200512
■2005/12/01 「静かな生活」
 静かな生活を手に入れては壊している。絶望的な自己嫌悪に塗れて日も暮れる。もう時間もない。確実に更けていく鏡の中の顔と、それに抗う大人になりきれない心の醜い戦争だ。どちらが勝つかなんて言うまでもないけれども。
 静かに生きていきたい。孤独に振り回されて生きていきたい。簡単なことなのに踏み出せないのは、何ていうこともなく僕が臆病過ぎるからだ。

 見失った。でも何を。自由さを、或いは夢を。溺れるような激情はもう余熱すらなくて、固い心が言葉もなく凍るだけだ。

 夕暮れ。人影寂しい公園の隅。独り遊ぶ砂場の少年がふと見上げた視線の先には、果たして世界が映し出されているか。夕焼け巡る在りし日の晩夏に、赤く赤く彩られた世界の一場面においても、果たして世界は優しいのか。

 生活という言葉を何の違和感なく使えるようになってもうどれくらい経つのだろう。不条理さを煮詰めに煮詰めて、その果てに意味を見出そうとするかのような、これはそんな味気ない苦痛の途中だ。意味のないことを強要されて渋々腰を上げるような、どうでもよくて虚しい時間だ。

 静かな生活とは何も考えない日々のことだろうか。在りし日、僕は大海が欲しくて夏の日に飛び出した。嫌な音をたてる三段変速の自転車と、当時全く勝てなかったプロ野球チームの帽子だけで、日も暮れそうな黄昏に僕は大海を前にして膝まづいていた。僕の両手にすくわれた海は、その瞬間からただの塩水に変わるのだ。海に飛び込んで僕は泣いた。心には幾らでも積み込めるのに、大海も、大空も、忘れられた少女も、愛だって、僕の両手には酷く大きすぎたのだ。静かな生活とは何も考えない日々のことだろうか。あの日、海を手に入れられなかった僕のような、小さな手の持ち主の為にあるものだろうか。

 笑顔を求めた頃もあった。いや、今だって求めている。その価値を見失っただけだ。家の前に細々とのびる路地だってきっと世界の果てまでつながっているのに、それはきっと間違いないのに、たった一つの言葉が少女を微笑ませるということをどうにも納得しがたいのだ。静かな生活とは孤独な生活の意だろうか。孤独な生活とは独り善がりな生き様と同意だろうか。過ぎていく時間だけが冬に変わっていく空の無窮の蒼さを伝えては、その下に立ち並ぶ霧雨の淡さ色した情緒を冷たく厳粛に凍りつかせていく。

 生活と孤独は並び立たず、失っていく可能性と若い愚かさが、やがて沈黙していく生活の中で音もなく殺されていくけど、虚しい時間を静かな生活だとはどうしても呼びたくはないのだ。
■2005/12/04 「午前零時、雨音を聞く」
 世界が眩くて、目を開けていられなかった。永遠なんていう言葉を信じられたことはないけれども、どこかで切実に望み続けていた。私のほうが好きだという気持ちが大きかったんだよ、と言って泣き笑いした少女にかける言葉が見つからなかった。煙草に手を出したのがいつのことだったのか、はっきりと覚えていない。最後に指切りしたのは19の秋のことだ。最後の約束がなんだったのかがどうしても思い出せないけれども。不用意に口走る世界という言葉の意味を、まだはっきりと知っている訳ではないのにはとうに気付いている。気持ちなんていうあやふやな物に振り回されたことはないけれども、振り回されるような強い気持ちを持ったことがない事に強い劣等感を覚えている。何でも人より上手くやれたけれども、何一つ一番になれはしなかった。永遠が欲しいと、ぼんやり思っている。一方で巡る季節の流れの美しさを知り、その中で生きていられることに心から感謝もしている。自己意識が消失するのではないかと思うほどの衝撃を受けたことがある。どんなドラッグが見せてくれる夢よりも絶望的な悪夢を知っている。人が何から生まれてどこに行くのかは知らないけれども、それが空や大地が生まれた場所と同じ所から来て、同じ所に還っていくことを知っている。死について考えるのはやめてしまった。今は生きることについて真剣であろうとしている。どんな下らないこともあざ笑うことがないように生きていこうと思っている。でも同時に人間的に見てどんなに立派なことでも吐き捨てることができる自己を変わらず守っていこうと思っている。肯定と同じ数だけ否定を。でも、本音ではそのどちらにも興味がない。ただ、そうであるということ。世界。永遠。言葉。

 昨日、僕が住む名もない世界の片隅で初雪が降った。それはきっと世界中の、全ての歴史の中のどんな言葉よりも素敵なことだと思う。手の平の中で消えていった雪の切れ端を覚えている。世界中のどんな言葉よりも冷たくて優しく、刹那で、永遠だった。今夜は暖かな雨が降っている。午前零時、終わりの見えない雨音を聞く。
■2005/12/07 「真新しい靴」
 凍りついた道を真新しい靴で歩いた。
 長く履ける物をと少しだけ背伸びして買った、まあまあ上等の靴はまだ上手く足に馴染んでいなくて、細心の注意を払っているのにも関わらず何度か転倒しかけては、その度に苦笑した。昼過ぎになって急に晴れた空から真っ直ぐに陽射しが降りてくる。上空の寒気を通り抜けてくるからだろうか、眩い光はどこか冷たくて、それは僕をとても不思議な気持ちにさせた。本革の靴がそんな透明な光の中で照り輝いている。
 道の端にはまだ昨日の名残雪が残っていた。排気ガスによって薄汚れたせいか、僕の吐き出す息の方が随分白かったけれども、その光景は冬が確実に訪れたことをはっきりと教えてくれた。
 道を歩くうちに少しずつ日も傾いてきた。まだ午後三時を回ったばかりなのに斜めに射す冬の陽射しは淡い黄金色に眩く輝いていて、それにつれ輪郭が鮮明になっていく光景と相まって、なんとも神秘的に世界を浮かび上がらせていた。
 溜息を一つ漏らす。こんな美しい光景をぼんやりと見つめていられる自分の今を、どこかの誰かに感謝したいような気持ちにさせられた。ちょっとだけ立ち止まって考えてみたけれども、残念ながらその相手はついぞ思いつくことがなかったから。僕は足を早めて、最初の目的通り君に会いに行くことにする。時折凍結した歩道に足を滑らせながら。そしてそのたび苦笑を漏らしながら。真新しい靴を君に見てもらいたくて、そして出来れば微笑んでもらいたくて、黄金色に輝く冬の景色の中を足早に君の元へと歩いていく。
■2005/12/09 「囁いてくれないか」
 さすがは師走というだけあって、12月に入ってからというものの途端に忙しくなってしまい辟易としている。でも、年が改まる前に今年の荷物を片付けてしまおうという考えには大いに賛同できるから、歯を食いしばって毎日の予定を消化している所だ。
 過密なスケジュールの合い間には嬉しいことも多々挟まれていたりして、それを糧にしている部分も大きいのかもしれない。様々な所で乱発される忘年会にはそろそろ嫌気が差してきているけれども、自分で企画したものなら話は別だ。普段は中々会えない古い友人達と、何度も何度も連絡を取り合い、なんとか折り合いをつけて日を空けた。今月の27日にみんなと会える。中には来年初めての子供が生まれるという奴もいて、話題には事欠かなそうだ。嬉しい話題なら大喜びで歓迎したい。

 しかし、思えば12月はいつも忙しくてその印象が毎年希薄なような気がする。クリスマスなんていう形骸化されたイベントも人なみに楽しんでは来たけれども、26日になった途端に街の空気が一気に年末へと移行する様をぼんやりと眺めていたことの方が、なんだか強く記憶に残っている。
 この季節になるといつも思うことがある。「今年は上手くやれただろうか。頑張れただろうか」。せわしない予定の隙間隙間にふと、そんな思いが頭をかすめる事がある。そして振り返る。この一年に何があったか。何をして来れたか。また、何をしてこられなかったか。振り返っては苦笑交じりに頭を振る。

 なあ、お願いがあるんだ。よかったら教えてくれないか。僕はこの一年、一生懸命にやってこられたかなあ。後々振り返った時に後悔しないような、そんな一年を送れたかなあ。いや、わかっちゃいるんだよ。そんなのは自分で判断すべきだっていうことは。でも、時々不安になるんだ。全て自分の独り善がりなんじゃないかって。どこかに嘘をついちゃいないかって。そして一度そう思ってしまうと中々自信が持てなくなる。
 今年できた友人がいる。今年できた恋人がいる。今年さようならした人がいる。今年も自分につきあってくれた人々がいる。それを考えた時にはつい目頭が熱くなってしまうけれども、僕には表現する言葉が足りなくて、馬鹿みたいに繰り返し感謝するだけだ。それはもう、手当たり次第に。

 なあ、囁いてくれないか。一言でいいよ。「来年も頑張ろう」ってさ。それだけでいいよ。つまらない悲しみに別れを告げて、新しい日々に飛び込んでいけるように。踏みしめる足が震えてしまわないように。世界を見つめる目が霞んでしまわないように。春を待つ雪明かりの中で凍えてしまわないようにさ。なあ、囁いてくれないか。そして祝福させてくれ。「ああ、頑張ろうな」って僕に叫ばせてくれ。暮れて行く2005年の透明で迷いのない風の中で、どうしても弱気になりがちな僕らが微笑むことが出来るように。

 真っ黒になったスケジュール帳に溜息をつきながら、僕はそんな風に独り言を呟いては、傍らのコーヒーを啜る。そして「すっかり美味しい季節になったな」なんて呑気なことを考えてる。2週間と少し後にはみんなに会えるんだ。ちょっと気が早いけれども、来年パパになるアイツのためにガラガラでも買っておこうか。飲み会の席で手渡したらどんな顔をするだろう。それを考えるだけで、つい笑いが漏れる。そして、その為にも。「もう少し頑張るか」。僕は囁いて、また今日も夜が更けていく。
■2005/12/11 「雪路、僕は」
 バイト先の忘年会だとかで仙台の繁華街に行く。自宅から最寄の、雪が降りしきる駅のホームには人影もなくて、時折走り去っていく車の音もなんだか随分遠くに聞こえるんだ。人がいないことをいいことに煙草に火をつけた。空へと音もなく消えていく煙の向こうから、それ以上に白い雪が舞い降りてくるのがひどく不思議に感じて馬鹿みたいに空ばかり見ている。低く雲の垂れ込めた夜は思いがけず強い自己主張で冬を伝えてくるから、マフラーを締めなおして苦笑しているばかりの僕だ。
 あまりに冷えた空気が口にした言葉さえ凍りつかせてしまうようだ。雪と一緒に足元に落ちて転がっているそいつを蹴っ飛ばして、不満のぶつけ所がはっきりしない仏頂面を作ってみた。言葉を必要としない夜も悪くはないさ。特にこんな、音という音が遠く吸い込まれてゆくような雪の夜には。静かに眠る冬の街で、独り、空を見る。からっぽの心にこの雪はどうも冷たすぎるみたいだ。

 泣き言はいうまい、と16の時に誓ったんだ。でも、泣くことくらいは許されてもいいだろ? いや、この考え自体が泣き言だということにはもう随分前から気付いている。誰も許すって言ってくれないし、許さないとも言ってくれないんだ。立ち止まって独り途方にくれる時、目を閉じて考える。今したいことはなんだろう。そうだ、なんでもいいから底抜けに楽しいことをやろう。とりあえず熱いコーヒーでも飲んで一息入れよう。でも。ああでも、本当は許されることなんて期待していない。許しなんて必要としていなかったんだ。それは自由への道を選んだときから。だから僕は叫ぶ。僕が僕であるために何の理由も必要ではないのだと。何もかもが無様な強がりにしか過ぎないのかもしれないけれども。

 眼鏡を外す。世界がぼやける。音のなかった世界に突然軽薄な音楽と列車到着のアナウンスが鳴り響き、僕は我に返った。闇と雪にかたどられたモノクロの風景の向こうから低い音を立てて列車が来る。雪に覆われたその姿に一瞬強い既視感と眩暈を覚えて、僕は傍らの柱に背を預けた。列車は数分停止した後、ぼんやりと見つめる僕を置いて、またモノクロの彼方へ。ホームにはまた静寂が残った。
 逡巡はしなかったと思う。苦笑いをして僕はまた改札をくぐった。雪路、僕は。黒革の手袋を外して煙草をくわえた。そしてポケットから携帯を取り出し、震える指を無理やり押さえつけながら君に電話をかける。「今夜会えないかな。雪が綺麗だよ」、と。

 今回の更新は、友人と二人で実際に昨夜交わしたメールを元にして再編集した物です。
 10数年来の友人である理人に感謝します。

■2005/12/13 「音を楽しむ」
 音楽は本当に自由で、救われたような気分になる。それは、言葉が胸につまりがんじがらめになる感覚とは程遠くて、僕は自分が物を書く事と音楽をやる事の両方と出会えて素直に感謝している。
 ここ数日というもののついに多忙も極まり、そのため気持ちも追い詰められてしまってほとんど何も書けなかった。時間は多少とれてはいたのだけれども、真っ白なテキストエディタを立ち上げたっきり途方に暮れることが多くて、ほとほと参っていた。だから言葉の代わりに音を吐き出すことにした。
 音楽は本当に自由だ。いや、本来は言葉だってそうなんだろう。でもどうしてか僕は言葉の上で自由になれたことがほとんどない気がする。理由は検討もつかないけれども。ともあれ、この数日間の余暇を僕はPCの前に座ってギターばかり弾いて過ごした。
 このサイトのいつもの雰囲気や方向性には反してしまうけれども、今日はその数日間で作った二曲をUPして終わろうと思う。自由に音を楽しんでみたよ。だから曲としては全然面白くないかもしれない。ギタープレイもいいとは言いがたい。それでも、聞いてくれる人がもしいるならとても嬉しく思う。念のために言い添えておくと、二曲とも歌は入っていない。好き勝手にギターで暴れてるだけだ。二曲のうちの片方には思想的な部分を強く反映させてみてもいるんだけれども、全て蛇足だろう。音がそこにある、それを楽しむ。音楽ってそういうものなんじゃないのかな。それだけのことが、こんなにも嬉しい。

 『Evil Dance』   『Pray For ...』   聞きたい曲をクリックしてください。

 全ての楽曲の著作権は後藤あきらと、『GotoS』にあります。

■2005/12/16 「かくれんぼ」
 子供の時、鬼ごっこと並んで好きだった遊びにかくれんぼがある。じゃんけんをして、鬼を決めて。みんなが一斉に消え去ってしまうこの遊戯が子供心になんだかとてもエキサイティングで、僕はいつも息を詰め、気配を消せるだけ消して物陰に潜んでいた。隠れるのは得意だった。何度かかくれんぼをやっていると、段々みんなの隠れる場所は限られていくからすぐに見つかったりしてしまうのだけれども、僕はその中でも最大限に工夫をこらして、何とか斬新な場所を探しては埋没して鬼を待っていた。
 あの日。夕暮れが夜に変わろうとしていた。秋の終わりの鮮明な日のことだった。薄暗くなっていくにつれて冷え始めた空気の中、僕は野原のススキの海の中に腹ばいになって潜っていた。誰かが見つかった気配が遠くで聞こえた。時折、鬼が僕の近くを通り過ぎていくのを感じた。そのたびに跳ね上がる鼓動の音を聞きながらも、僕はずっとじっと待っていたんだ。
 夜になっていた。僕はまだ隠れていた。いつもの遊び場所である近所の野原からは、もう誰の声もしなかった。僕はそっと体を起こして辺りを窺った。しばらくそうした後で、僕はまたススキの海の中に身を投げ出し、声を押し殺して泣いたんだ。みんな、あまりに見つからない僕を置いて帰ってしまったようだった。秋の夜は美しかった。耳元で秋虫達が恋の歌を奏で始めた。あの日、地面に仰向けになったまま涙目で見た星空の広さをよく覚えている。

 もういいかい。まあだだよ。

 いいや。もう、いいよ。誰か僕を見つけてくれないか。夜はあまりに広大で、独りで越えていくには酷く寂しい所なんだ。あの日、僕は孤独を知った。孤立じゃない。確かな孤独の破片を知ったんだ。泣き濡れて、柔らかなススキの穂をいつまでも撫でていたあの晩秋の夜の透明な寒気が、今も僕の心のどこかに残っている。
 僕を見つけてくれないか。ああ、見つけてくれなくてもいい。誰か、覚えていてはくれないか。あの幼い日、共にかくれんぼをした近所の友人達は今、どうしているだろう。一人としてその後の消息を知らない。そう、この話は、きっと誰もが通り過ぎる悲しくてどうでもいい夢物語さ。

 夕闇に向かって「もういいよ」と呟いてみる日。窓の外からは子供達の遊ぶ声が聞こえなくなって久しい。みんなどこに行ったのだろうかと呟いては、僕はまだ、誰かが僕を探し出してくれるのを過去の秋空の下で待っている。

 >レス
 一昨日発表した曲を聞いて下さり、感想までも下さった皆さん。
 ありがとうございました。とても参考になりました。

■2005/12/19 「優しい嘘」
 優しい嘘、というものが必要な時もあると知ったのは、随分と昔のことだ。自分に誠実に、そして切実に生きていこうとしていた僕のつまらないコダワリを、その事実は完膚なきまでに叩きのめした。嘘は嫌いだった。いや、今でも決して好ましい物だとは思っていない。それでも、嘘をつかなくてはいけない瞬間というものが確実に存在していて、心を痛ませる。それが例え、本当に優しい嘘だとしてもだ。
 数日前のことだ。僕は久しぶりに嘘をついた。それからというものの、胸に何かがつかえたような気持ちで日々を過ごしている。終わってしまった夢幻にすがりつくばかりの人に、僕はなす術もなく、曖昧な笑顔で「大丈夫だよ、きっと」なんてあまりに下劣な言葉を吐いた。今思い返してみても、あの場面で他に何が言えたかといえば黙り込むしかない。だから僕が悩むのは、あの嘘は真に優しい嘘だっただろうかということ、それのみにおいてだ。
 優しさとはなんだろう。分からない。傷付けないように、そっと抱きしめるような行為のことを言うのだろうか。それなら、真綿でゆっくりと首を絞めていくような残酷な仕打ちでさえも優しさと呼べるのだろうか。気分よく道を歩く人に「いい天気ですね」と、先に絶望的な深い落とし穴があることを知っていても、美しく微笑むようなことでさえも、優しさと呼べるのだろうか。

 優しい嘘、というものがあることを知ったのは随分と昔のことだ。僕はまだ、そんな嘘を上手く言えたことがない。
■2005/12/21 「君とカニと聖夜」
 クリスマスを間近に控えたこの季節。ここ数日間の寒さに負けてすっかり出不精になってしまっている。夜の街角はさぞ美しいだろうと思うのに、窓越しに聞こえる容赦のない北風の唸りと、容易に想像できる人の多さに臆して、なんだかぼんやりと過ごす年の瀬だ。
 「クリスマスにカニを食べに行こう」。だから僕は君のそんな言葉に目を白黒させては、そのバイタリティがどこからもたらされているのかと真剣に考え込んでしまう。
 「絶対空いてると思うよ。だってクリスマスだもん。カニを食べようなんて酔狂な人いないって」。まさに酔狂な君の弾んだ声に背中を蹴飛ばされて、まさかと思いつつも店に確認の電話をしてしまった。本当に空いているそうだ。確かにわざわざクリスマスなんて日を選んでカニを食べに行くような物好きは少ないらしかった。予約を入れて受話器を置き、溜息交じりで振り返ると、勝ち誇った笑顔で君がVサインなんて作っていたりする。ともあれ2005年の聖夜はなんとも奇妙に過ぎていきそうだ。夜景の見えるホテルでワインを傾け、君の瞳に乾杯する。そんな下世話な夜を期待していたわけじゃないけれども。
 「カニも赤いし、サンタクロースも赤いよね。ほらっ、クリスマスだ」。君が何を言っているのか分からない。分からないなりに微笑んでみた。頬を紅潮させている君を見るのは珍しいことだ。君のはしゃぐ姿を見るのは嬉しいと素直に思った。なんだか気恥ずかしくて、恋人らしいことを不器用にしかできない僕達でも、クリスマスという不思議な一日には少しだけ浮かれることができるのかもしれない。カニを食べに、なんて、やっぱりどこかおかしいなあとは思うけど、それすらも素敵なことに感じられてくるのだからクリスマスというのは良いものなのだろう。
 たった一つだけ、心配なことがある。君に贈るプレゼントがまだ決まっていないんだ。もう日もないというのに。何を贈っても心から喜んでくれそうな君だから、何を贈ったらいいのか分からないっていうのはちょっとした皮肉だね。でも、こんな感じは久しぶりだ。ギリギリまでこの幸福な悩みと付き合おうと思う。

 雪の晴れた日。君と過ぎていく冬の眩い窓辺のこと。

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