれた人に弱みを握られている訳では決してありません。

後、読む前にご注意を。
以下の質問に対する私の返答は98%ネタですので、
どうか本気になさいませんようお願いします。

--------------------------------------

@初恋はいつですか?

 三歳の頃、近所に住む美貌の若妻に欲情してましたが、何か?
 今じゃすっかりオバサンだけどな! HAHAHA!

A付き合った人数は?

 知 る か 。

B好きな人とデートに行きたい場所は?

 デート=外出ってことだよな?
 ヒッキーかつニートな俺にどうしろと?

C好きな人と一緒に見たい映画は?

 映画は一人で見ないと集中できねえんだよ!
 お前らみたいなバカップルはマディソン郡の橋でも見て、
 「愛って何?」とかほざいてろやジーザス!

D好きな人に言われて一番うれしかった言葉は?

 「案外まともなんだね?」
 嬉しさ以上に殺意を覚えたがな!

E好きな人はいますか?その人の良い所は?

 こっぱずかしくてそんなこと 言 え る か !

Fこんな人絶対無理って思う人は?

 こういう質問を作る奴は絶対無理だね。
 ギョウチュウ検査にでも引っかかって泣けばいいんだ!

G浮気は許せますか?許せるならどこまで?

 勝 手 に や っ て く れ

H同棲してみたいですか?

 一人の時間が無いと漏れなく発狂しますが、
 それでもいいですか?

Iあなたが愛を感じる行動は?

 そっとしておいてくれる時。
 むしろ放置してくれ。Mですから。

J恋と愛の違いは?

 恋と変の違いと同じようなもんだろ。けっ。

K一番長く続いた恋愛は?

 人のトラウマを抉るな。

Lお付き合いしたい芸能人・有名人は?

 有名人? 清少納言かな。
 一緒に酒飲んだら楽しそうだ。
 絶対ケンカで終わりそうだが。

M究極の選択! 一生愛せなくなる or 愛されなくなる どっち?

 なんか嫌なことでもあったんスか?

Nバトンを回す5人は?

 この不幸を五人に贈れと? 鬼ですな。
 とりあえずアサイさん。よろしく。
 Thも答えられるなら(むしろこのHPを読んでいるなら)よろしく。
 ついでにさくさんもよろしく。
 他の人達には罪悪感が勝って回せませぬ。
 
--------------------------------------

という訳で、悪夢のラヴバトン終了でございます。
次に回された方々〜。秀逸な汚れっぷりを期待しておりますぞ。
こっちはもう満身創痍です。

正規の日記はまた夜に。
それでは。


2005/08/30
昔の話は、所詮昔の話だと割り切ることで、
初めて『昔の話』になると思います。
例え20年前の話でも、『昔だ』と認識していなければ、
それは『最近の話』になるという、認識論めいた話です。

過去にこだわって、あるいは囚われて。
私の書く作品はそういうものが多いように感じます。
自分が今あるのは過去の積み重ねの延長上にあり、
そしてそれは今この瞬間も続いているという意識があるからかもしれません。

web上でも現実世界でもそうですが、人は忘れやすい生き物ですね。
特にweb上では、その時その時の思い付きを垂れ流すことができますから、
本来は個人的な日記にこっそりと書き綴るべきことも、
期間の差はあれ、端から陳列されてしまいます。
結果的に呟き以上の物が非常に少なくなる。
呟きにも価値はあるのかもしれませんが、
一過性でどんどん消えていってしまうweb上のサイトを寂しく見つめていると、
私は、webという特殊な、そして魅力的なToolにもう少し期待をしたいのです。

昔の積み重ねの上に今があり、
今の積み重ねの上に未来があるのなら。
たんに『昔の話』で終わらせるのではなく、
なにかしらの一本の筋を意識してやっていきたいな、と思います。


2005/08/29
TOPテキストを更新しました。
『死を待つ人の家から』という事で。
「死を待つ人の家」はご存知、マザーテレサが作った、
文字通り、最早死を待つばかりの貧しい人々に、
最期を安らかに迎えてもらうという目的の施設です。

死を待つ人の家。直接的な表現ですが、深いです。
私はその意味を拡張して、
世界全体のことをさして歌ってみました。
人は生まれたその時から死に向かって歩き始めます。
つまりはこの世界全てが『死を待つ人の家』とも言えるということです。
でも、そのことを普段から意識している人は恐らくほとんどいないでしょう。

この詩では、
「余命を宣告されてから慌てる前に、
 もっと成すべき事があるのではないですか?」
「今、どうしてそんなつまらないことに夢中になっているのですか?」
という、そういう大きな事を題材にしたつもりです。
力不足で上手く語りきれていませんが。

生きる人の側で死ぬ人がいて。
いつか、人類全てが死に絶える日も来るでしょう。
そんな大きな家の中で、自分はどう生きるか。
そんな問いの小さなスタートにでもなれば幸いです。

さて、今夜はこれから友人宅に飲みに行きます。
幸せな国に生まれたことを噛み締めてこようと思っています。
これが私の生き方です。


2005/08/28
海に行ってきました。
シーズンを過ぎたとはいえ、今日はお日柄もよく、
夏が少しだけ帰ってきたような美しい空でした。
波は少し荒かったのですが、
見ている分には随分楽しめました。
また、こっそりと行って来ようと思っています。

『On Your Mark』の2nd.dayの推敲を進めているのですが、
中々上手く行きません。
どこかちぐはぐな感じで、納得がいかないんです。
実はもう5回くらい書き直しているのですけど。
いつになったら発表できるのやら。
その前にこれから書こうと思っているショート・ショートの方が、
先に発表されてしまいそうです。参った。
のんびりやっていこうと思っています。

明日は時間が取れたらTOPテキストを更新します。
今度のは少し悲しい感じの作品です。
それでは、また。


2005/08/27
昨日発表した『太陽を待ちながら』について、
「長えよバカ! オタンコナス!」というメールを友人から貰いました。
ごめんなさい・・・。
とか言いながら読み進めてくれている君が好きだ。

こんばんは、後藤あきらです。

昨日も書きましたが、随分長い物語ですので、
のんびりと読んでいただければと思っています。
もしくは最初のIntroductionを読んでピンと来た方だけ、
読み始めていただければ。
「昔のアキラはこんなのも書いてたんだな」って、
笑ってやってください。

実は『太陽を待ちながら』程ではないにしろ、
ちょっと長くてコメディタッチの作品は、まだ幾つかあったりします。
全く個人的趣味で書いたもので、発表できるクオリティでは無いのですが、
もし今回の『太陽を待ちながら』の評判が良く、
皆さんからリクエストがあれば、多少の手を加えて発表しようと思っています。

話の内容は・・・。
大学の寂れた演劇サークルに入った主人公と、
その後輩であるヒロインが二人でサークルを活性化していくお話や、
のん兵衛の人間と、同じく飲んだくれの鬼が、
咲き乱れる桜の下で花見酒に興じるお話など。
具にもつかない内容です。
いずれも私が10代の頃に書いた作品だったりします。

過去の作品というのはその未熟さばかりが気になりますが、
やはり自分が書いたもの、ということで、
おかしな愛着心があったりもして、
一方でその頃にしか持ち得なかった発想力を懐かしく思い返したりもします。
私は人に較べても自分の作品には執着する方ですので、
なおさらその傾向が強いようです。
自分の書いたものなのに、偏執的に読み返したりしますよ。
逆に言えばそれが反省を促し、
さらなる前進に多少なりとも寄与しているとも思います。

さてと。
明日はちょっと海に行って来ます。
シーズンが過ぎた頃の海は寂しくて、好きなんです。
砕け散る波頭をぼんやりと眺めてようと思います。


2005/08/26
こんばんは、後藤あきらです。
昨日お話した通り、物語に「太陽を待ちながら」を追加しました。
調べてみましたが、やはり19歳の頃に書いた作品です。
5年前かな・・・うわ、遠い。
読んでくださった方がもしいらっしゃれば分かると思うのですが、
全体的に少しギャグと言うか、コメディタッチの作品です。
実はあの作品を書いた頃に、
私が書いた、そういった物を読みたい、と、
友人にお願いされていたからなんですね。
で、どうせだったら書いたことのないジャンルに挑戦して、
全体的に思いっきり遊んでみようと思いました。
そんな適当な感じで書き始めたあの作品でしたが、
思いのほか楽しく、気が付けば随分長いものになりました。
確か完成に一ヶ月ほどの時間を要したと記憶しています。
馴染みの方々は既知かと思われますが、
私は筆の進みがとても速いほうですので、
多くの時間を割いた作品であると分かっていただけるかと思います。
そんな物語、「太陽を待ちながら」ですが、
作品の後半部分でちょっと感動できたりしちゃったりするかもしれません。
よろしければのんびり読んでやってくださいね。
文章の下手さが苦痛だと思われますので、
それは本当に申し訳ないのですが。

えと、もう一つ昨日の日記より。
web上の投稿サイトに、当サイトですでに発表済みである、
「regrets」と、「Friend」の二作品を投稿してきました。
すでに「regrets」の方では感想も頂き、
なんだかとても楽しい気持ちになっています。
今後もまた幾つか投下してこようかな、とか、
悪企みをしてみている私です。
ただ、かなり厳正なサイト様でもありますので、
気はしっかりと引き締めて投稿しようと思っています。
作品に関して、厳しい意見を頂けると良いのですけれども。
まだまだ勉強中の身ですしね。
三点リーダ(・・・、ってやつです)等についての指定など、
幾つかの決まり事があり、
個人的に表現的拘りがある私ですが、
そこは素直に従おうと思っています。

あ、そうだ。
最後になりますけど、そろそろ物語の方で新作を発表します。
後、完全に放置されてる『On Your Mark』の2nd.dayも。
やっとここ数日、時間が取れるようになってきたので、
ずっと暖めていたテーマに取り掛かることができます。
楽しみです。


2005/08/25
どうしてだか分かりませんが、メールを沢山頂いてビックリしています。
過去の作品についても感想を頂いたり・・・。
ありがとうございます。嬉しいです。
でも、誉められると調子に乗る人間ですので、
厳しく、そして強くイヂメてやってくださいね。
私、ソフトMですし。

ちょっと思うところあって、
明日辺り、ネットの作品投稿できるサイトに、
過去の作品を幾つか投稿してみようと思っています。
そこは批評もできるサイトですので、
厳しい意見をいただけるかな、と思った次第です。
最近、ちょっと壁にぶち当たっていて、
昨年のような苦い轍を踏まないように、
今年は今から気をつけていようと思います。

あ、あと明日、私が昔書いた長編を発表します。
確か19歳の頃に書いた作品です。
なんとエセSFですよ。
私にとっては最初で、恐らく最後のSFです。
長い長いお話ですが、読後感は良いと思いますので、
良かったらお暇な時にでも読んでやってくださいね。

それではまた明日。


2005/08/24
ひとりごと。

嬉しいこと。
秋色を帯びてきた空の中に、
ふと香る風がまだ夏の色を残していたこと。
悲しいこと。
夏の終わりの高い高い空に聳える積乱雲を、
いつかのように君と見られないこと。
生きるということ。
まだ答えは出ない。
でも失うことだけに怯えて生きて行きたくはない。
幸せということ。
本来、求める物ではない。
我唯足るを知るということ。


2005/08/23
やっと今日で大学の集中講義が全部終わりました。
明日から夏休みです。
こんばんは。ちょっと浮かれています。後藤あきらです。

集中講義という物を簡単に説明しますと、
夏期休暇などの長期休みに、
数日間に渡って朝から晩までみっちりと同じ講義が入って、
大体三日から四日間で半年分の講義数(15回分)をやってしまう、という、
なんとも辛い物です。
毎日8:50〜17:50まで同じ講義を受け続けるのって、
肉体的にはもちろん、結構精神的にも辛いんですよ。
私は今回の夏休みに4つも集中講義を入れてしまいましたので、
夏休み開始直後から、土日などの休みを挟み、
ほぼ毎日大学に通っていました。
むしろ夏休みが始まる前の方が休みがあったような・・・。
大学の友人に時間割を教えたら、「気が狂う」と言われましたよ。
でも、なんとかやり遂げました。

さて、明日から休みということで。
実は明日の夜は私の末の弟のLIVEがあります。
夕方からGotoSの相方であるMMと共に、
のんびりと見学に行く予定です。楽しみ。

せっかくの休みも、ダラダラ過ごしていてはあっという間に終わってしまうので、
なんとか上手く計画を立てて楽しもうと思っています。
大学生の夏休みは長いんですよ。
9月末日まで続きます。
とはいえ、私は9月の第3週から1週間に渡り、
社会教育実習というものがあるのですが。
それまではきっちりと遊ぼうと思っています。

コラムとかの仕事についてはこの際忘れるって事で。
・・・・・・。
無理なんだろうなあ。


2005/08/22
昨日はすっかり書き忘れてしまいましたが、
TOPテキストを更新しました。
「君のいた季節、君といた季節」ということで。
日本語の不思議さに迫ってみました。
一文字変えるだけでなんだか切ない響きになりますよね。

私は、個人的にですが、「君と」の方が少し悲しいです。
それは「君の」よりも、「君」との距離が近いと感じるからです。

夏という季節、とても短い、眩い季節に、
「僕」は「君」と出会い、また、別れるのです。
ジュブナイルですね。夏という特別な季節にそれは生まれ、
また消えていく物語です。
でも、その喪失は私たちが覚えていることで永遠にもなるでしょう。

誰にでも、特別な夏がある。
そしてそれは恐らく、ほとんどが十代の夏でしょう。
そんな夏に、「君といた」。
忘れえない、記憶です。


2005/08/21
音楽には、他の芸術がそうであるように、
言葉では説明のつかないような大きな力があります。
それを信じているからこそ、自身の不甲斐なさに嫌になったりもします。

今日、スタジオにThとMMの二人と一緒に入って遊びました。
それで、MMと私がジャム(アドリヴ・セッション)っている時に、
Thがデジカメをまわして、その様子を撮影してくれました。
そのムービーを見せてもらったのですが・・・。
「こんなもんか・・・」と、かなり落ち込みました。

天上に鳴る音楽はどのような物なのでしょう。
いや、地上でも良いです。神のもののような音楽。
私は一度、ベートーベンの第九をオーケストラの演奏で聞いている途中、
世界が溶けて、どこかからか透明な歌声が聞こえてくるような、
そんな不思議な体験をしたことがあります。
あんな、圧倒的な超越感。
私はずっとそれを求めているのです。

私のギターはまだそれに程遠く、
死ぬまで、あと60年ほどでしょうけど、
その間に一度で良いからそんな演奏をしてみたい物だと思います。
光に呑み込まれていくような感覚。

ギターは何一つ悪くない。私の研鑚次第だと思います。
もっと。もっと。


2005/08/20
忙しい日々の間に何を見つけることができるか。
夢か希望か欲望か失意か。
道端の花か空の青さか君の笑顔か。
過ぎていく季節をなす術もなく見つめていると、
そんな気持ちに囚われて身動きが出来なくなってきます。

過ぎていった積年は積もり腐っていくだけなのか。
それを酒でも飲み交わしながら冗談めかして語る、
そんなありふれた退屈さに埋没されていくだけの日々だったのか。
昔のことを思い出す回数が増えてきました。
それは前を向くことからの逃避でしかないのでしょうか。

友人が夜半に遊びに来ました。
最初にしたことはビールを買いに行くことでした。
もう私たちは酒という便利な娯楽を挟んでしか、
夜の長い時間を共に過ごす気力がないのです。
煙草の煙が目に染みなくなって随分経ちました。

元々、恋や何やかに興味の薄い私たちが話すことは、
専ら昔の思い出話ばかりで、
夏の夜の時間は泥沼の底のような艶めかしさを残し過ぎていきました。

息が詰まる。体のどこかに違和感。四肢を伸ばしきれない感覚。
違和感。違和感。違和感。吐き気。
語り合うことでしか分かり合えないことをすでに通り越して、
分からないことは分からないというどうしようもない結末を突きつけられた時、
人は薄く張り付くような卑猥な笑みを浮かべることしか出来ないのでしょう。

私が誰かに伝えたかったのは、
そういった失われていく何かです。
私がいつでも叫びたかったのは、
そういった形のない何かです。
叫ぶ術も見つからず、こうして夏の夜の中でまどろんでいます。

雨が降ればいい、と少しだけ思います。
濡れる夏の道はそれだけで悲しいだろうと思います。
悲しみを思い出したい。もう一度、強く青を胸に抱きたい。
そう願っては、また日々は過ぎていきます。


2005/08/19
物を書くということ。何かを表現すること。
その手段としてのテクニック。手法。方法論。
必要だとは思う。いらない物だとは決して言えない。
でも。そればかりの言葉にどんな力があるのか。
最近、そんなことで悩んでいます。
自分が書くものについて、テクニックと感情がちゃんと添っていないような、
なんとも言えない歪な感じがするのです。
困りました。

格好つけた文章なんて書きたくないのに、
どうしてかそうなってしまうということ。
それっぽい言葉を並べて悦に入るような、
そんな安っぽいこと。
それらは私が最も憎んでいたことであったはずでした。
でも、最近そうなりつつある自分を少し感じて、自己嫌悪です。

もっと自由に。自由に。
何よりも、自由に。
そうやって書けたらいいと思います。


2005/08/18
帰りました。こんばんは、後藤あきらです。
ちと出先で風邪を貰ってきてしまい、ふらふらしています。
お盆も終わりましたが、皆さんはお元気ですか?

さて、先日仙台では大きな地震がありました。
私は丁度その頃、ちょっとした私用で関東にいまして、
アサイさんがメールを下さるまでそれに気付かずにいました。
アサイさん、ありがとうございました。

私の身を案じてたくさんご連絡も頂いてしまいました。
私も、実家の家族も全員無事です。
報道されていたものよりも全然被害は大きくなかったようで、
連絡してみた友人も、「棚の上のコショウが落ちてきた。大惨事だ」とか、
みんなそんな調子でしたので、大丈夫だと思います。
それにしてもみんな呑気だ・・・。

8月ももう残り少ないですが、
随分な思い出を残してくれたものだな、と、
一人感慨に耽る私です。
TVで大きく報道されている天上が落ちたプールって、
実は私の実家から車で10分くらいの所にあったりします(笑)
出来たばかりでピカピカだったのに、手抜きかなあ。
まあ、遅かれ早かれ耐久性についての問題は露呈していたと思うので、
逆に早い段階で見つかって良かったのかもしれません。
とばっちりを食ってしまった方々だけは本当に気の毒なのですが・・・。

なんだか今年の夏はいろんなことがあるなあ、と、
旅先で溜息をついていた私でした。

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追記。
先日発表した「雨路に青を抱く」ですが、
雨路は「うろ」と読みます。
問い合わせがありましたので、一応補足です。
普通の辞書には載っていない可能性があります。
大きな辞書や、古い辞書、気の利いた辞書には多分あるかと・・・。
造語ではないので、そこはご安心を(何がだ?)。

ご感想もいただいています。
返信代わりという訳でもないのですが、こちらでも簡単に。

最近、寂しい感じのする作品が増えているのではないかという、
そういったご指摘を受けました。
確かにそうかもしれません。
前向きというよりは、独り言や愚痴のような物が増えています。
これはなんというか、私がまだ過渡期だからだと自分では分析しています。
人間として、というとおこがましいのですが、
私はまだ自分自身と向き合うことがどうも必要なようです。
今年の春以降、個人的に少し思うところがあり、
それがそのまま作品へとも影響してしまっている感があります。
私がこの病弱な花々で発表している作品は、
その全てが、とは言いませんが、ほとんどが、
私の素直な気持ち、飾り気のない言葉です。
だからそういったことがストレートに反映されてしまうのでしょう。
でも私自身は、平素からネガティブに考えている訳ではありません。
むしろのほほんとしています。
しかしながら思考の過程ではそうもいかないのが現状です。
年齢もいいところまで来ましたし、
ここらでもうちょっと上の段階に自分を押し上げたいのです。

このような返信で大丈夫でしょうか。
そのうち、また明るくて前をしっかり見据えたような作品も書けると思います。
もう少しだけお待ち願えれば幸いです。
よろしくお願いします。


2005/08/15
現在、18:30をまわった所です。
いつもよりも早い時間にこんばんは。後藤あきらです。

えと、実は諸事情ありまして18日まで更新できなくなりました。
日記もお休みです。
掲示板やメール等にメッセージを頂いても、
返信は18日の夜以降になると思われます。
予めご了承ください。

なんだか突然色んなことが決まってしまいまして。
私も目を白黒させています。
8月ももう半ば。あっという間に終わってしまいそうです。
仕事やプライベートなど、なんだかんだで、
22日まではみっちりとスケジュールで埋まってしまいました。
夏休み中に色々とやりたいことがあるので、
どうにか片付けてしまいたいですね。

それでは、また18日に。

--------------

追記。
ちょっと時間があったのでTOPテキストを更新しました。


2005/08/14
今日は末の弟のLIVEに行ってきました。
今の弟のバンドは全員が高校を出た後、バラバラになり、
夏休みに集まってのLIVEということで、
練習不足が懸念されましたが、
なんということもなく、前よりもみんな確実に上手くなっていました。
一緒に見に行ってくれたGotoSでの相方、MMと二人で、
「こりゃあこっちも負けてられねえぞ」と焦る始末。
頑張ろうと思います。

今日は疲れてしまったのでこれで。
自分のLIVEじゃないのにはしゃぎすぎた・・・。


2005/08/13
テキストと、音楽と、デザインの融合。
どうしたらそれを高いクオリティでできるのか。
最近、私が考えているのはそんなことです。

ゲームの表現手法を応用した作品を作っています。
完全に趣味の作品なのですが、
そこで私が追求したいこと、というのが、
上記のようなことなのです。

例えば夏の終わりの海岸線。
そこで少年達は友情の終わりを迎えます。
そこにあるのは悲しみという一言だけでは到底表現しきれない、
深く複雑な感情のドラマです。
それをどうやって表現し尽くしたらいいのでしょうか。

通常、ゲームにおける音楽は、
シナリオで表現される、『ある場面』の臨場感を高める目的で使われます。
いまいちよく分からない方は、
何でも良いので一度ゲームを無音でプレイしてみてください。
一度プレイしたことのあるゲームなら分かりやすいかと思います。
悲しい場面や、怖い場面において、
本来鳴っているはずの音楽をOFFにしてみると、
拍子抜けするほどあっさりとした物に変わったりします。
つまり音楽はゲームにおいてとても便利な演出なんです。

でも、私は音楽をやっている人間ですので、
どうしてもそういう低い位置にBGMを置きたくない。
BGM、つまりはBack Ground Musicですが、
私はむしろ、テキストと格闘するような、
そういう存在感のある音楽をぶつけてみたい。
そしてそれはデザインにも言えることで、
まるで全ての要素がお互いに激しく自己主張しているのに、
最終的に何か一つの物を貪欲に求めているような、
そんな火を吹くような物を作り上げたいのです。

表現したいという欲求は留まることを知りません。
でも何を表現したいのかは、実は自分でも分からずにいたりします。
ただ、表現する手段があるということ、
そしてその表現を発表する場所があるということ。
それだけが私を走らせているような気がします。

夏休み。今、私は夏休みです。
少しでもいい。私は私の理想に近付きたいと思っています。
言葉と音楽。
自分が本当に好きな物に浸ろうと思います。


2005/08/12
一応今日で一区切り・・・と思っていたら、
なんだなんだ? 何か変な事態になってきましたよ?

ちょっと詳細は言えないのですが、
寝耳に水みたいな仕事が入ってきたので、
14日くらいまでそれ関係で忙しくなりそうです。
ただ、今回は別に書き物がどうこうじゃなくて、
ある商品に関する広報がメインですので、
一日中PCの前で携帯電話を片手に、
メールやらなんやら、連絡のやり取りをすることになりそうです。
参ったなあ。楽しいから良いけど。

ひもねすPCの前にいるので、
ちょっとした空き時間に短編でも書いてようかなあ。


2005/08/11
夜になり、友人が訪ねてきました。
もうお盆休みなんですね。
こんばんは、後藤あきらです。

今年は大学関係で忙しく過ごしていたため、
なんだかあんまり実感が湧かないままに8月も10日を過ぎました。
一応、明日で一区切りです。がんばろっと。

何だか仕事関係で一度東京に来いとも言われてるのですが、
日程が14日から15日という事で、難しいかな、と。
お断りする方向で調節しています。
ちょうどその頃に友人達と富士急ハイランドに行くって、
そういう約束をしてあるんですよね。
私は別に書き物のプロになりたいわけじゃないし、
なったところですぐに潰れてしまうと思うので、
今の状態のままのんびりやっていきたいと思っています。

8月の後半になるとスケジュールに空きが出来ますので、
その頃に物語を幾つか更新したいと考えています。
着想はあるのですが、中々書く時間が取れないです。
短編は一気に書いてしまわないと気がすまない性格ですので、
今は細部を頭の中で煮詰めながら、
時を待とうと思っています。

明日の夜もまた別の友人が遊びに来る予定です。
なにやらお土産があるとか。楽しみです。

朋あり遠方より来たる、亦楽しからずや。
孔子の気持ちが少しだけ分かる、
私の8月です。


2005/08/10
「今日来たメールの数を教えて下さい」と言われたので、
ちょっと答えてみようかと思います。
しかしなんだってそんなことが知りたいのでしょうか。
でも、なんだか斬新な質問で、面白かったので、
多分私の回答は面白みに欠けると思うのですが、
真面目に答えてみようと思います。

23:20現在。
メール受信数  34件
メール受信人数 18名
(内、PCへのメール5件、5名)

この受信人数というのは、
同じ人間と何度かやり取りがあった場合、
そちらも計算に入れたほうがいいのかな、と思い書いてみました。
あと、PCには迷惑メールが5件来ていましたが、
カウントからは外しておきました。
携帯には2年以上前に現在のアドレスにして以来、
迷惑メールが来たことがありません。
とんでもなく無意味でランダムな文字列のアドレスなので・・・。

時間的に後3〜5通くらいは来るかな・・・?
この数って多いのでしょうか、それとも少ないのでしょうか。
女子高生は1日で100件ほどのやり取りがあると聞いたことがありますが、
私は基本的にメディアの報道する情報は話半分で聞いていますので。
いつも大げさですからね。

情報端末としての携帯電話はとても便利ですが、
一方で、持っているのが当たり前、
すぐに連絡がつくのが当たり前、という風潮を呼びました。
困った物ですよね。
私が友人、知人に今まで話を聞いてきた感覚だと、
多くの人がどこかで「ケータイって邪魔臭いなあ」と思いながらも、
どうしても必要だったりして惰性で持っていたりするみたいです。
本当に解約してしまった人は、今のところ私の周りにはいません。
でも実は・・・私は一度解約したことがあったりします。
結構スッキリしましたよ。手荷物が一つ減るだけで随分楽にもなりました。
とはいえ大学生活は携帯電話がとても役に立つので、
入学と同時にまた加入しましたが。
でも、一度解約したということもあり、
携帯電話との関係は少し変わったような気がしています。

PCにせよ、携帯電話にせよ、
便利な物はその分どこかで何かを犠牲にしているのかもしれませんね。
でもきっと、上手な付き合い方というのもあるのでしょう。
どうにかして模索していきたい物です。
PC(というかネットかな・・・)に依存している人って、
なんだか年々増えているみたいですし。
え? 私ですか? う〜ん。
そんな物に時間を取られていたら、
音楽も小説もこんなにのめり込めていないと思います。
私はテレビも見ませんしね。
好きなことに一生懸命打ち込むだけです。

おや。メールの話から随分脱線してしまいました。
こんな内容で大丈夫だったかなあ。
ともあれ、ご質問頂き、ありがとうございました。

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先月末に発表した、詩の『夏の花』についても感想を頂いていたりします。
非常に真摯な想いをお伝えくださいました。
ありがとうございます。私は大丈夫です。元来お気楽な人間なんですよ〜。

それでは、また。


2005/08/09
誰にでも、とは言いませんが、
多分、多くの人に子供の時の遊び友達がいたはずです。
私にもいました。仲のいい男の子友達や、幼馴染の同い年の女の子。
でも、その頃遊んでいた友達のほとんどが現在音信不通です。
どこでなにをやっているのか全く分かりません。
私のことなんて覚えていなくても良いから、
どうか幸せに生きていてくれと願うだけです。

TOPテキストを更新しました。
今回はそういった失われた時代への郷愁を歌った物になりました。
今、もう完全に大人になってしまった私は、
ふとした瞬間にこの両手から零れ落ちていった物のことを思い出し、
少しだけ、寂しいような、悔しいような気持ちになります。
夕暮れの差し掛かった空の下、それを眺めている自分と、
幼い頃に口をぽかんと開けて空を眺めていた自分には、
やはりとてつもなく大きな差異があるように思うのです。
幼い頃の自分は、煙草なんてくわえていませんでしたしね。

流れていく紫煙の先には、もう、未来しかない。
だからなおさら、私は煙草を線香の代わりにとでも思い込んで、
通り過ぎてきてしまった場所を悼み続けるのです。

両親の都合で転校していったあの子は、
今頃元気でやっているかなあ。
幸せに笑っているのかなあ。
私は毎日をこのうえなく幸せに送れています。

しかし、「みなも」っていうのは綺麗な言葉だなあ。


2005/08/08
明日提出のレポートのせいで時間が取れません。
夏休みくらい休ませてください>教授

こんばんは、後藤あきらです。
今日はこんな調子ですので、日記もまともに書けません。
明日はちょっと時間があるはずですので、
TOPテキストを更新しようと思っています。
夏の日の思い出についての作品です。

実は、最近は空き時間を利用して、
TOPテキスト用に幾つか書き終えていたりします。
週に一回更新するとして、八月の分は書き溜まっています。
発表する時間がないのだけ残念ですが・・・。

我ながら中々だと思う作品も書きあがっていますので、
よろしければご期待ください。

それでは、また。


2005/08/07
宮城県は三本木町の「ひまわりまつり」に行ってきました。
今日も視界が霞むほどの陽気です。

三本木町には「ひまわりの丘」というのがあって、
広大な敷地全部がヒマワリに覆われているすごい所があるのですが、
夏の陽射しを掻き分けて、行って参りました。
私の実家からは車で1時間ほどの距離です。

しかしヒマワリというのは良いです。
夏というイメージそのものです。
大きなお日様色した花が太陽に向かって花開いていて、
夏の空を背景にして見てみると、
これ以上の組み合わせはちょっと思いつかないくらい、
ぴったりと風景の中でおさまっています。

来年も行けるかな。行けるといいな。
現地で食べた「ひまわりアイス」がとても美味しくて、
久しぶりにただの観光客になりさがったあきらでした。


2005/08/06
真夏日が続く仙台。ちょっと用があって街中に出た私は、
その陽射しのあまりの苛烈さに喫茶店へ逃げ込みました。
通りに面した二階の席に座って、温度に揺れる街を歩く人々を観察。
誰も彼もが難儀そうな顔で、時折汗を拭っては、
どこかへと去っていってしまいます。
往来は車の通りも激しいのに、
厚いガラスで覆われたこの場所には音が届きません。
名も知らぬ柔らかな店内BGMと、
私と同じように涼を求めて逃げ込んで来た人々の、
耳鳴りのようなさざめく声が聞こえるだけです。

アイスコーヒーのグラスが汗をかき始めた頃。
私は広げた手帳の隅に何となく書きとめていた言葉を止めて、
一度、店内を見回してみました。
誰も彼もがすっかり夏の顔をして、思い思いの時間を過ごしていました。

季節感が希薄になったとはよく言われることです。
それは旬の物であるはずの野菜等が、
季節に関わらず手に入るようになったこととか、
夏は冷房が、冬は暖房がどこへ行ってもしっかり利いている事とか、
人があんまり空を見上げなくなったこととかが関係しているのだと、
どこかで読んだことがあるように思います。

そうかな、と思いました。
思いながら、もう一度周りをこっそり見回しました。
日に焼けたタンクトップ姿の青年がいました。
ワンピースを来た女の子がいました。
夏服の制服を着た高校生がいました。
通りを見下ろせばお仕事中のサラリーマンがハンカチで汗を拭っていました。
季節は、そこにしっかりとありました。

季節感が希薄になった、それは感じる人間の側が、
そういったことに注意を止める余裕がなくなったからだと言う人もいます。
もしかしたらそうかもしれません。でも。
それならいつ、みんなが、『季節感』をちゃんと感じていたのでしょう。
昔、という曖昧な物。昔っていつなんだろう。誰が住んでいた時代なんだろう。
暑くなれば半そでを着るし、寒くなればオーバーを羽織る。
これはそのこと自体がある種の季節感なんじゃないだろうか。
悲観的に現代を語ることにどんな意味があるだろう。
語ったところでそれが一体どうなるというのだろう。
季節は今年も巡り、夏の陽射しはコンクリートを灼いた。
照り返す光の中で誰かが道を歩いている。

気が付けば氷が七割方溶けてしまい、
すっかり薄くなってしまったアイスコーヒーを、
ちょっと眺めてから飲み干しました。
少し懐かしいような、夏の味がしました。
悲嘆しているだけではもったいないような、
そんな味がしばらく残りました。

私は途中まで書き付けてあった言葉を一瞥し、
そのまま手帳をしまって夏の陽射しの中に出ました。
そして、すぐに汗ばみ始めた体を愛しいと思いました。
夏は、まだ続いていってくれそうです。


2005/08/05
大輪の花? いや、これは・・・、
火の、雨だ。
夏の空に咲き乱れ、地上に降り注ぐ、
天上の粋な遊戯だ。

二日連続真夏日を超えた仙台は今日、仙台七夕の前夜祭で、
日が没した19:30から花火大会がありました。
どこからこんなに人が? というほどの人波の片隅で、
私も交通規制された大通りに座り込み、
そんな一時の芸術を目の当たりにしました。

言葉を失う。
溜息と、歓声ばかりが辺りを覆う。
閃光の芸術。
私はすっかり心を奪われてしまいました。

そして終わり間際。
それまで私と同じように言葉少なだった連れが、ふと、
「花火は寂しい」と言いました。
私は、それについて同意も否定もしませんでした。

去年、今年とは別の場所で見た花火はもう思い出せない。
来年の花火の情景なんて分かる訳がない。
そして今年、空に打ち上げられたあの夏の空の花々は、
心の中でいつかぼやけ、やがてその閃光だけを残すだろう。
でも、その閃光の眩さだけはきっとずっと覚えている。
今は、それだけでいい。
大切な誰かと、こんな溶けてしまいそうな夏の空気の中で、
こうして肩を並べて、ビールを啜りながら空を見上げている。
今は、それだけでいい。

昔の人はどうして花火なんて物を作り上げたのでしょうね。
そしてどうしてそれを夏の空に放ったのでしょう。
生まれては消えていく夥しい光の中、
火の雨の下で、私はなんとなく、その答えに迫れたような気がしました。

来年も見られたらいいなあ。


2005/08/04
夏の日の休みというのはぼんやりとしていて、
なんとも言えない風情があるものですね。
真夏日を超えました。明日も暑いそうです。
仙台の片隅からこんばんは、後藤あきらです。

休みだからといって特に何をする訳でもなく。
昼過ぎに本屋に行ったくらいで、
後は全くだらけていました。
ちょっと今書いている小説を進めたり、
買ってきた本を読んだり(そして読みきってしまったり)して、
後は静かに夕方になっていく空気を楽しみながら、
虫の声なんかをボケッと聞いていました。

今年は夏休みという言葉がとても気持ちいいです。
素直に受け止めることが出来ています。
友人に言わせると、「去年までが忙しすぎた」なんだそうで。
そうかもしれないなあ、と少し苦笑しながら、
適当に爪弾いているギターの音も優しい夏の夜です。

さてさて。夏休みは始まったばかり。
今年は楽しみます。


2005/08/03
今日は久しぶりの完全なオフです。
ここ最近、レポートやテストなどで息が詰まるような毎日でしたので、
こうやってのんびりと過ごすことの楽しさを再確認できました。

午前中にはGotoSの相方であるMMが遊びに来て、
夕方までギターを弾き狂って遊びました。
彼も最近忙しいとかであんまり弾く時間が取れないらしく、
少し指の動きになまりが見られました。
指摘するまでもなく自分で気付いているようでしたので、
これから落ち着いてくるにあたってまたリハビリをするだろうと思います。

夜はThと、彼の職場の同僚と共に三人で遊びに。
というかThは毎日毎日色々と忙しそうですが、
一緒に弾き語りをやるという話はどうなっているのでしょうか。
たまに会ってもそうやって遊んでたりお酒を飲んでたりするばかりですので、
先が甚だ不安になってきます。
Th〜、女にウツツを抜かしてる場合じゃねえぞ〜。
男は自分の夢や趣味のために女を泣かせるべきものなのです!

・・・・・・。

なんでもいいからとっとと始めるべや・・・。
マジで。

遊びに勤しんでいると、一日は本当に短いですね。
実は明日もオフだったりします。
楽しみだなあ。


2005/08/02
一夏の夢。
そんなものがあるとしたら、私はどのような夢を望むのか。
夏は短い物。泡沫の途中に栄誉を得たとして、
それが一体どれほどのものだというのか。
一炊の夢、という言葉がどれほど深い意味を持っているのか、
想像するだに寒気すら覚えます。

果たして、夢というのは過去を振り返ることに使われることもあります。
しかしそうやって悼む過去は、決して自分の思い通りにはならない物です。

一夏の夢。それは悲しい夢だなあと思うのです。

今日、出先でそれっぽい言葉をたまたま耳にして、
一日中頭から離れなかったので書いてみました。

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TOPテキストを更新しました。
最近更新ペースが早いですが、その内落ち着くと思います。


2005/08/01
リンクに「ミート坊のHP」様を追加しました。
一度見てやってください。
実は末の弟の所属しているバンドのHPなんです。
8月24日に仙台パークスクウェアでLIVEをするそうなので、
もしよろしければ見てやってください。
私も見に行く予定です。
「ミート坊」です。よろしくお願いします。
もしミート坊に興味が無くてもいいので、
私に会いに遊びにきてやってください。
35歳までのビューティなら大喜び。

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7月の日記を過去日記に移しました。





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