200509
■2005/09/01 「香りの記憶」
 Calvin KleinのCK-be。それが16の頃からつけている香水の名前。Kenzoに浮気したこともあったけど、結局戻ってきた。ユニ・セックスと言って、男女両方に合うらしい。値段が手ごろなのにも関わらず、どこかいつもマイナーな香水だ。マリンノートの根強い人気の中で、ムスクという、少し我が強い香りのせいだろうか。それともボトルに愛想が無さ過ぎるせいだろうか。
 最近、人から「後藤君の匂い」と言われることが多くなってきた。どうしてか分からない。私の匂いだって? これはあの人の匂いだ。煙草をくわえながらぼんやりと暮れなずむ街を見下ろしていた、あの美しい人の匂いだ。私に陰鬱な世界の表情の一つを教えてくれた、あの悲しい人の残した匂いだ。
 こんな夏の終わりの朝に、煙草の匂いと体臭に混ざって今ではすっかり馴染んだCK-beをつけると、ボオドレールとカミュを愛してやまなかったあの人を思い出す。
■2005/09/02 「追悼」
 いつ降り出してもおかしくないような、しかし薄ぼんやりと星の瞬きを感じられる、こんな雨の匂いのする夜に、言葉も無く、することも無く歩き出す。
 歩調と思考は相性がいいのかもしれない。薄暗い部屋に閉じこもりきりでは中々考えないようなことが、つらつらと浮かんでは先から消えていく。
 みんな、どうしているのだろうか。幸せだろうか。漠然とそんなことを思いながら、みんな、の範囲の広さに年齢を感じては、くわえた煙草の煙が目に染みる。
 夜道を歩く時、思い返されるのは過ぎ去った情景ばかりだ。
 君の声を忘れた。仕草も。顔は、ぼんやりと覚えている。こんな私にも貴方の幸せを願う権利はありますか?
 約束を覚えている。でも、それがいつのことだったのか思い出せない。こんな私が誰かの幸せを願うのは不遜ですか?
 曲がり角に来るたびに逡巡しては溜息をつく。歩き慣れた道は今日も不親切で、決して答えを教えてはくれないから。そんなの分かりきっていたことだけれども。
 気が付けば懐かしい人の家の前まで来ていた。記憶が滲むほどの過去、こんな私に愛を告白してくれた人の家だ。明かりは消え失せている。表札はかかっていない。もしかしたらすでに越した後なのかもしれない。六月のアジサイの側、雨の音も無く降る日。俯きながら語られた幼い愛の言葉は震えていた。 今の私に、あの時の彼女の勇気の何分の一があるだろう。
 優しさを知らなかった時代を思い返しながら、雨の匂いのする晩夏の星空を見上げれば、立ち上ることも無く澱むくわえ煙草の煙が消えていく。
■2005/09/03 「散文日記」
 寂しい気持ちにはなっても、不思議と人恋しくはならない。何故かは分からないが、窓の外に気の早い秋虫が鳴いている。蝉の声は聞かなくなった。夏は別れも告げずにいなくなりつつある。
 一人過ごす夜に慣れてしまった私は、まあまあ高いウィスキーを嘗めては言葉と戯れる。この仕事がどこに掲載されるのかも分からないし、随分前から興味も失ってしまっている。しかし自分の文体を失ってからどれほど経っただろう。モニタに表示されたテキストエディタの上には、今日も知らない誰かの愚痴のような商業的な言葉が連なっている。窓の外に雨の音。窓もカーテンも空いたままだ。
 近く、日本中を覆うような台風が来るらしいとラジオが囁く。アフガニスタンで日本人中学教師二名の死体が発見されたそうだ。ペットボトルのウーロン茶はいつしか飲みなれてしまって、 それが何であるか考えることは止めてしまったけど、もう少し涼しくなったらコーヒーを飲みたいと考えている。
 窓の外では雨の音に濡れて秋虫が鳴いている。こんな夜を散文的と表現することは許されるのか。 許す? 誰に許しを乞うているのか。微かに降り続ける雨の向こうには夏の匂いがもう感じられない。
 モニタに目を返す。乳白色のテキストエディタは今日も目に優しくて、迷う事無くローマ字を平仮名に、そして漢字へと変化させていく。自分でも信じられないが、最近やっとブラインドタッチができるようになった。そんなどうでもいい事を考えながら自動筆記されていく文章を、誰かが値段をつけて買ってくれるから書く。いや、書きたいから書いているのか? もう分からなくなりつつある。自動的だ。なんとも自動的だ。意識的な客体なんて言葉がつらつらと浮かんでは端から霧散していく。こんな虚しく力のない言葉をどこで仕入れたのか見当もつかない。
 テキストエディタが文字で埋まっていく。窓の外で秋虫が鳴いている。そろそろ規定文字数に達してしまう。まとめなくてはならない。寂しくは無いはずだと自分に確認することは最早矛盾しているのかもしれない。まとまらない思考。分割された高速思考。展開されたそれらが個々に自己主張。黙らせることはしないで煙草に火をつけた。
 ウィスキーのボトルは間もなく空になる。今月に入って何本目だろうか。今度はもっと粗野なウィスキーを買ってこよう。ジャック・ダニエルのような醜悪な強靭さを兼ね備えた物を買ってこよう。こんな九月の夜とコンポから流れ続けるBlues Rockには吐き気がするほど似合うだろう。
 そろそろ終わりだ。後20文字。  予め設定してあるテキストエディタの境界線が迫っている。大量消費されていく運命を持つ小さな物語の終わりを見届けながら、なにか大切なことを失ってしまったような気がして胸を押さえた。寂しい気持ちにはなるが、不思議と人恋しくはならない。秋虫の声はいつのまにか掻き消された。雨が、来る。
■2005/09/04 「Tones」
 音に込めた想いが伝わる、なんて、そんな夢を本気で見たことがあるわけじゃない。これほど言葉を尽くして、真心を尽くしても行き違ってばかりの世界の中で、たった一つの歌が何かを変える、なんて思えるわけじゃない。今日も報道こそされていないが、さる国ではテロが起こり、地雷を踏んだ少女の片足が消し飛んでいる。日本という幸せな国の中でのうのうと生きる私の傲慢な祈りなんて端から届く訳が無いんだ。  でも、……でも。それでも。私は声を嗄らして歌いたいと思う。歌うことしかできないから、歌いたいと思う。涙は見せずに、いっそ睨みつけながら歌いたいと思う。だから今日も拙い言葉を綴る。

TOPテキストに『Tones』を追加しました。
■2005/09/05 「新装開店」
 模様替えにしたってなんだって、何かを変えるということは何らかの決意がいる。そしてさらにその決意の為には、どんなにつまらないことだって良いから何かしらの理由が必要にもなる。変えるという事は重労働だよ。安易なテンプレートを逸脱しさえしなければ毎日を平穏にやっていけるのは分かりきっているし、もしかしたら変えてしまった事によって予想もつかないような悲しい事が起こるかもしれない。カオス性理論なんてそれの最もたる指標じゃないか。
 しかし、こんなにも分かりきっているのに、それでも私達が何かを変えようとするのは、そして変化を求め続けるのはどうしてだろうね。ああいや、進化論を引き合いに出して云々するつもりなんてさらさらないんだ。ただ、そうであるという事実が存在してるって事。それがとても不思議で、同時にそれだけで充分なような気もする。

サイトを改装しました。シンプルにやっていきます。
■2005/09/06 「風を待つ日」
 NEWSで流れ続ける台風の続報に全くリアリティを見出せない。この頃やっと涼しくなってきたのでまた飲み始めたコーヒーが、ぼんやりと湯気を立ち上らせているのを感じながら、垂れ込めた曇天を窓越しに見上げた。仙台にはまだその兆候は見えなくて、肌寒さにまとわりつくような湿気だけが気を滅入らせる。しかしここ数日の天候には正直参ってきた。秋は夕暮れだ、と清少納言もあんなに昔から親切に教えてくれているけれども、甚だ遺憾ながら今日もその「をかし」は堪能できそうにない。

 TVのブラウン管の中では、若いレポーターが暴風の中で息も絶え絶えに現場の壮絶さを伝え続けている。時折風に煽られながらも、刻一刻と激しさを増す嵐の中で状況報告だ。少し笑う。ただの年中行事なのかもしれない。現場の過酷さを可及的に真に迫って伝えたいとか、そういう理想もあるのかもしれない。しかしその姿から感じるのは、下卑た野次馬的な根性と、お祭り騒ぎにも似た無責任なエンターテインメントの歪んだ形だ。間もなくやってくるという宮城県沖地震でも、彼らは大挙して押し寄せては気の毒そうな顔をして帰っていくのだろうか。

 久しぶりにTVを見たせいか、どうも思考がネガティブに働いていくのを感じて溜息をついた。報道されることによって、その後、あの暴力の塊のような自然界の力が通過していくであろう地域への、充分以上な注意喚起となっていることなんて百も承知なはずなのに。しかし、どうにも気が沈む。やはりこの曇天のせいだろうか。続けて再度溜息をつく変わりに口に運んだコーヒーは、もう随分冷めてしまっていた。

 何気なしに昨晩から読み返していた中原中也は先ほど放り投げてしまった。こいつはなんともお気楽な奴だ。歳を重ねる度に嫌気がさしてきているような気がする。放り投げてしまったので、今度はファウストを読み返してみた。ゲーテというのは面白いおっさんだな、いくら読み返しても飽きが来ない。若きウェルテルの云々はもう二度とページを開くことはないだろうけれども。これも読み終えてしまったら今度はどうしようか、久しぶりにハイデガーでも嗜もうか。この際、寺山修司でもいい。太宰だって? こんな気分の時にうっかり読んだら死んじまうよ。

 ひねったラジオからは、やはり飛び込んでくる台風速報。参ったな、逃げ場がない。ケースからギターを取り出し、思いっきりチューニングを落とした。視界が歪むくらいディストーションをかけたら、感情の赴くままに掻きむしろう。少なくとも、こんな下らない文章を徒然なるままに日暮らし硯に向かひて書きなぐっているよりか、遥かに生産的だろう。「実存は本質に先立つ」だって? 知ったこっちゃないよ。なにを当たり前のことを口走ってるんだ。ほら、見えないのか? 実存の権化が鼻息も荒く渦を巻いて、すぐそこまで来てるだろう。なんとも困った駄々っ子ではあるけど、さ。その一挙手一投足に国中が真剣に恐々としながら、それでもどこかで心躍っているんだ。

 サルトルが笑っているような気がする、風を待つ日のこと。
■2005/09/07 「表現衝動」
 文章にしろ、音楽にしろ。クリエイティブな作業を毎日していると、時に疑問が湧きあがってくることがある。なぜ、自分は何かを作っているのか。作品を作り上げればどこかに発表したくもなる。人に見てもらいたい、そして認めてもらいたいという気持ちが少しでもないかと言えばそれは嘘になってしまう。心のどこかではどうでもいいと思ってもいるけど。
 表現欲、という物が存在しているような気がする。また、それとは少し違う自己顕示欲というものがある気がする。この二つは、厳密な意味では区別される物だけれども、一方で切っても切れない関係でもある。昔どこかの誰かがこう言っていた。「もし自分ひとりしかこの世にいなかったら、誰も見てくれる人間がいなかったら。俺はこんなことをし続けているだろうか」。
 私は……どうなんだろう、と思う。物を作りたいという強い衝動が今はある。でもそれは自己顕示欲を全く含有しない純粋な想いだと言い切れるだろうか。確かに、誰にも見せたことの無い自分の為だけの作品を、私は幾つも作っては大切に保存してある。だが、それが何かの証明にはならないような気がする。現に今こうして、webという手段で自分の独り言のような益体も無い考えを、不特定多数の人間に向かって駄々漏れにしているのだから。

 台風が通り過ぎていった窓の外は、濁りの無い陽射しが照らし、名残のような強い風が吹いている。こんな狭っ苦しい部屋の中で退屈な時間を過ごす私にとって、それらはあんまりにも眩しすぎる。そうだ、友人に会いに行こう。そして近くの河辺に行こう。真昼間からビールを片手に、わずらわしいことは全部放り投げて、増水した河の流れを見に行こう。ちょっと方丈記を気取って、無常観に浸ってみよう。欲望なんて俗っぽい甘えは、端から丸めて捨てちまえ。

 風が通り過ぎた日のこと。そんな夏の終わりの日のこと。
■2005/09/08 「失くした1/2」
 初めて彼女を見かけたのがいつだったのか、はっきりとは覚えていない。空が高く、陽射しが眩しくて、私はそれを「暖かい」と感じていたから、恐らく晩春辺り、五月くらいのことだったのではないかと思っている。そんな風にどうにも曖昧な記憶の中で、ところがどうして彼女との出会いは心の奥底に鮮烈な輝きとなって焼きついているのだ。眩い季節の中、それは街での事。彼女は全くその予兆を感じさせる暇も、また、そういった唐突な出会いに対する覚悟ができる余裕も与えてくれず、この視野の中に飛び込んできた。
 あの時の心境を言葉で説明することは容易ではない。無理やりに言葉を紡ぐとしたら、『世界が、輪郭を無くしたようだった』。私は声を失い、ざわめき立つ休日の街の喧騒が、一気に自身から引いていったことを覚えている。私は息を呑んで、思考停止した頭を数度軽く横に振った。「出会ってしまった」。そんな陳腐に過ぎるフレーズだけが、議員候補者が車上からがなり散らす馬鹿げた選挙広報よろしくグルグルと頭の中を繰り返し巡っていた。もうはっきり言ってしまおう。運命。それは運命だったのだと思う。

 それから少し時間が空いた。その間、実は彼女の姿を数回雑誌上で見かけていた。私は驚きを覚えながらも、その美しい姿に見惚れ、眠れぬ夜を幾度か過ごし、身を焦がしながら彼女を思い続けた。
 そしてとうとう、私はまた彼女に出会った。彼女は同じ店の同じ場所で静かに佇んでいた。私の覚悟はすでに決まっていた。迷う事無く、しかし拳をきつく握り締めて、私は彼女の元へ歩いた。ゆっくりと、慎重に、一歩一歩。そんな風にして歩が進むたびに、どうしてか耳鳴りが酷くなってきて、私は一度、大きく溜息をついた。
 店の憂鬱な照明が、彼女の美しいかんばせを薄暗い澱みの中からくっきりと浮かび上げていた。店内には少しだけ大きな音量でJazzが流れている。ビル・エヴァンスの……曲名は忘れてしまった。その時の私には彼女以外のどんな物にも価値は無かった。ジャジーなピアノの恋に疲れたかのような吐息なんてどうでも良かった。
 流れるような烏羽。美しく豊かな黒。無駄な物が一切無い造詣。真にシンプルな中にしか生まれない孤高の美しさ。触れれば壊れてしまうような繊細さの中の、しかし筋の通った強さ。それが彼女を間近にしての、私の最初の所感だった。
 あれほど「勇気」というものを意識したことは後にも先にも一度も無い。私は、躊躇いがちに声をかけた。一瞬訪れた沈黙に、「息が止まりそうだ」という表現を初めて自身の身をもって体験した。
 どれほどの時間がたったか。陰鬱なライトと煙るようなJazzの音列の中で、彼女は確かに一度にっこりと頷いてくれたように思う。 私はその夜、彼女を逸る胸の内に強く抱いて、何かに祈るような気持ちのまま、家に帰った。「もう、離れることは無い」。そんな、今思い返すまでも無く、どこまでも青臭い、でもどこか悲壮な決意だけが若い胸の中で燃えていた。

 彼女とはあれからもう9年近くの付き合いになる。その長い時間、一瞬も側を離れる事無く、私と共にその人生を歩んでくれた。悲しいときも、嬉しいときも、やりきれないときも、もう生きてはいけないと思ったときも、彼女はずっと側にいてくれた。何時間でも抱き合って、時にはそのまま共に眠った。情熱的に抱けば、それ以上の熱と真に迫った吐息を返しては、時折高く鳴いた。
 この大層な言葉を、私は臆面も無く彼女に贈ろうと思う。「愛している」。貴方以上に愛する人なんてもう絶対に現れない。貴方は私の1/2。私たちは比翼の鳥。愛している。だから、ずっと側にいてくれ。私も全力で貴方を抱きしめ続けるから。

 Fender 『TELECASTER Custom』。運命の人。
 彼女は今日もその澄んだ声を震わせては、私の胸の中で囁く。

 暇な昼日中のこと。タイトルからして嘘全開な日のこと。(ごめんなさい)
 聴きたい人はここで『Fly up in the AIR』か、ここで『rest in death』を聞いてネ!
■2005/09/09 「夕立」
 夕立が降るからと、傘を取り出した僕らより、手を広げて笑っている道端の花の方が綺麗だった。
 空が暗くなって、ふと懐かしい気持ちになった。西日が遮られた晩夏の帰路はいつもどこか朧気な表情で、過ぎ去ってしまった季節の名残をその温い路面に残している。夕暮れを待つまでもなく、雨の気配が色濃く迫ってきていた。湿気を含んだ風が少しずつ強くなる。その匂いを嗅いでみると、秋にはまだなりきれていないようだ。こんな季節の隙間に特有の寂しい色が見えるような気がする匂いだった。

 シンプルな灰色に近い紺の傘を君は広げた。小柄といっても良い彼女には少し無骨に過ぎるように見える。どうやら男物のようだった。僕は訝しげな表情をしてしまっていただろうか。「お父さんの傘なんだ」、と、はにかむような表情で君は言った。
 雲は西空からやってくる。夜が近付くのを待つ気はないようだ。どこかで遠雷が響き始めた。風はますますその暖かさを失った。「一雨来るごとに秋がやって来るんだよね」。誰に向けた風でもない口調で君が言う。「そしてそのたび夏が遠ざかる」。視線は一見して曇天の空へ向かっているように見えたが、その実、どこも見ていないことはもう知っている。(夏が、遠ざかる)と、僕は何度か暗誦して、その言葉に秘められた何らかの意識をすくい上げようとしたが、それに失敗した。
 「ねえ」。いつのまにか、さまよっていた視線が僕に集中していた。「遠ざかった夏は、どこに行くんだろうね」。何となく予想していた言葉ではあった。夏は、どこに行くのか。そんなこと分かるはずがない。困った表情を作って君を見返したとき、とうとう堪えられなくなったのか、空が雨を落とし始めた。傘が盛大な音を立てて端から濡れて行く。夕立だ。特有の雨の匂い。アスファルトが湿っていく匂い。そうだ、これは幾度となく嗅いだ夏の終わりの匂いだ。毎年包まれて来たはずの、夏の断末魔の匂いだ。どうして忘れていたのだろう。僕はこの匂いをいつでも愛しく悼んで来たのに。このドロリと透き通った空気に、一つの季節の終わりと一つの季節の産声を確かに毎年感じてきたのに。どうしていつもそれを綺麗に忘れてしまうんだ。

 「もういいや」。唐突にそう言うと君は、あの灰色に近い紺 ‐‐それはあの夕立の雷雲と奇しくもその彩りを同じくしていた‐‐ の傘を軽快な動作で空中に放ると、雨色に染まった夏の終わりの道へと踏み出した。そしてぼんやりとその後ろ姿を視線で追う僕を一瞥もせずにそのまま歩き始める。

 雨は激しさを増すばかりだった。僕はふと、彼女が通り過ぎていく道の端に揺れる名もない花に目を止めた。全身を余す所なく濡らしながら、それでも両腕を広げて揺れるその姿は、まるで君の姿をそのまま何かしらの詩的な幻想で大地に写し取ったかのようで、しばし言葉を失った。近い所で雷鳴が轟いた。やはり雨は激しさを増すばかりだった。
 僕は自分が差していた百円のビニール傘の柄を一撫でしてからそれを畳む。そして随分先に行ってしまった君の後を足早に追いかけ始める。遠ざかった夏の終わりの空の下に名残のような雨は降り続いて、すぐにシャツの襟元から腹までを濡らした。湿ったジーンズは歩を進めるたびにきしむ。靴の中のことはもう忘れることにした。この雨もやがて通り過ぎていくだろう。
 後数歩というところまで追いついたとき、君はにわかに振り返って、すっかり張り付いてしまっていたその長い髪を軽く払った。そして微笑んでこう言うのだ。「今年の夏は楽しかったね。来年はどうしようか」。

 夕立が美しかった日のこと。そんな夏の日のこと。
■2005/09/11 「夜に彼女は」
 夜になると気持ちが沈む、と君は言う。
 楽しかった休日の終わり間際にそんなことを言われてしまった僕は、まだ幸せの余韻を引きずってしまっていたから、変に半笑いの表情をどうにもできないまま、そんな君をぼんやりと見つめた。車の窓越しに流れていく夜の景色を背景に、助手席に乗った君は涙まで流してみせるのだ。
 ギアをオーバー・トップに入れた。95年式のちょっとくたびれて来たシルバーメタリックのセダンは一つ溜息を漏らした後、音もなく足を早くした。窓の外に流れる街灯の列が光の軌跡を残しては通り過ぎていく。ここからしばらくは信号もない。車内には古いJazzが静かに流れているけど、ジョン・コルトレーンのサックスはこの場には酷く似つかわしくないような気がした。ふと、サラ・ブライトマンの枯葉を聴きたくなる。まだ季節には早い気もするけど。
 ギアはオーバー・トップに入ったままだ。左手が寂しかったから君の髪に触れた。君の右手がその上にそっと置かれた。こっそり君を窺うと、もう涙は止まっているようだった。こんな時に何かうまい言葉をかけられたら良いのだけど、とか、僕は埒もないことを少し考えている。いい大人になったのにも関わらず、その部分だけは全く成長していないようだった。若干逡巡して、別の結論に行き着く。もしかしたら逆に退行してさえいるのかもしれない。お酒を始め、沢山の便利な道具を覚えてしまった今の僕は、何も持たず素っ裸でぶつかって行くしかなかったあの頃よりも遥かに劣ってしまっているのかもしれない。自己嫌悪の感情が首をもたげ始めるのを感じた。

 窓の外は相変わらずの気配で、夜が色濃く伏していた。君は静かにそんな景色を見ている。髪を撫でる僕の手はすっかり行き場を無くし、君の上で右往左往していた。間もなく、彼女の家についてしまう。何か言わなければいけないのに、何も思いつかなかった。好きだ、とか、そんな都合のいい言葉では誤魔化したくもなかった。甘い嘘は時にとても大切な要素だけれども、幼いが上に純粋な君をこんな夜にまで騙すことは極力したくなかった。
 エアコンを止めて窓を薄く開くと、湿度の高い風がそっと忍び込んで来た。思いのほか気温は高いようだった。車は滑るように夜の腹の中を進んでいった。そろそろ君と別れる場所に辿り着く。なにかを言わなくちゃいけない。ああ、言わなくてはいけないのに。
 散々悩んだのに、結局出てきた言葉は明日の約束についてだけだった。君は数回黙って頷いた後、「そうだね」と言った。車はいつもの場所に止まった。一瞬の静寂の後、「それじゃあ」と言って君はドアを開けた。僕の手は君から離れて数瞬の間、宙をさまよった。動揺は随分大きかったらしい。

 「ありがとう」。俯いた僕の上からそんな言葉が降ってきた。視線を上げると、薄く窓の開いたドア越しに君の顔が見えた。「ありがとう」。もう一度そう聞こえた。君は手を振ると、すんなりと夜の中に消えていった。
 シートに埋もれたまま、僕は少しだけ笑って、ギアをローに入れた。一つ身震いして車は進み始める。大人にはなかなかなり切れないらしい。ローからセカンドへ。サード、トップ、オーバートップ。物事には順序という物がある。のんびりやればいいさ。

 雨が降りそうな、君と過ごした夜の入り江のこと。
■2005/09/12 「受信BOX」
 PCの電源を入れたら、最初にすることはなんだろう。自分のHPのチェックだろうか、お気に入りのサイトが更新していないかどうか覗いて見る事だろうか、それともそんなつまらないことにはわき目も振らずにすぐさま仕事に取り掛かるのだろうか。私はよほど急いでいない限りメールのチェックをするのがすでに自動化された習慣だ。
 仕事の都合などでメールのアカウントは4つ持っていたりする。プライベートの受信BOXはいつも後回しだ。まずは何らかの連絡が来ていないかどうか仕事用に持っているアカウントを覗いてみる。最近は個人的に思うところがあって、小さな仕事を随分減らしたから、急ぎの連絡が来ていることは非常に稀になってしまったのだけれども。
 今日もBOXの中は迷惑メールに溢れていた。最近良いスパムフィルタを入れたおかげで大部分を削減できるようになったけれども、それでもまだ10通近くのスパムがその網をかいくぐって来ている。戯れにその中の一つを開いてみて苦笑する。タイトルは『貴方に大切なご連絡がございます』だ。なんでも限定50名の抽選に当選したらしい。その手続きがあるから下記のアドレスに行って登録確認をして欲しい、との旨だった。その全く身に覚えのない内容のメールに記されたアドレスをよく見ると、最後の辺りに「hard_love云々」の表記が見える。他愛もない。出会い系の詐欺メールだ。黙って迷惑メールリストに登録した。
 他に届いていたメールも同様、中身を開いて見るまでも無く、センスや知性の欠片も無いタイトルで、最早何の感慨も無いまま処理する。続いて開いたアカウントも同じ事の繰り返しだった。浅ましい欲望が当たり前の顔をしてそこに鎮座ましましていた。

 最後にプライベートのアカウントを開く。こちらにもほとんど内容のあるメールは届いていないことくらい、これまでの経験ですでに痛いほど分かっているから、何の希望も持っていない。第一私に親しい人間はみな直接携帯電話に連絡を入れてくるので、わざわざPCにメールを寄越すのは、何らかの添付ファイルが必要になった場合か、何らかの酔狂に走りたくなった場合だけだろう。
 予想通り、というのも少し虚しいが、幾つかの迷惑メールが目に入って、私は小さく溜息をついた。なんだかとても億劫だ。『お金に困ってませんか?』、『逆援助交際希望』、『久しぶり』、『あなただけに』の件名がモニタの上で光っている。ドラッグして全て迷惑メールフォルダに入れた。私の使っているメーラーは少しだけ特殊で、こうしておけばメーラーを閉じたときに自動で削除されるのみならず、全てを迷惑メールとして今後二度と届かないように処理してくれるのだ。
 迷惑メールフォルダに「未開封(4)」の字が踊った。ちょっと眺めてから、メーラーを閉じようとして……、不意にそのフォルダを開いてみたのは何らかの予感があったからかもしれない。
 『久しぶり』。愛想も素っ気もないメール。私は件名をクリックしてそれを開いた。そして、息を呑んだ。懐かしい人からのメールだった。スパムにまみれたメール郡の中で、息の通った言葉がそこにだけ息づいていた。最初から終わりまで、何度も何度も読み返した。
 そのメールを選択して、受信BOXに移す。返信しようとして、ふと窓の外を見上げた。涼しげな夜の中を半月がポカンと低い空を渡っていく所だった。間もなく秋だ。「久しぶり。もうすぐ秋だね。君と初めて会ったのもこんな季節だったように思う。あれからもう五年も経ったなんてとても信じられないや」。こんな書き出しで、私はメールを打ち始めた。

 ノイズにまみれた世界をこのメールはどこまで泳いで行くのだろうか。半月の夜のこと。
■2005/09/13 「友情の行き着く果ては」
 山梨に住む友人から聞いた話。
 最近、彼はあることで悩んでいるのだという。相談に乗ってくれと言うので、どうにも嫌な予感はするが、メッセンジャーを起動して話を聞くことにした。
 彼には仲の良い年上の女の子の友達がいるらしい。大学が同じだったこともあってか、二人はすぐに意気投合して、たまに昼食を共にすることもあったのだそうだ。出会いの経緯については詳しい話を聞いていないが、なんでもその友達というのはなんとも気さくな人で、とても話しやすく、彼にとっては貴重な女の子の友人ということもあって、楽しい時間を過ごしていたらしい。メールのやり取りも時折行われ、内容は他愛無いことではあったが、大学生活の一つの彩りとしてもとても貴重な物だったのだそうだ。

 変化は、夏休みに訪れた。大学の夏休みは長い。途方も無く長い。彼女とは専ら大学構内での付き合いでしかなかったので自然疎遠になる。加えて彼には夏休み中にこなさなくてはいけない事が少なからずあり、ポツポツと続いていたメールのやり取りも少なくなっていった。
 「自然なことだと思ったんだ」と、彼は言う。「夏休みが終わったら、また馬鹿馬鹿しいけど楽しい毎日を彼女と送れると思っていた。男女間の友情なんて成立しない、とか、寂しいことをしたり顔で言う奴に見せてやりたいとすら思えるほどだったんだよ」。

 変化の予兆は少しずつ訪れていた。「なんだかね、急に彼女から来るメールがとても長くなってきたんだ。それに内容がいまいちよく分からなくて。毎日毎日、その日に自分が経験したことなんかをずらずらって書いて送って来るんだ。……ああ、そうそう。日記だよ。まるで彼女の日記を毎日読まされているような気分だった」。わけがわからないんだけど、と私が言う。「ああ。俺もわけわかんないんだよ」。しばらく考えた後、私は「返信はしていたのか」と聞いてみた。「本当に忙しくて、比喩じゃなく、携帯を開く暇さえない日々が続いていたんだよ。加えて体調も悪くて。だから彼女には予めその旨を伝えておいたんだけど」。
 少し想像してみる。返信も来ないのに、毎日欠かさず日々の出来事を事細かく報告してくる彼女。さらに聞けばメールは決まって毎日深夜に届いたらしい。私はそこに狂気の匂いを感じずにはいられなかった。

 「それで、ついこないだのことなんだけどさ、いつに無く短いメールが届いたんだよ。なんだろうって思って、時間の隙間にこっそりと開けてみた。二人っきりで会いたいって。それだけだったんだけど」。
 なんだ、彼女は彼に惚れてるだけじゃないか。問題は無いだろう。私はその旨の返信をした。「いや、そうじゃないんだって」。彼の返信が凄い勢いでモニターに表示された。
 「そうじゃないんだって。さすがに俺もそれを見たときは、まさか、と思ったけどさ。その直後にまた長い日記みたいな内容のメールが来て。そんでさ、ええと。ああ……頭がこんがらがってるわ。上手く説明できない」
 それから、メールの内容に少しずつ変化が出てきた。「会いたい」、「沢山話したいことがある」、「二人で話したい」という類の言葉が長い長い日記のようなメールの中に脈絡無く、しかし秘されるように挿入されるようになった。その間、もちろん彼からの返信は一切無いのにも関わらず。
 「実は俺いま、心肺機能にちょっと問題があって、今度検査の結果が出るんだよ。もしかしたら軽度閉塞の可能性もあるとかなんとか。とにかくいっぱいいっぱいなんだ。この前「緊急用だ」とかでニトロも貰ったよ。動悸も安定しなくて、夜中に息苦しくなることもある。そんな中で、最近そのメールがなんだか怖くなってしまって……。最近、メールの着信音を聞くたびに心臓が跳ね上がるような気がする。なあ、俺どうしたらいいと思う? なあ、怖いんだよ。なんでかわからないけど、どうしようもなく怖いんだ。どうしたらいいと思う? なあ、なあなあなあなあなあなあなあ」

 私は一度深呼吸してから窓の外を見た。残暑が厳しい今年。日中はあんなにも暑かったのに、夜になると急に冷え込む。冷たい風が開け放してあった窓から音も無く滑り込んできた。だからだろうか。鳥肌が全身に立ってしまっているのは。きっとそうだろう。そうに決まっている。山梨に住む彼のところはどうなんだろう。いや、向こうは関東なんだ、きっと熱帯夜に決まっている。そうでなくては嫌だ。こんな冷たい風が彼のところにまで吹いているのかと思うと、それだけで身震いも大きくなる。

 狂ったように私の返信を促す彼に、私は静かに一つだけ聞いてみた。
 「ところでその子、美人なのか?」
 「いや、ザクレロみたいな顔してるけど?」
 「とっとと着信拒否しろ」

 秋の風と人情が肌寒い夜のこと。
■2005/09/14 「歳月と永遠の中で」
 『おお、歳月よ、憧れよ、誰(たれ)か心に瑕(きず)のなき?』
 「幸福」と題された詩の中でランボーが叫んでいる。幸福、その脆さ。窓の外を見上げれば、空は紅色。今日も一日が終わろうとしている。コーヒーを淹れ直そうとして立ち上がった拍子に、机の上に置き去られていた携帯電話が落ちた。しばし見つめてから、拾う気も起きずにそのまま部屋を後にする。待ち人からの連絡はまだ来ない。
 何もない一日というのはよくあるようで、その実めったにないものだ。だから今日のような平日のど真ん中に降って湧いたような空虚に惑うのだ。コーヒーはドリップにした。時間は腐るほどある。インスタントに甘んじる必要はどこにもない。フィルターからのんびりと深い闇のような液体が落ちて行く。そして闇は狭苦しい器の底に音もなく澱むのだ。
 そんな馬鹿げた空想ほど、覚めるのも早いものだ。私は一度頭を横に振ってから、今日一日をいかに有意義に過ごすかについて思案した。書きかけの長編の続きを書いてもいいし、溜まっている短編の構想を形にしても良い。ギターの調整をしばらくしていないから、いっそ全体を念入りにチェックしてもいいだろう。ああ、古本を買ってきたばかりだった。どれも興味深い内容だったな、読もうか。そういえば今日、彼女は何をしてるんだっけ? 電話をかけてみて、暇そうなら呼び出そうか。
 考えはまとまることのないまま、淹れたばかりのコーヒーを片手に部屋に帰り着くと、いつのまにか寝転んでまたランボーの言葉の海の中にまどろんでいたりもする。いつから私はこんな風に閑を過ごすようになってしまったのだろうか。昔はどうだった、と、ぼんやりした頭に像を結ぼうとしても、もう一歩の所で霧散していく。苦笑してから煙草に火をつけた。なんだか怠惰な気分だ。これが正しく怠惰と言われる物なんだろう。

 『おお、歳月よ、憧れよ、誰か心に瑕のなき?』
 うんうん。分かってるよ。誰も彼もがこんな風に何かを失って、その痛みに泣き、やがて忘れていくんだろう。おい、分かってるって言ってるだろう。少し黙ってくれないか。なんだか酷く胸が痛むんだ。
 日は没したらしい。空が赤と藍に混ざり合う。風が出てきた。今夜は冷えるのだろうか。これといった意図もないままページをめくる手がそこで止まったのはきっと偶然じゃないだろう。

 『もう一度探し出したぞ。何を? 永遠を。
  それは、太陽と番(つが)った海だ。』

 永遠、と題された詩の中で、夕焼けが雄々しく燃えていた。それまで私が夕暮れに感じていたちっぽけな憂鬱さをあざ笑い、粉微塵に吹き飛ばした。二度、三度と読み返す。そして、言葉もなく空を見上げた。そこにはすでに夜があった。
 私は、あの永遠は二度と戻らないのだと、失われ、悲しく思い出されるものなのだと独りで悦に入っていた。そのことを喉元に突きつけられたような気持ちだった。私はただ単純に逃げていたのだ。なにから? 多分我が身を包む怠惰な物全てから。私は、恥じた。
 「もう一度探し出したぞ。何を? 永遠を」。探したい、と願った。心から願った。私は声にならない叫びを上げた。幾らでも見返してきたあの夕闇の名残は、今日、全く違う意味と表情で西の空に漂っていた。

 過ぎ去り、いずれまた来る永遠を思った日のこと。
■2005/09/18 「静夜思 ‐‐李白に寄せて」
 山間に隠れるような慎み深さでその宿は建っていた。仙台の奥座敷とも言われている、普段は訪れる人も少ないその小さな温泉は、渓谷の隙間にまるで時を忘れたかのような風貌を見せていて、近くに峻険な山々を望み、遠くに日本三名瀑のひとつとも言われている見事な滝がある。
 宿入りは15:00。最低限の物だけが揃った古式ゆかしい和室に落ち着くと、窓からは涼しげな山の風と、どこからともなく聞こえてくる川のせせらぎが忍び込んできていた。西方を蔵王連峰に囲まれた県境付近のその地方は日が落ちるのも早く、連なる山の合間を縫うように西日が複雑な綾を見せながら差し込んでくる。
 夕食は18:30とのこと。先に温泉に入り疲れをとることにした。軋む廊下をタオル片手に浴場に向かう。途中通ったフロントで宿の主人が微笑しながらこちらに会釈した。しかし宿の中にはほとんど音がない。時折何かの拍子で夕食の仕込だろうと推察される気配が伝わってくるのみで、人の気配がしない。聞けば、今日の宿泊客は私たち二人だけとのことだった。

 岩風呂から峰を望む。大きくとられた窓を開け放つと、視界には他に何も入らなかった。湯は無色透明無臭のもので、僅かに湯の花が浮かんでいる。泉質の表示はなかった。別になんであれ構わないだろう。温泉にしてはぬるい湯に肩までつかりながら、ぼんやりと暮れていく里の風情を眺めた。窓から一望できる範囲には民家はおろか、街灯の一つも見当たらない。恐らく、ここの夜はまこと夜めかしい夜が訪れるのだろうな、と、先日から痛めている首筋を撫ですさり、思う。
 部屋に帰り着くが、相方はまだ長湯を楽しんでいるようだった。夕食前だが先に始めてしまうことにする。備え付けの浴衣に袖を通した後、よく冷えたビールを取り出して、窓の側に並べられた椅子に腰掛ける。山には夜が迫っていた。あえて部屋の明かりはつけないでいることにする。無意識のうちにペンと紙を取り出して、宿の印象や周囲の空気を書き連ねている自分に気付いた。今日は仕事抜きで来ているんだぞ、と苦笑して、紙を丸めて屑篭に放る。煙草に火をつけると、夜になりかけの薄暗い明るさの中で火が爆ぜるのがいつもよりも強く感じられた。気がつけばビールは空になっていた。

『山は大きくて、見上げる僕は小さい。そんな当たり前のことに驚く県北の名もない温泉宿だ。谷は深く、夏の終わりの中で音もなくそよいでいる。何も考えられない。待ち人はまだ湯からあがってこない。濃密で空虚な時間が滑るように過ぎていく。それにしても山は大きくて僕は小さい。急に不安になった。無理もない。すでに山には秋が潜んでいる。思いがけず強い自己主張で。』
 これはその静謐な時間の中で友人に宛てて送ったメールの文面そのままだ。残念ながらその宿では終始圏外で、結局誰にも届くことはなかったけど。

 秋が、来る。そんな当たり前のことを何度も繰り返し思った。待ち人はまだ帰ってこない。窓の外では夜が始まろうとしている。山向こうの夕焼けが赤みを増す。煙草は二本目に入っていた。もう一本ビールを取り出した。どこにも音がなかった。時間だけが濃密にゆるゆると過ぎていく。涼を増した風が入ってきた。待ち人はまだ帰ってこない。私は急に悲しいことを思い出した。待ち人はまだ帰ってこない。携帯電話はずっと圏外のままだ。こんな何もない時間は久しぶりだ。泣けるか、と思ったが泣けなかった。思えば最後に泣いたのはいつだっただろう。泣くわけにはいかなかったから。今日くらいは泣いてもいいだろう。こんな空気の中でなら泣いても許されるだろう。泣きまねでもいいから泣いてみてもいいだろう。しかし涙は出てこない。声も漏れない。煙草の煙が窓の外に流れていく。夜が来る。秋の気配がする。また秋がやってくる。あの人を失った季節がやってくる。忘れろ。もう繰り返すな。涙が出ない。悲しみだけが膨れ上がる。待ち人はまだ帰ってこない。

 痛めていた首筋は随分マシになっていた。椅子にもたれかかりながら峻険な山々を望んだ。李白のことを思った。酒に酔い、湖に映った月をとろうとして溺死した男の悲しみを考えた。『頭を挙げて山月を望み、頭を低げて故郷を思う』独りの男の夜を思った。月を探したが見つからず、代わりに燃え尽きていく煙草の先を見つめた。夕暮れの赤は間もなく失われる。夜が来る。ああ、待ち人はまだ帰ってこない。
■2005/09/19 「教育実習」
 社会教育実習、と言われて即座にピンと来る人間は非常に稀だろう。そしてそれは教育大学なんて物に通う私自身も例外ではなかった。学友の一人などは「社会科に特化した実習のことか?」等、真面目な顔で言い放つ始末だった。
 社会教育実習とは、「社会教育主事任用資格」という国家資格を取得するために行う実習のことを言う。社会教育主事とは、社会教育法で定められた資格であり、社会教育を行う者に専門的技術的な助言を与える職務の事だ。この資格は都道府県市町村の教育委員会事務局内においてのみ効力を発する。つまり資格をとっても「社会教育主事になり得る」(任用資格)というだけあって、何ができるというわけではない。公務員試験を突破して該当部署に配置されなければいけない。ちなみにこの任用資格は大学の実習のみならず、各自治体によって行われる講習等を、規定された条件分クリアできれば誰でも取得できる。
 この、説明している方もなんじゃらほいな曖昧な資格を得る為に、明日から一週間、国立花山少年自然の家という宮城県内の施設に泊りがけで出かけることになった。県内と言ってもその場所は県北西の果てであり、ほぼ秋田県と変わらない。今から気の滅入る話ではある。加えて現在は山に蜂や熊などが多数出没する時期であり、豊かな自然との望まぬ触れ合いも期待できそうだ。

 夏休み最後のイベントだということで、今日は一日中実習の用意に追われていた。先に配布されていたパンフレットと睨めっこをしていると、「六日分の着替え」や、「外靴二足、中靴一足(共に運動靴)」、「水着」、「カッパ、軍手、帽子」などといった、およそ教育実習と聞いて想起される物からは程遠い持ち物のリストが、活動予定表の合い間に済ました顔をして挟まっていたりもする。時折気が遠くなりながらも一つ一つ確認していき、足らない物は書き出していく。というか、六日分の着替えってなんだ。馬鹿か。大きなドラムバッグも新しく買って来たほうが良いような気がしてきた。

 頭痛がしてきた辺りで、今回一緒に実習へと行くことになった友人から電話が入る。話し出すと同時に愚痴りだす学友を宥めて、明日の予定を確認した。12:00に仙台駅で待ち合わせ。一緒にお昼ご飯を食べて、13:10仙台駅西口発の高速バスに乗る。築館到着が14:10。送迎が来ているので、それに乗って施設到着が14:30。後はなるようになれだ。つうか六日分の着替えに加えて、運動靴三足も持っていけねえよチクショウ。帰りしなに放火でもしないか。でっかい花火打ち上げようぜ。了解。
 やっと買い物リストが揃った所でちょっと休憩。ギターを弾き狂う。これから一週間も彼女に触れないなんて拷問に等しい。胸一杯の愛をギターに全力でぶつけていると、あっさりと弦が切れた。しかも同時に二本。少し笑う。その直後に溜息に変わる。
 PCの電源を入れて、主要な連絡先には留守にする旨のメールを入れた。一度は事前に断っておいてあるが、念のためだ。急な仕事を入れられても困ってしまう。先方はもっと困るだろう。

 なんやかやで日も傾き、今は夕刻。そろそろ買い物に出かけなくてはならない。運動靴を三足も持っているわけがないから、つつがなく購入しなくては。思いっきり地味な、それでいて真っ白な、泣きたくなるほど安い物を買って来よう。一週間もちさえすればいい。どうせその後に履く機会なんて来る訳がないのだから。心許ない財布の中身を思って思わず落涙の心持ちになる。曇りがちな夕空はそんな今日の気分に嫌味なほど沿っているような気がした。夜になる前に出かけたい。そろそろ出よう。リストに見落としがないかどうかもう一度チェックしなくては。
 しかしこの実習が終わったら翌日から大学が始まってしまうのか、と、目を落としたスケジュール帳で確認して暗澹たる思いがした。今年の夏休みは有意義だっただろうか。例年になく時間があった長期休暇だった。来年の夏、今年のことを思い出して苦笑しているような気が今からしている。どうにもままならない気持ちだ。とはいえ随分楽しんだような気もしている。今までになく随分遊んだような気もする。しょうがない。いい夏休みだった、ということにしておこう。そうしよう。じゃないと嫌だ。

 楽しかった、ということにした夏休み最後の日のこと。
 上記理由の為、一週間ほど更新が滞ります。
■2005/09/29 「ただいま」
 高速バスから街の雑踏の中に降り立つと、眩暈に似た感覚に強く襲われて思わず目を閉じた。
 実習で一週間お世話になった国立花山少年自然の家は、当初私が想像していたよりも遥かに世俗から隔絶された場所で、聞こえてくる音らしい音といえば、風の囁きと、森の木霊と、川のせせらぎ、そして施設利用者(主に小学生)の、遠い耳鳴りのように響く歓声だけだった。しかし広大な施設の中のどこから聞こえてきた物か、私は時折立ち止まっては耳を澄ませてみる事頻々だった。
 雨が降り続いた一週間だった。その間私は、自然の家の主催事業である「幼児キャンプ」等に参加し、子供達と共に全身濡れながら大騒ぎを繰り返していた。水温14.5℃の沢の中、時折現れる滝の上から水面に飛び込み頭の天辺まで濡れたし、次々に襲い掛かる薮蚊の群れをやり過ごしながら野外炊飯もした。夜になればたまたま訪れた晴れ間に、金剛石を散りばめたかのような星空を発見して、四歳児と共に口をあけてポカンとそれを見上げていたりもした。しかし、そんな愉快な日々を過ごしながらも、今思い返してみても何故かそれらの記憶は常に静寂と共にあり、それゆえ明晰だった。
 自然の中に生活するということ。一言で言えばそれは私にとって静寂と共にあることであると知った。生活音すらしないということ。呑み込まれていく感覚。静寂、夜には漆黒の闇。もちろん朝には鳥の鳴く声が、夕には秋虫の合唱がそれぞれ楽しめたが、それでも私の印象は静寂だった。同時に雨が、そんな空白をそっと埋め尽くすような気配も感じていた。

 実習を終え、高速バスで仙台へ。たった一週間前に出立した場所へと重い荷物を抱えて帰ってきた。高速バスから街の雑踏の中に降り立つと、眩暈に似た感覚に強く襲われて思わず目を閉じた。耐え難かった。色彩が、音が、一斉に感覚器官を攻め立てるようなそんな気持ちに襲われた。眉間が鈍い痛みを訴えてくるまで強く目を閉じた。次第に自身の周りから音が遠ざかっていった。静寂はまだどこかに残っていたらしい。ふと気付くと、慎み深い優しい気配が感じられるのが分かった。心の耳を澄ました。遠く、静かに、沢に流れる水音が聞こえた。言葉にならない感慨を抱いて、私は目を開け、切符を購入してホームへと向かった。

言葉にならない気持ち。帰郷の日のこと。
■2005/09/30 「僕」
 難しいことを考えるのはもうやめようと思っていた時期があった。頭がこんがらがって、気持ちが沈んで、表情もなくなって、ご飯も美味しくなくなるし、なにより近しい人たちが心配するから、と。真剣にそんなことを考えていた時期があった。あれはいつのことだったかな、多分、十代の終わりぐらいのことだと思う。難しいことを考えるのをやめた僕は、僕のこと、つまり自分のことを考え始めた。
 最近その頃に使われていたノートを見ていて、急に寂しい気持ちになった。僕のノートにはどこもかしこも「僕」で溢れていた。僕は、僕の、僕を、僕で、僕僕僕。僕の世界にはまるで「僕」しかいないようだった。全てのことが僕で始まり、僕で終わっていた。それ以上でもそれ以下でもなく、ただただ僕だった。「まるで金太郎飴みたいだ」、と、今の僕は苦笑した。
 机の中を探ると、その頃に撮影された写真が数枚出てきた。僕は元来写真を撮られるのが苦手だったから、こうして数は少なくても十代の姿が形として残っているのは我ながら素敵なことだと思う。友人達や恋人達に感謝しなくてはいけない。でも、果たしてそこに写っていたのは、自意識と自嘲に塗れて病的に痩せこけた貧弱な「僕」の姿だった。あの頃はご飯も食べずに、なけなしのお金で毎日古本を買いあさってはそれを読み、また中古のCDを買ってきては、コンポから流れる音楽に合わせて気が狂ったような長い時間ギターを弾き続けていたっけ。夕方に始めて気が付いたら朝だった、なんてことはしょっちゅうで、目を灼くような朝日に驚いては安いウィスキーをあおって仮眠についたなあ。その頃僕はある事情で東京に一人で住んでいて、どうしようもない毎日を送っていた。思い返しても、浮かんでくる記憶はほとんど夜が背景にある情景だよ。
 ボクがボクたるユエン、なんてどうでもいいことにしがみついては、それを言葉にし、音にし、酒をあおって飲み下した後、全部嘔吐していた。あの頃からは到底今の自分なんて想像がつかなくて、なんだか毎日何かに怯えては、それを覆い隠す為に強がって笑ってたな。随分卑屈な、汚らしい笑みだった。写真にはそれがありありと残っていて、なんだかとても胸が苦しくなる。

 自分に向き合う時期っていうのは誰にでもあると思うけれども、僕の場合で言えばそれが少しだけ早くて、急速だったように思う。今、大学生という立場で周囲を見ていると、どうもみんなもう少し長く、緩やかにそれを行っているように見えるから。もちろん、現在進行形の人々にはそれが緩やかだなんてとても信じられないだろうけれども。それは必要な時期でもあって、一種の泡沫のようでもある頼りない時間だ。

 今、僕はまた難しいことを考え始めている。昔、放棄したようなことの、さらに発展した形。もっともっと切実で難しいこと。その難しいことについて、自分という人間に何ができるのかなんてことをぼんやりと考えている。吐き気がするほど「僕」に向き合った僕は、自分の身の程について嫌というほど分かっていて、だからこそ、自分に何ができるのかを考えやすい。モラトリアムと呼ばれる時間の中、それについて考える時間は尽きないから丁度いいだろう。
 実は先日、大学の友人と酒を飲んでいて、彼の話す一つ一つに強い『僕としての苦悩』みたいなものを感じた。笑い飛ばすことは簡単だったけれども、それをすることの下らなさも分かっていたから、僕は煙草をくわえながら、目の前に置かれた16年物のバランタインの琥珀色した液体を小さなグラス越しにぼんやりと見つめていた。『僕』なんて、この美しい物の中に全部溶かして飲み込んでしまえばいい。それは刹那ではなく、ただの過程に過ぎないのだから。
 机の中にしまってある十代の肖像と、随分古くなって今にも全部剥がれ落ちてしまいそうなあの頃のノートは、きっといつか失われてしまうかもしれない。でもそれについて考えるのはやめてしまおう。「僕」は、あの頃の僕と違う存在ではなくて、あくまでその延長上に立っている一つの個体だ。僕は、僕の、僕を、僕で、僕僕僕、と叫んでいたあの僕だ。16年前のバランタインが今の僕たちに飲み下されていってしまうことは悲しむべきことじゃない。そう、信じたい。信じたいなあ。

 9月の終わりのこと。

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