200511
■2005/11/01 「November Rain」
 11月になるといつも思い出す光景がある。
 人影の絶えた深夜の交差点で、通る車もないのに友人と二人で信号待ちをしてみた11月の終わりのことだ。随分寒い日だった。冗談めかして「雪でも降るんじゃないか」なんて言い合っていたけど、もし本当にそうなっても全然おかしくないほど寒い夜のことだった。コンビニで買ってきた缶ビールは、皮手袋すらも透過してその冷気を伝えてきていた。首都圏の名もない午前2時過ぎのベッドタウンには奇妙な静寂がそこかしこで揺れていて、ぼんやりと点灯している歩行者信号の赤い灯がなんだかとても寂しかった。
 あの時、信号を待ちながら僕らは何の話をしていただろう。覚えてない。きっといつも通り、下らないアメリカンジョークのような罪のない戯言を言い交わしていたんだと思う。何の前触れもなく君は「あっ」と短い声を上げた。どうした、と問う間もなく、君が空に掲げた手を追って見上げた漆黒の夜空から突然雨が降り出した。「あっ」と僕も間抜けな声を上げたのを覚えている。雨はせっかちな子供のように一瞬で地上を濡らし始めた。
 信じられないくらい冷たい雨だった。僕たちは大慌てで交差点を渡り、走った。信号はいつの間にか青になっていた。手にしていた飲みかけの缶ビールはどうなったのか分からない。あまりに慌てていたから、もしかしたらどこかに投げ捨ててきてしまったのかもしれない。少なくとも全身びしょ濡れになりながら、一人暮らしをしている友人の小さなマンションに辿り着いた時には、二人の手から影も形もなく失われてしまっていた。

 「お風呂、入れる」と、歯の根の噛み合わない声で君が言った。「よろしく」と僕も震える声で返した。先に、と投げてくれたタオルが随分暖かくて、僕は良い匂いのする柔らかな生地に顔を埋めた。やがて蛇口を捻る音と、少し遅れて勢い良く流れ出すくぐもった水温が聞こえてきた後、君が戻ってきた。見たところ手ぶらだったから、貰ったタオルを差し出して「拭いたほうがいい」と勧める。こちらも全身ずぶ濡れの君は「サンキュ」と言って、先程僕がしたように顔を埋めた。
 二人で震えながら10分ほども待っただろうか。「そろそろ大丈夫なはず」と君が言った。「じゃあ、先に入れよ」と僕は答えた。元から色白な君の顔はもう蒼白と言ってもいいほどに青ざめていて、見ているこちらが辛いほどだった。「いい。そっちこそ先に入ったら?」と紫色した唇の君が言う。僕は少しだけ苦笑した。「そっちの方が辛そうです。家主なんだから遠慮せずにどうぞ」と勧めれば、「その論法でいけばそちらはお客様です。ゲストを優先しない訳にはいきませぬ」等々、よく分からない展開になってきたりもする。埒があかない。やがて二人とも黙り込んでしまった。
 結局、おかしな緊張感のある沈黙を破ったのは君の方だった。「じゃあさ、一緒に入ろうか?」。唐突に発せられたあっけらかんとした声に絶句してしまったのは、驚いたからと言うよりも呆れたからと言った方が近いような気がする。「お前、何言ってるのか分かってるのか?」と、相変わらず震えた声のまま、僕は聞いた。「もちろんでゲスよ旦那」と君が答えた。「いや、さすがにそれはマズイというか、なんというか」。しどろもどろになっているのは最早寒さのせいばかりとは言えないようだった。そんな僕に向かって友人はニヤニヤしながら、「お友達、でしょー? 何も問題ナイナイ」と言った。どこからどう見ても面白がっているようにしか見えなかった。
 僕は心底困って、上着を脱いだ君の姿 --下に着ていたタートルネックのセーターは雨のためにすっかりと張り付いてしまっていた-- を眺めた。それまであまり意識したことはなかったけど、随分スタイルがいい。血の気のなかった冷え切った頬に若干熱が通うのが自覚できて、僕はおもわず顔を背けた。
 「ああもう、限界です。このままじゃ寒すぎて死んじゃうよ」と、急に耳元で叫ぶやいなや、僕の腕を強引に引っ張って君は風呂場へと。「おわっ、ちょっと待って! お願いっ」と狼狽しながら懇願する僕の姿は酷く情けないものだっただろうか。

 その後のことはご想像にお任せするけど、僕は今になっても拭えないトラウマを一つ抱えることになってしまった、とだけは言っておいてもいいだろう。とにかく柔らかな香りのする入浴剤の入った湯船で温まった僕たちは、いつの間にか暖房が入っていたらしい部屋に戻り、酒を飲みなおすことにした。しょんぼりしている僕を肴に君独りが随分と上機嫌だったことを覚えている。寒い夜に、暖かい部屋の中であえて冷たいビールを飲む醍醐味について再認識できた事くらいが、その夜の収穫だったのかもしれない。

 どれほどの時間がたったのか、いつしか二人、窓の外で微かな音を立て続ける11月の雨の音に聞き耳を立てていた。窓の外は暗すぎて何も見えない。君がそっと部屋の電気を消した。ぼんやりと目が暗闇に慣れてくると、街灯に照らされた雨雫が白銀の糸を闇の中に幾千も閃かせては落ちて行くのが視認できた。延々と、とつとつと。それは終わりのないような肌寒い夜の中で、終わりのないようなリズムでいつまでも続いていた。ふと気が付くと、君が僕の傍らに寄り添っていた。

 「ね・・・」と君が囁いた。「うん?」と僕は答えた。「November Rainって曲、知ってる?」。「Guns N'Roses」。「うん、そう」。「どうかしたの?」。「うん・・・」。歯切れが悪い君は珍しかった。僕は黙って君の言葉を待った。長い時間がかかったような気もするし、意外にそうでもないような気もした。「あの歌詞のね、最後の部分」。「最後の部分・・・?」。「うん。何だか今ね、ちょっとだけあの詞の意味が分かったような気がしたんだ」。それきり君は口を開くことはなかった。
 残念ながら僕は、その時その歌詞をはっきりとは覚えていなかった。また、夜のかなり遅い時間に酒が入っていたこともあって、随分印象的な君の言葉だったのにも関わらず、それから長いこと綺麗さっぱりと忘れてしまっていた。

 思い出して歌詞カードを開いてみたのは、実は最近のことだ。最近と言っても、もう三年程前の話になる。首都圏での生活から逃げ出し、故郷の東北に戻ってきていつしか二年目になっていた僕は、ある11月の夕方に突然の雨に降られて全身ずぶ濡れになった。しかも折悪しくバイクになんて乗っていたものだから体温の低下は尋常ではなく、本当に死に物狂いで家に辿り着き、取る物も取り合えずシャワーを浴びた。人心地ついたところで、ふと、11月の雨という連想から突然あの夜のことを思い出したんだ。
 「November Rain」。その最後の部分の歌詞を引用して、僕はまたこの記憶を一年間大切にしまっておこうと思う。

  Don't YA think that you need somebody.
  Don't YA think that you need someone.
  Everybody needs somebody.
  You're not the only one.
  You're not the only one.

  誰かが必要だと思わないかい? 誰だって誰かを必要としているんだ。
  君だけじゃないよ。君だけじゃないよ・・・。


 Guns N'Rosesを聞きながら。夜。
■2005/11/03 「Love Songs」
 音楽を始めてから今年で九年目になる。ジャンル問わず、求められるままに随分と曲も作ったけれども、一つだけ、どうしても作ることのできない曲がある。Love Song。世の中に溢れているあれのことだ。
 初めてラヴソングを作ってみようとしたのは、確か三年位前のことだったと思う。あんまり大きな声では言いたくないことなんだけど、当時つきあっていた人に「作ってみて」とお願いされたのが動機だった。
 今もだけれども、どうも僕は昔から恋愛に関すること全般が苦手だ。最近、文章ではそれなりに書けるようになって来たけれども、親しい友人に言わせれば「それでもどこか嘘臭い」らしい。どうしてだかはさっぱり分からない。
 ギターを手に取り、待つ。それが僕の作曲スタイルだ。スタイルなんて言うと格好良いけれど、まともに弾ける楽器がギターしかないから自然にこういう形になる。待つ、というのは、曲想が降りてくるまで試行錯誤する、という意味だ。適当にコードを鳴らしてみたり、鼻歌を歌いながらメロディを奏でてみたり。時には左手でギターメロディを弾きながら、右手でシンセサイザーの鍵盤を鳴らして伴奏をつけてみたりもする。その時々、その曲々で少しずつ変わってくるのは、きっとその曲に必要な要素がみんな違うからなのかな、と個人的には思っている。確固たる根拠はない。なんとなくそう感じるだけだ。
 ともあれ、なんとかかんとかそうやって形作って行くいつもの作曲だけど、Love Songだけは如何ともしがたい。ギターを弾いても、鍵盤を叩いても、鼻歌を歌っても、しまいには何もかも放り出して仰向けに寝転がってしまっても、なんにも降りてこない。色々とイメージを膨らませたりしてみるけど、全て徒労に終わる。気が付けば夜も更けていて、溜息交じりに立ち上がり、ウィスキーをあおる始末だ。これが平安の時代なら、『気の利いた恋の歌ひとつ詠めないなんて、いとあさまし』とでも嘲笑されること確実だろう。
 しょうがねえじゃん、と、自分に言い訳してみたりもする。作ろうと思ってササッと作れるようなLove SongなんてLove Songじゃないよ、なんて、それっぽいことを考えてみたりもする。ちょっとだけ慰められるけど、我に返って眺めれば、目が痛くなるほど真っ白な楽譜が所在無さ気に机の上でモジモジしている。溜息をついて目に付かない所へと押しやった。

 ねえ。聞いてくれるかな。甘っちょろくて耳辺りの良い言葉が並んだ愛の歌になんて興味はないんだ。美しくて分かりやすいメロディに少しだけ寂しいコード進行をつけた恋の歌なんて作りたくないんだ。百万人が一度だけ聞く大ヒット曲よりも、一人が百万回聞いてくれるような切実な歌を作れたら良いなって妄想してるんだよ。世界にはすでに素晴らしいラヴソングが溢れているから、君一人のためにだけ響き渡る歌を作っても良いんじゃないかって思うんだ。なんとかして作りたいなって思うんだ。馬鹿げたことを言ってるって自分でもよく分かってるつもりだけど。

 とにもかくにも。楽譜の白さは本当に目に痛くて、僕はまたそれを閉じては溜息混じりにこっそりとしまってしまう。なんだかなあ。
■2005/11/05 「幸福の所在」
 「いいかい、ぼくらの住んでいるところよりいい場所なんて、どこにもあるはずがないのだよ」。アンデルセンの『幸福な一家』におけるセリフの一つだ。「いいかい、ぼくらの住んでいるところよりいい場所なんて、どこにもあるはずがないのだよ」。僕はこの言葉を幼少の頃に初めて聞き、その意味を改めて考え始めたのは思春期の頃だった。「ここではない、どこかへ」。漠然としたそんな願いが強く強く胸を去来していた、そんな時期だった。空を眺めては雲に手を伸ばす。いっそ散ってしまえたらとさえ考えていた。
 『幸福な一家』中のその言葉は、ある信念の元に発せられているようだ、と気がついたのは、皮肉にも「ぼくらの住んでいるところ」から飛び出し、孤独で苦痛に塗れた日々を送っている途中のことだった。僕は18歳になっていた。「幸福とは外に求めるべきではない。手元にこそ発見すべきだ」。そんな趣旨の下に語られていく信念は僕に大きく悲痛に響いた。僕は、自分のあるべき場所へと帰る決意を固めた。
 メーテルリンクの『青い鳥』を引くまでもなかった。幸福は傍らに転がっているはずなんだ。僕らは時折それを見失ってしまっては、いつでも手酷い仕打ちを受ける。繰り返しだ。分かっているはずなのに。
 業が深い、という言葉は実に意味深かった。『吾れ唯足ることを知る』という龍安寺にあるつくばいの教えを本当に理解できた時には、こんなどうしようもない傲慢さと強欲さを払拭できるだろうか。

 でも。「いいかい、ぼくらの住んでいるところよりいい場所なんて、どこにもあるはずがないのだよ」という言葉には、まだ少しだけ抵抗を感じる。今、僕は「ここよりもいい場所」を求めている訳ではない。何かしらの可能性をこそ求めている。そのためには、そのためには……。
 思春期の頃、空を見上げては遠すぎる雲に手を伸ばし、声にならない叫びを上げていた。あれから随分と長い時間が過ぎたけれども、僕はすっかりそれなりの大人になってしまったけれども、それでも、まだ。

 僕は幸福の所在から目を背ける夢見がちで馬鹿な大人だ。
■2005/11/06 「からっぽ」
 暗い部屋にこもり、膝を抱え震えながら延々と何かを待っていた。
 空は明るくて、透明な初冬の光を窓から投げ込んでくる。風は少しだけ冷たい。ぼんやりとしばらくそれを見つめた後、耐え切れなくなってカーテンを引いた。溜息をつき、ますます薄暗くなってしまった部屋を振り返る。アンプにプラグインしたままのギターと、青色い発光を続けるパソコンのモニターが無表情でこちらを見ていた。思いがけず冷たい物に触れてしまった時のように体が一度大きく震えて、芯が冷えた。僕は、誰もいない部屋に向かって「ごめんなさい」と呟いた。

 時折、自分が空っぽだと思うことがある。そしてひどく不安になる。何をしても消えないその焦燥に転げまわっては、やがて疲れ果てて倒れ伏し、全身を覆う疼痛に似た違和感と戦う。
 からっぽだ、からっぽだ、からっぽだ。自分のどこを探っても、どこに潜っても何もない。何も浮かばない。何も見えない。何も感じない。情けなくて、不安で、怖くて。一方でなんだか笑い出したいような気分にもなるんだ。
 発作のようなそれは、いつも前触れなくやってきては散々僕を乱し、また急に去った。その後しばらくは何にもする気が起きなくて、ぼんやりするのが常だった。自分に「何もない」ということを嫌というほど再認識させられた直後だから、その期間は本当に辛い。自分に関する全てのことにネガティブになる。

 こういう時、時間というのは本当に親切だ。酷い状態を過ぎてしばらく経つと、状況も変わってくる。「自分には何もない」と苦しむのは、もしかしたら、自分には何かあるんじゃないかという希望が、まだ僕の胸の中に残っていると無意識のうちで考えているのでは、という疑問が浮かんでくるのだ。そしてそれが突破口になる。
 もしかしたら本当に自分の中には何もないのかもしれないけれども、それでも。
 僕はまたギターを握り、PCの電源を入れてテキストエディタを立ち上げる。そしてしばらくぼんやりと中空を見つめる。この静かな部屋にはまだ音がない。それなら音楽を奏でて空間を埋めればいい。この真っ白なファイルにはまだ物語がない。だったらモニタを埋め尽くすように世界を書き上げていけばいい。それだけなんだ。そうだ、僕は所詮からっぽなのだから、やれることから始めよう。手当たり次第に始めよう。からっぽなら、自分で埋めれば良いだけなんだから。そしてもしその道の途中で、「なにか」に出会えたなら……。その時には、感謝しよう。心からの感謝を。

 今日も僕は転げまわりながら自分を埋め続けている。
■2005/11/07 「飛ぶ夢を、しばらく見ない」
 毎晩のように『飛んで』いた頃があった。
 その話をすれば、友人はみな一様に「フロイトによるとさあ」と、どうでもいいような豆知識を披露した。僕は心底うんざりしながらも、心のどこかでは面白がっていて、「ふうん、それってどういう話なの?」と、小学生の頃にはもう知識として得ていた『夢判断』の話を興味深そうな表情を作って聞いた。

 夢の中で僕は自在だった。いつも、気がつけば飛んでいた。地上に自分の小さな影が映っているのが分かる。風を切る音と同じ速さで景色が流れ去って行った。奇妙なことに飛び立つ瞬間を夢で見た記憶はない。ぼくはいつでも独りで、寡黙に空を飛んでは地上を見、やがてそれを全て忘れてさらに高みを目指したのだ。空の上では何もかもが空白だった。手に触れる物は何もなかった。いや、あの夢を見ている自分には、そもそも体という物がなかったように思う。僕は、ただ僕という意識存在のみで飛翔していたのだ。

 飛ぶ夢を、しばらく見ない。どうしてだろう。最後に見たのがいつだったのか思い出せない。眠りに落ちる瞬間に、枕に埋もれながらふと、「飛びたいなあ」と考えている自分に気が付くことがある。飛んでどうするのかなんて何も考えちゃいない。そこには激しい衝動もなく、強い欲望もなく、ただ朴訥な羨望があるだけだ。
 自由、なんて言葉は最近ではすっかり恐ろしくなってしまっていて、めったに口に出さなくなってしまった。僕は自由の自由さよりも、自由へと向かう険しい道のりにすっかり臆してしまったのだ。その道はいつも曲がりくねっていて、いくつも曲がり角があり、分岐し、峻険で、イジワルだ。何度目か知れない十字路で僕は膝を突き、哀れを装いながら震えている負け犬になってしまった。神様なんてヤクザな物に助けを乞う始末だ。僕が飛べなくなってしまったのも、もしかしたらその辺りに理由があるのかもしれない。

 今日、仕事でとても厳しい立場に立たされている友人と会った。ボロボロなその姿に僕は何もかける言葉が思いつかなかった。何を言っても虚しく響くだけの嘘は、極力つきたくなかった。しばらくどうでもいい話をして別れた。
 僕は今、また「飛びたい」と思いながら眠りにつこうとしている。友人はどうしているだろうか。彼が、飛ぶ夢を最後に見たのはいつなのだろうか。何一つ分からないけれども、地を両の足で力強く踏みしめ、この世界に果敢に挑みかかり、美しく屹立する彼のその力強い生き方には、多分飛ぶ夢なんて必要ない。

 タイトルは山田太一さんの『飛ぶ夢をしばらく見ない』から頂きました。
■2005/11/08 「風ニモ負ケズ」
 日々における煩雑だけれども取るに足らない数々の事情の内に人生は成り立っている。それは誰にとっても変わらず、変るものがあるとするならば、その煩雑な物に対する姿勢とか、生き方といった呼ばれ方をする物だけだろう。
 人は慣れるものだよ。悲しいくらいにさ。幸せは長くは続かないって昔からよく言うけれども、それがどうしてだか分かるかい。慣れてしまうからさ。幸せを幸せと感じられなくなって、つまらないことにも目くじらを立てて、あげく、自身で破綻させてしまうのさ。分かっているようで、中々分からないことなんだ。何度も繰り返す物なんだ。
 欲望は限りなく膨れ上がり、やがて轟音と共に弾ける。後に残る物は何だ。呆然として取り残される間抜け面した自分は何だ。誰かのせいにしようとして汲々とする醜い姿は何だ。なんともやりきれない気持ちになる。

 全てを自らに引き受けるような強さが欲しいけれども、どこかで仲間が欲しいとも思っている。とりあえず自分のことは自分できっちりやるけれども、時には集まって酒を酌み交わしながら大騒ぎできるような、そんな仲間が。もし僕が、何もかもを誰のせいにもせずに、いつもぼんやりと笑っているデクノボーみたいな強い人間になれたなら、そんな愉快なコミュニティも形成できるのかなあ。分からないけど。
 分からないから今日も僕は口を閉ざして、すっかり冬支度を始めた街路樹の下を、おろおろとさ迷い歩いては風ニモ負ケズ、なんてつまらない冗談に独りで笑っていたりするんだ。時折吹く突風に足元は頼りなくふらついているけれども、ね。

 落ち葉が路地を埋め尽くしていく秋の終わりの日のこと。
■2005/11/11 「おめでとう」
 仕事関係でちょっとした知り合いである人の娘さんが来月結婚するのだそうだ。
 現在52歳であるその知り合いは、彼にとって息子のような年齢でしかない僕に、少し頬を上気させて嬉しそうに打ち明けてくれた。はにかんだ笑顔が透き通った秋の空によく似合っていて、とても清々しかった。「おめでとうございます」。最大限の気持ちをこめて告げられたと思う。「ありがとう」と、彼はまた顔をくしゃくしゃにさせた。
 いいな、と素直に思った。これほど祝福されて結婚できる娘さんは幸福だろうな、と、体の奥の方が優しい暖かさに満たされる気持ちだった。なんだかその後は変に盛り上がってしまい、僕らに加え、やはり仕事関係で付き合いのある人々と共に飲みに行くことになった。めでたい話なのだから否応もない。みな、終始笑顔だった。繰り返される乾杯があまりに自然で心地よかった。

 帰宅し、人心地ついてから「そういえばおめでとうを久しぶりに言ったような気がするなあ」と思った。誰かを祝福すること。それは本当に素晴らしいことだと思うのに、どうしてこんなにマレなんだろう。寂しい気持ちになった。そしてあることに思い当たる。

 僕が何かを表現したいと、そう願っている物の本質は、悲しみでも怒りでも、ましてや絶望でもない。そういった物を多く書いてきたけれども、僕は常々その先にある喜びをこそ捉えたいと願ってきた。人生の綾や人情の襞。そういった物を素朴に書き連ね、その後に立ち現れてくる幸福を描きたいと思う。派手なドラマもなく、かと言って平坦でもなく。辺りを注意深く見渡せば、そんな慎ましやかな美しい物語はいくらでも溢れているはずだ。例えば名もない居酒屋で聞こえてくる誰かの溜息。例えばいつもは曲がる道を曲がらずに歩いてみるということ。例えば冬の海へと向かう静謐な車内。例えば家族で囲む夕飯。一つ一つは何ていうこともないファクターだけれども、人生はそういった連続で成り立っているんだ。僕は、何気なく看過されていってしまう小さな物語に色をつけたい。そして表現したい。喜びを。大声で「おめでとう!」って言いたいんだ。

 人の幸福に触れるだけでなんだか幸せな気持ちになれる。そんな人間としての感性という物を素直に嬉しいと思う。例え道に迷っても、この気持ちは忘れずにいたい。
 もし道の果てに辿り着いたならどうしようか。うん、陸が終わるのなら海に漕ぎ出せばいいさ。地球は丸いのだそうだから、きっとどこにも終わりなんてないのだろう。もし一周してしまって、またスタート地点に戻ってくるのも面白い。今度は行った事のない方角へ出かけてみよう。そして行く先々で出会う人々の物語に精一杯の祝福の言葉を贈ろう。笑顔で贈ろう。

 僕は今ここにいて、誰かに心から「おめでとう!」と言い、いつかは「おめでとう!」と言われるのを待っている。幸せなことだと思わないかい?
■2005/11/16 「冬へ、冬へ」
 連日、空がどんどん変わっていくのを眺めていたら、なんだか言葉が出なくてぼんやりと過ごしている。街路樹はどんどん寒々しい格好になって、否応もなく冬の訪れを教えてくれるから。なんとも感傷的な気分だ。
 最近、思うところあって煙草をやめた。といっても完全に禁煙した訳ではなくて、主体的に吸うのをやめたというだけだ。誰かに勧められたらありがたく頂戴するし、友人の家に行ったら勝手に吸ったりもする。だが、それだけだ。へヴィスモーカー然としていた僕の姿を知っている人間達はみんな心配してくれるけれども、別にこれといったいじましい動機があるわけではない。ただ、秋の夕暮れに、河沿いの道に座って空に消えていく紫煙を見ていたら、なんだかとても辛い気持ちになった。それだけだ。
 秋は過ぎ去ろうとしている。路面を覆い尽くしていた落葉はどこへ行ったのだろうか。毎年注意深く眺めているのに、ちょっと目を離した隙に、一日明けると綺麗さっぱりと消えてしまっている。夜の魔法が季節の残骸を無へと押しやったのかもしれない、と考えては、自分にはとても児童文学を書けそうもないと思い当たる。
 ああ、冬だ。冬が来るよ。空を見ろよ、どこまでも冬だ。深呼吸しろよ、透明な寒気が喉から肺を凍りつかせていくだろう。まるで燃やし尽くすような徹底さで。秋は終わったよ、冬が来るんだ。街の至る所に飾られたチープなクリスマスオブジェがそれを声高に主張している。冬へ冬へ。何にも迷うことなんてないさ。飛び込んでしまえ。
 肌寒い夜には誰かの温もりが欲しくなる。そしてそんな時ばかり誰かに期待している自分を再発見してさらに寒々しい心地になる。冬が来るよ。よれたコートを羽織って颯爽と街を歩こうよ。寒くて震えてきてしまうかもしれないけどさ、窓は開け放っておいてくれないか。そこから遠すぎる無明の空が見えるように。僕が君に会いに行けるように。そしてできれば微笑んでくれないか。春は必ずやってくるのだということを信じられるように。君へ贈る言葉に本物の熱と息吹がこもるように。冬へ、冬へ。眠りについた在りし日の夢が凍えてしまわないように。煙草はもうやめてしまったから、変わりに白い息を吐きながら僕は歩くよ。
■2005/11/18 「眩しいから」
 眼鏡を新調したら、「サラリーマンみたい」とか「ヨン様風かよこのマダムキラー!」とか「どこの読者モデルだ!」とか「笑顔がなんかイヤ」とか訳の分からないことを行く先々で散々言われて、少し凹んでいる。よく晴れた空とは裏腹に冬の風は冷たくて、人の世の住み辛さを夏目漱石先生と語り合いたい11月の空の下だ。残念なことに今読んでいるのは芥川だけれども。なんで今更龍之介ちゃんですかとか言わないで下さい。好きなんです。というか「笑顔がなんかイヤ」って眼鏡と関係なくないか? 今気付いたぞ馬鹿野郎。
 とにもかくにも。馬鹿馬鹿しいけど毎日何かしらの小さな事件に囲まれて、僕は仙台という物静かな北の地方都市で24回目の冬を迎えようとしている。目をつけているコートはちょっとお値段が張るけれども、年齢相応の物だとも思うから思い切ってもいいかな、とか愚にもつかないことを考えては、独りニヤニヤする日々だ。楽しい毎日だと思う。分不相応なくらいに。
 日常。これが僕の日常だって胸を張って言える。喜びと誇りがそこにはある。愉快な友人達と、気の置けない仲間達と。呑気に冬物のことで頭を悩ませることができるほどに。勝ち取った。僕は勝ち取ることができた。たった数年前の絶望的な暗闇が嘘のように感じる。毎日は変えていくことができるのだと、もう僕は大手を振って触れ回ることができるかもしれない。
 時折、目を閉じて空を仰ぐことがある。日々があんまり眩しいから。きつく閉じた目蓋の裏にも眩さはまだありありと残っていて、それが素直に嬉しいと感じる。しばらくしたらまた目を開いて、僕は仲間達のいる光景に歩き出そう。新調した眼鏡は、その幸福な場所を泣きたくなるくらいに美しい鮮明さで映し出してくれる。覚えていたい。いつまでも覚えていたい風景が今日もまた一つ増える。
■2005/11/19 「明滅」
 満月を過ぎた月が燦然と冬の大気の中に浮かんでいる。あんなに明るく輝いているのに、一方で周囲の星もよく見えることが季節を感じさせてやまなかった。間もなく日付の変わろうとしている住宅地の裏路地は奇妙な静寂に包まれていて、ゆっくりと熱を失っていく両手が少しだけ痛かった。雪が降ってもおかしくないような夜だ。
 少しだけお酒が入って上機嫌な君は、そんな寒さなんて微塵も感じないらしかった。僕の聞いたことのないメロディがかすかに君の口から流れていく。曲名を聞こうかどうか随分迷ったけれども、なんとなくこの静かな時間を壊したくなくて黙っていた。
 遠くに時折響いていた、走り去っていく車の音も途絶えてしまって、辺りはますます音を失っていった。冬眠、という言葉が浮かんだ。しばし口中でその響きを転がしてみた後、苦笑して飲み下す。いくらなんでも気が早すぎるだろう。
 通り過ぎていく幾つかの信号はすでに点滅状態に変わっていた。こんな住宅地の奥にも信号が必要なのかは分からなかったけれども、誰も通る人間のいないこんな真夜中の冬路で明滅を繰り返す黄や赤の信号はなんとも寂しげで、驚くくらいに背景に溶け込んでるように見える。
 「冬だね」と、僕の一歩先を歩いていた君が言った。歌はいつのまにか終わっていたらしかった。しばし夜空を見上げた後、「そうだね」と僕は応えた。「寒いね」とまた君が言った。「寒いね」と僕は応えた。風はなかったけれども、その分ゆっくりと体の芯から冷やしていくような寒さだった。それきりまたしばらく無言で歩いた。
 どれほど歩いたのか。「幸せであろうとすることと、幸せになろうとすることは随分違うんだろうね」と、君が唐突に口を開いた。僕は少々面食らいながらも、「うん。随分違うと思う」と復唱する。「どっちがいい?」と、君。「俺は」。そこでしばらく言葉に詰まった。「幸せでありたいと思う。今、充分幸せだから」。考えるだけ考えた割には酷く陳腐な言葉が出てきた。でも、それは陳腐な言葉であっただけ、より真実に近い物であったような気がして、独り密かに満足した。「ふうん」と応えた君の表情は夜の気紛れのせいか見ることができなかったけれども、ふと無言で握ってきた手は思いのほか力強くて、僕はそれを信じてもいいような気がした。

 満月を過ぎた月が燦然と冬の大気の中に浮かんでいた。雪が降ればいいのに、と僕はぼんやり思っていた。手袋をはめていない僕達の手はかじかんでいたけれども、温かいばかりが生命の証明だとは限らないのだということを如実に表しているような気がして、ちょっとだけ嬉しかった。
 隣を歩く君がまた歌い始めたメロディが冬の大気の中へ溶けていく。歌詞は聞き取れなかった。どうやら古い外国の歌のようだった。でも、こんな深夜の閑静な住宅街にそれは奇妙なほど似合っているようだった。僕はぼんやりと夜空を仰ぎながら、君の冷たい手を握り、明日の約束を考えていた。
■2005/11/20 「さようなら、という物語」
 もう一年以上前からずっと、別れを主題にした物語を書き続けている。五つの短編から成る全く趣味の物だ。その物語郡では、それぞれの登場人物達がそれぞれの形で何かしらの別れを体験する。他に全ての世界に共通している要素は、物語中のフィールドとなる寂しい北の街と、登場人物達が一度は訪れる薄暗いスタンド・バーだけだ。
 さようなら、という言葉。たった五文字のそれ。五つの物語の中で乱舞する言葉。でも、この物語の中ではその使用される全ての意味が微妙に異なっている。ありがとうという意味のさようならがある。消えてしまえという意味のさようならがある。積極的なさようならも、消極的なさようならも。思いつく限りのさようならが、ここにある。
 最初に「一年以上前からずっと書き続けている」と書いた。そうだ、僕はもう季節が一巡りするほど前からさようならを書き続けている。その合い間にはもちろん数限りない物語を書いてきたけれども、いつも意識のどこかしらに「さようなら」というフレーズがこびり付いていたように思う。

 これまで生きてきて何度別れの言葉を告げただろう。そんな思い付きを元に指折り数えてみたら、途中で眩暈がし始めてとても目を開けていられなくなった。連綿と続いていく出会いと別れの九十九折。その道筋で僕は何と別れてきたのだろう。さようならという言葉はもうすっかり擦り切れてしまっていて、極端に鈍くなった神経が時たま思い出したかのように痛みを訴えてくる。
 別れの物語の中に何を見出して書く気になったのか、実は最近見失ってきている。肥大していく物語が鈍い軋みを上げて来ているのを感じる。今にも弾けそうだ。僕の感情と共に。そろそろ終わりにするべきなのかもしれない。最後のさようならが光に満ちた物であることを信じて。
■2005/11/23 「どうでもいいさ」
 三日待ってもメールの返信は来なかった。もう一度送り直す気力もなくて、僕は少しだけケータイの画面に映し出された友人の名前を見つめた後、メモリから削除した。溜息をつくついでに窓辺に置いてある充電器に携帯を挿す。ふと外を見た。どうやら先程まで雨が降っていたらしい。休日の夕方は少しだけ冷たく湿っていて、何故だか鼻の奥がつんと痛んだ。
 24年も生きていればそれなりに友人も増えていく。しかしその一方で去っていく人間もまた増えていくのはどうしようもないことだろう。別に喧嘩別れや死別だけがさようならではないのだ。ただ何となく疎遠になっただけ。ただ何となくタイミングが悪かっただけ。それらがまずい具合に重なってしまっただけ。それだけのことで失うものもある。縁がなかった、と悟ったような顔をするにはまだ若輩者に過ぎる気もするけれども。
 遠いな、と呟かずにはいられなかった。暮れていこうとしている夕日はいつもの通りに美しいのに、その紅の中に僕と同じくして染まっているはずの人々、かつての友人達との距離を感じずにはいられなかった。窓辺の縁を掴んだ手に思わず力が入って、関節が鈍く痛む。

 どうしてる? 元気なのか。
 なあ、どうしてる? 変わらずにいてくれているのか。
 なあ、たまには僕のことを思い出してくれる時もあるのかい?

 苦笑。それしかなかった。何に苦笑したのかは自分でも分からなかったけれども、僕は11月下旬の夕焼けに向かって、独り自虐的に笑ってみせることしかできずにいた。どうしようもないな、という思いと、どうでもいいさ、という半ば自棄になったような気持ちで頭の中がガンガンと音を立てて痛む。その痛みが、全くどうでもよくなんてないことを辛辣に伝えてきては胸までもが痛んだ。
 「簡単だよ。諦めることさ」。誰の言葉だっただろう。「簡単だよ。諦めることさ」。数年前から時折湧き出ては消えていく言葉。その度に全力で否定してきたけれども、現れるたびに鮮明になっていく言葉。嘲笑混じりの薄汚い諦め。こんな音も色もない夕暮れの空白にそっと忍び込んできては頭の中をぐしゃぐしゃに掻きまわす。最近めっぽう弱ってしまった僕を甘く誘う言葉。

 眩暈がした。頭痛が酷くなってきた。足元が覚束なかった。歯の根が合わなかった。「ふざけんなよ馬鹿野郎」。でも僕はまだそう絞り出す事ができた。そして、窓辺に置いてある充電中のランプが灯った携帯電話を睨みつけた。こんなおもちゃに振り回される自分に唾棄した。

 どうでもいいという言葉は、もっと前向きに使うことにしよう。「どうでもいいさ。それよりももっと夢を見よう」。こういう風な、頭の先から爪先まで青臭いけれども、それでもどこか誇らしげな美しい言葉を叫ぶような時にこそ、使おう。そうだ、そうしよう。

 ともかく今は、いつ携帯電話を解約に行こうか真剣に考えている。
■2005/11/26 「このままで、月に行く」
 ロケットに乗って大気圏の向こうまでぶっ飛んで行ける現代だけれども、きっと僕らは人類が自らを人類だと認識した頃から本質的には何にも変わっちゃいない。エジプトのピラミッドの中にちょっとした落書きがあって、それを必死に解読した学者達は目を丸くしたそうだ。『最近の若い者は』。悪いと言えばあまりに出来の悪い悪夢のようなジョークさ。子供は大人になる。それは変わるということだ。紀元前なんていう大昔から繰り返されてきた通過儀礼。揶揄も嫉妬もないまぜで振り返ればついつい零れる愚痴も、そう思えばかわいい物だろう。
 でも。ああ、吐き気がする。この気持ちは何だ。青春という偶像化された記号に嫌悪感を覚える自分を止められない。通過儀礼だって? ふざけるなよ。「早く大人になりなよ」と、歪んだ笑顔で諭す大人になんてなりたくはないんだ。この気持ちは何なんだ。言葉にならない。ならないから、傍らにあるギターを掴んで叫ぶんだ。声にならない声で。

 この想いをのべようと -- 書き送ろうとするにも
 あまりに私の筆は弱いであろう
 心の奥のすべてを語りえぬ限りは
 ありふれた言葉の流れに何の力があろうか
 <バイロン『別れの時に』>


 誰かに何かを伝えなくてはならない。何の前触れもなくそう思ってしまってから急に、まるでそれがとても大切な約束であったかのように思えてきて焦り始めた。馬鹿げていることは自分でも分かっていた。なぜなら、僕にはその『大切な約束』を伝えるべき誰かが全くいなかったからだ。友人、恋人、過去に失われていった人達、その誰もが脳裏を閃いては消えていく。誰だ。誰に伝えたいんだ。そもそも何を。どうして。僕はどうしてこんなにも悲しいんだ。わからない。わからない。ああ、想いが、零れていく。

 僕らが死ぬ前までには、ロケットに乗って月まで気軽に行けるようになっているかもしれないね。月旅行。まるでSFだけれども、割りと近くまで来ているような気がするよ。でも。もしあの荒涼とした大地に降り立って、地球の六分の一だという重力の中でウサギよろしく飛び跳ねてみた所で、きっと僕達は何も変わらない。伝えたい言葉にも詰まりながら、ありふれた言葉を垂れ流して自虐的に笑う、そんな生き物なんだろう。そんなものだから、そんなものでしかないのだから。
 ねえ、でもせめてさ。僕達が見失ってきた通過儀礼を悲しく振り返るのはやめにして、青春なんていう名前で昔を美しく記号化してしまわないで、少しだけ笑ってみないかい。ねえ。どうだろう。少しだけでも前に歩いているっていうことを教えてくれないだろうか。ねえ。なんとか言ってくれないか。これも逃避でしかないのかなあ。

>美龍さん
誰かは諦めることが楽と言った。「正反対さ」と心で思った。
SADSというバンドの『忘却の空』という曲中にこういう歌詞があります。
まさしくその通りだと僕も思っています。

■2005/11/27 「意味なんて」
 何もかもに意味を求めること、それ自体が誤りだということに気付くのには、そう時間がかからなかった。にも関わらず、僕はその短い時間の内に自分でも驚くくらいに醜く足掻き、大騒ぎを繰り返し、その代償として幾人かの大切な人を失った。もしかしたら大きなチャンスをすら取り逃がして来たかもしれない。
 無意味、という言葉がある。言うまでもなく「意味がない」という意味だ。無意味という言葉にはこの通り意味があるのだから混同してしまいがちだけれども、「無意味であること」には本当に意味がない。なぜなら一片でも意味が生まれた瞬間に、たちまち「無意味なこと」は「意味のあること」になってしまうからだ。別に難しい話をしている訳じゃない。これはただの言語についての再確認だ。
 しかし昔、僕はその事を知らなかった。無意味なことにも意味はあるだろ、と、自分でもよく分かってはいなかったのに、その言葉の響きにただ酔いしれていたのだと思う。僕は間違っていたんだ。無意味なことにも意味があると根拠もなく叫ぶ前に、「無意味なことなんて存在しない」ことを知るべきだったんだ。いや、そのことを信じるべきだったんだ。
 僕は今、幾つかの失われた物語を思い起こしながらこんなことを書き殴っている。もしかしたらただのレクイエムの成り損ないに過ぎないのかもしれないと頭の隅で考えながら。意味なんて、最初から考えるべきじゃない。そんなのは後から幾らでもついてくるものだ。逆にいえばそれだけのことに過ぎない。価値も同様だ。みんな後付けなんだ。だから僕がすべきことはシンプル。真剣に、真剣に一つ一つのことを乗り越えて行くだけ。本気であることが何だか恥ずかしいことのような、お門違いの勘違いをしがちの今の僕という若い時代だけれども、それだけは分かっているつもりだ。真剣になにかをやったことについて、後々振り返った時、誇りに思うことはあっても、それが決して恥ずかしいと感じることはないはずだと、もう充分に分かっているから。

 どうしてだか昨日、街の雑踏を歩いていた折に、ふと耳に飛び込んできた言葉があった。「意味ねえよ、それ」。辺りを見回したけれども、間もなく師走を迎えようとする週末の繁華街は人々の激しい往来に溢れていて、その言葉を発した人間を確認できなかったし、そのためまた当然その言葉がどういった文脈の中で、どういった意図をもって語られたのか想像もつかなかった。目に見えて暮れて行く冬の午後。先を急ぐ人々の群れの中。僕は肩に背負ったギターの重みに時折ふらつきながら、独りその言葉の意味を考え続けた。

 意味なんて、知らないよ。無意味かどうかになんて興味ない。信じるべきことがあるとするならば、僕は、転げまわりながらも必死で何かを掴もうとしていた泥臭い日々をこそ、信じる。その行為に何かしらの意味があるかどうかなんて知らないけれども、今、懐かしい過去を振り返った僕は多くの痛みと、そのために産まれた多くの優しさを強く意識しては、まだまだこれからも歩いていけると、何も迷う事無く胸を張ることが出来るんだ。そしてそうすることこそ自らの過去の誤りに対する精一杯の誠意だということも、僕はまた信じている。

 ただの独り善がりかもしれないと怖れることもあるけれども。
■2005/11/29 「ごめんなさい」
 君の強い視線が僕を捉えていた。涙の溜まった瞳を僕は美しいと感じた。車内には低い音量でFMラジオがかかっていて、聞いたことのないラヴソングが溢れては消えていく。窓の外はもう曇ってしまっていてよく見えなかったけれども、風に軋む電線がその冷たさを視覚的に伝えてきていた。もう11月が終わるのだ。
 季節の変わり目はなんだかいつもイライラしてしまって、これまでにも沢山の人を傷付けてきたように思う。いや、季節のせいにするのは間違っているだろう。何が悪い訳でもなく、ただ、自分のみが悪いのだ。君はもうしばらく窓から外を見たっきりで、その後ろ姿にはとても寂しい影が寄り添っていた。
 夕方にはまだ早いのにもう日は傾き始めていて、景色を斜陽色に染めつつあった。前方を走るシルバーのセダンが美しい黄金色に染まっている。僕の車も周囲にはああ見えているのかもしれないとぼんやり考えた。思考の隅っこで幾つもの謝罪の言葉がグルグルしていたけれども、どれも心がこもっていない、響きだけが良い音列にしか思えなくて、どうにも口に出すのがはばかれた。沈黙の時間は過ぎていく。過ぎ去っていく見慣れた帰路の途中で、たまに二人で寄るドーナツ屋が視界に入った時、思わず「食べていこうか」と言いそうになったけれども、物で釣るなんてあまりにも恥知らずな行為だとすぐに思い直し、独りで自分の浅はかさを嫌悪した。
 どれくらいの時間が過ぎたのか分からない。君は頑固にまだ窓の外を見ていた。体ごと外側に向けているせいで横顔すら窺い知ることができなかった。「いいかげん、首が痛くならないのかな」なんて、僕は埒もあかないことを考えている。気の利いた謝罪の言葉はまだ出てこなかった。考えすぎて最早半分パニックになっていたんだと思う。その時だった。
 前方左側の道から急に車が出てきた。随分強引な割り込みだった。予期していなかった僕は慌ててブレーキを踏むと同時にハンドルを右側に切ってしまった。のんびり走っていたのが幸いして事故にはならず、なんとかやり過ごしたけれども、車内には酷いGがかかった。

 『ゴツン』
 「え?」

 鈍い音が車内に響き、驚いて君の方を見ると、なにやら頭を抑えてうめいている。「どうした?」。慌てて聞く僕に君は一言「ぶつけた……」と言い、そのまま恨めしそうに前方に割り込んできた車を見やった。
 事情を理解するのにはちょっと時間がかかったけれども、僕は「ごめん」と漏らしていた。君がちらっとこちらに視線をくれたので、「急に出てこられて焦ったんだ。ごめんな」と、僕は重ねて謝った。しばしの沈黙があった。突然君はにやっと笑って、「別に、大丈夫だよ」と言った。よく見るとまなじりに涙が小さく粒を作っていて、それが痩せ我慢だということはすぐに分かったけれども、君の表情がやけに明るかったから僕は「そう……」とだけ言って、また前方に視線を返した。
 しばらくして。不意に先程素直に謝罪の言葉を口にしていた自分に気付いた。気付いて、どうしてだか赤面した。そして君はそんな所を見逃してはくれなかった。結局、君を降ろす場所に着くまで散々いじめられることになった。その詳細についてはあえて書かないでおこうと思う。

 ただ、一つだけ。
 美しい泣き顔よりも、当たり前の笑顔の方が好きだ。今更だけれども。

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