病弱な花々は閉鎖しました。
約三年間、大変ありがとうございました。
幾人かの方からご要望を頂きましたので、
過去ログを残していきます。

2007 2/16 後藤あきら.

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なにかありましたら


■2021/04/12 『瓦礫の夢』
 埋もれたまま十年は過ぎた。途中で目が覚めることもなく僕もまた十年分の年を重ねた。夢を見ていた様な気もする。酷く頼りない物だったような気もする。どんな夢だったのかはどうしても思い出せない。

 震災から十年が過ぎて。あらゆる想いや思惑を袖にして大いなる伝染病は蔓延り。人々は分断され、黙りこくっている。この十年ですっかり綺麗に整備された海岸線にはもう何も残っていなくて。空白を埋めるために打ち建てられたモニュメントが海風に吹かれている。あの日、瓦礫と吹雪に覆われて何も見えなくなったことを思い出す。それはまるで熱に浮かされた午後に見る白昼夢のようだ。

 見えなくなったまま十年は過ぎて。遺失物は漂着することもないままただただ失われ、夢見る。言葉は海風にさらわれ、見えなくなったその先で白く輝くのだろう。瓦礫を吹き渡っていた風の音を忘れることはしないだろう。風の中に時折混ざった誰かの慟哭と祈りの声を、決して忘れることはしないだろう。どうか、どうかと。繰り返し繰り返しひたすらに繰り返される、それは瓦礫の夢だ。夢に埋もれてまた長く眠る。長く長く眠って、やがて那由他の彼方に辿り着けたのなら。僕もまた綺麗に片づけられて世界からいなくなる。まるでもとからすべてが夢であったかのように。


 ご無沙汰しています。後藤あきらです。
 先日、東日本大震災から10年を迎えるにあたり、「そういえば病弱な花々はどうしただろう」と思い当たりました。
 確認してみましたところ、なんとまだ消去されずに残っている。
 「上の文章についてはしばらくの間をもって掲載をやめ」等と書いたにも関わらず、そのまま消すこともせず放置されていたものです。
 少しばかりの驚きを覚えるとともに、ちょうど節目という事もあり、これも何かの縁かと更新してみようかと思った次第です。
 幸運なことにFTPデータもまだ残っていました。
 ついでにスマートフォンからも閲覧しやすいように少しだけ内容をいじりました。
 昨今の事情を鑑み、というやつです。
 10年も経つと色々なことが変わりますね。

 せっかくの機会ですので近況をお話します。
 この10年で仕事は何回か変わりました。
 引っ越しは4回しました。
 幾人かの友を失いました。
 祖父母はすべて亡くなりました。
 幼馴染みの父君が急逝し葬儀の手伝いをしました。
 2017年の1月に入籍しました。
 相手は2005年12月のクリスマスに一緒にカニを食べに行った彼女です。
 子供はいません。(作る予定もありません)
 今月中に私は40歳になります。
 大学生の時に始めたこの「病弱な花々」を見ると少し面映ゆいような気持ちになります。

 上に発表した「瓦礫の夢」について。
 震災から10年となる今年の3月を、不思議な巡り会わせによって被災地沿岸部で迎えました。
 本来であれば多くの式典等が執り行われていたのだと思いますが、ご存知の通り、新型コロナウイルス感染症の猛威により何もかもが中止になり、なんとも静かな節目となりました。
 私といえば、たまたま公的な仕事についていたこともあり、様々な企画が立てられては軒並み消えていく様を見守ることになってしまいました。
 感染症の拡大状況に翻弄されながら多大な時間と労力を浪費して立ち上げられたあれこれはみんな消え去り、後にはその残骸だけが残ることになりました。なんとも寂しい心持ちです。
 それらを後始末しながら、いつもなんとはなくぼんやりと脳裏に浮かんでいたものが、時間とともに粛々と片付けられていった海岸線の瓦礫の山でした。

 大震災が与えた影響は思いの外大きく、私もあの日狂ってしまった何かが未だに戻り切っていないむずがゆさを感じています。
 10年です。早10年が過ぎてしまいました。これからも引きずって行くことになりそうです。
 周囲にお話を伺うと、似たようなことを感じていらっしゃる方が存外多いことに驚かされます。
 ふわふわと足元がおぼつかない感覚です。
 それはあの地震の揺れの中で感じたもののようでもあり、足元を優しい波に浚われるあのくすぐったいような感覚のようでもあり、夢の中のことのようでもあります。
 もしまた幸運にも10年後があるとするのなら、その時自分がどう感じているのかをお話しできたらと思っています。

 随分と長くなってしまいました。
 伝えたいことがまだまだあるような、もうなに一つ残っていないような。
 なんとも頼りない気持ちのままつらつらと書き連ねてしまったようです。

 4月ですね。また春が来ました。
 それが嬉しく、悲しい。
 どうか、皆さんにとってもそうでありますように。
 どうか、皆さんが静かな春を迎えておられますように。

 「僕」はまだふらふらと揺れ続けています。
 それではまたいつかの日に。

 2021.04.12 後藤あきら

■2011/03/21 『揺れ続けて』
 いつの間にかあの巨大な地震から10日経っていて、その事に素直に驚いている自分がいて。僕は、この未曾有の大惨事の当事者でありながら、何も語る言葉が無いことに気付いた。いつの間にか、いや、もう本当はしばらく前から分っていたことだけど、既に僕は本質的に物書きではなくなっているんだろう。

 あれから数日、毎晩光の無い地上から空を見た。これほど暗く、明るい故郷の夜空を僕は知らなかった。知ることがあるとは思わなかった。しかしその事実は、音の無い夜と波長を同じくするように僕の中で響きはしなかったらしい。

 僕を揺らす物は年々目に見えて磨り減っていくようだ。これが静謐を望み続けたその結果であるというのなら、甘んじて享けてしまおうと思うのだけれども、どうしてだろう、どこかで納得できていない自分がいる。時間が過ぎて零れ落ちていった何かが、本当に何だったのかを思い出せなくなったことにどうやら気付いてしまったらしい。僕は失っていきたかったのだ。失っていかされたかった訳ではないのだ。

 あまりに強大な力で沢山の物を奪っていった大災害を、ようやく来た電気の下でぼんやりとテレビを通して見つめ続けているけれども、これを受け止めてしまえるほど、僕の中の空白は茫漠とはしていないようだ。失っていかされた数限りない人のことを思うと、何だか頭の隅が濁る。僕に残された幾つかの言葉では、その汚泥を最早切り出し得ないようだけれども、だからこそなのか、何だか大声で誰彼構わずに泣き叫んで回りたいような、小さくて固い心持ちだ。

 あっちへ、こっちへと揺れ続けて僕は間もなく三十になる。間もなく、どうしようもなくなる。ああでも、水を求めて俯いたまま歩いた酷く狭い視界の端に、いつの間にかオオイヌノフグリが風に吹かれて揺れていた。それを照らす日差しは驚くべきことに既に春の装いを纏っている様でもあって、僕は無様に混乱し、脱力し、膝が砕け、口角は緩み、声にならない声で空を仰いだ。海の方で空は黒く燃えていた。鳴り止まないサイレンの彼方、遠い山の方で残雪はまだ白くへばりついていた。頭上で絶え間なく唸るヘリの合間から春が何かを待ちわびていた。地上で僕はやっと泣けた。情けなくふらつく心の底のヘドロを、やっと搾り出すことが出来た。

 どうしようもない事を、どうしようもなくなくしてみよう。手元に無い物を手繰り寄せて、それでも遠ければ自転車で汲みに行こう。明かりは、朝になればきっと大丈夫。冷たい手は、春になればきっと大丈夫。言葉未満の声は、どうしてやろう。僕は、間もなく本当に三十になってしまう。僕は、間もなく本当に春になる。僕は、まだ本当に生きている。生きて、揺れ続けているのだ。



 実は未だにちらほらとお問い合わせを頂いております。
 お久しぶりです。後藤あきらです。
 まさか覚えていて頂けるとは思わず、驚くと共に感謝しています。
 私は未だ在仙ですが家族友人共に無事に過ごしています。

 震災の直後、急に降り出した猛吹雪に世界が白くなっていくのを呆然と見守りました。
 何も無くなった海岸線を自転車でひたすら走りました。
 誰もいなくなった建物が西風に鈍く軋む音を聞きました。
 少ない水や物資を求めて列に何時間も並びました。
 何年も連絡を取っていなかった友人と蝋燭の下で夕飯を囲みました。
 その日初めて会った人々と膝を交えて何時間も語り合いました。
 バイクで遠い親戚の安否を確認に行ったとき、
 二時間近く走行して一度も点灯している信号を見ませんでした。
 根も葉もない暴力的なデマが外から流れ入ることに胸が痛みました。
 やっと映ったテレビがしかしながら原発の事ばかりを報じていて、
 世間の関心が何処にあるのかを改めて知りました。
 海沿いの街で三名の御遺体を瓦礫の下から掘り出し、悼みました。
 ずっと懐に忍ばせていたデジカメは結局一度も取り出しませんでした。
 二週間ぶりに入ることが出来た風呂に張り詰めていた気持ちがやっと溶けました。
 何処で何をしてもどんな情景を見ても「僕」は「僕」でした。

 上の『揺れ続けて』は被災して丁度十日後に私が書いたものです。
 ご覧の通り、すっかり昔のようには書けなくなってしまいました。
 しかし不思議とそれについては何の感慨も湧きません。

 上の文章についてはしばらくの間をもって掲載をやめ、
 また静かに沈没していようと思います。
 どうもこんな日々の越し方が性に合っているようです。
 おもてにはどうやら今年もまた春が来ました。
 それではまたどこかで。

 追伸。
 大変遅くなってしまいましたが、アサイさん、御結婚おめでとうございます。
 本当におめでとうございます。
 どうか末永くお幸せに。

 2011.04.22 後藤あきら

病弱な花々©2004 Akira Goto. 
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