200602
■2006/2/1 「つまらない歌」
 抜けるような青空とは本当はこんな風な空のことを言うのかもしれない。ぽかんと口を開けて僕らが見上げる冬空に、日々の細々とした煩わしい事も吸い込まれて行って、歩くほどに視界が鮮明になっていく。
 空の色を映した濡れた道はきっとどこまでも続いてる。世界の果てにだって、まだ見ぬ明日にだって、誰もが微笑む場所にだって、君の待つ陽だまりにだって。遠のいて行くような意識の片隅で笑う声を黙殺して僕はそう信じたいと思った。
 風が一陣首筋をかすめて通り抜けていった。思わずすくみ上がった自分の影に苦笑して、また空を見上げる。年齢を感じ始めるにはまだ早いのだろうか。いや、きっとそこに早い遅いはないのだろう。あれほど狂おしく求めた物も今は霞んで、その名前すら忘れようかという体たらくだ。

 刻む。叫ぶ。過去の夕凪に、音のないススキ野原に、溶ける太陽に、さよならと手を振った君に、駆け抜けた蒼穹に。いつしか夢見る季節を過ぎて、それでも僕は。冷えた冬のリノリウムに、緩んだ春の万華鏡に、忘れ得ぬ人々を照らしていた夏の陽炎に、枯れ果てた道の上で冬を待っていた秋の静寂に。刻む。叫ぶ。何度でも。

 自由、と。

 抜けるような冬の蒼空の下から、誰かに贈るはずだった言葉をそっと流すよ。思いがけない世界の中で、あんまりにも当たり前でしかない僕らの生を馬鹿みたいに肯定した、それはつまらない歌なんだ。
 君の待つ場所まで、自由を叫びながら僕は走るよ。
■2006/2/2 「深雪」
 言葉に濡れて立ちすくむような夜だ。深雪がくるぶしの高さまで凍り付いている。歩を進めるたびに頼りなく揺れる足元で鈍い破砕音。一歩一歩、過去を踏み砕くように黙して進む。振り返る道はいつも遠く、先を見据えれば酷い眩暈だ。深く息を吸い込み、吐いた。冬の迷いのない夜気だけが真実を捉えている気がする。その空気は冷たすぎて、喉が焼き爛れて行くような錯覚さえ覚えた。
 ああ、昨日耳にした誰かの死ですら何かの冗談かと思えるような二月の夜だ。
 深雪に彩られた道は奇妙に明るく、大気の下に広がるこの茫漠とした大地の全てに紫の幕をかけたようで、それは見慣れた風景である分だけ、今夜のように寂しい夜にはよそよそしく感じる。風がないことに気付いた。ただ透明な寒気だけが虚空に張り詰めている。そんな深層の中を歩くことは掻き分けることに似る。完全な物を汚す愉悦と嫌悪感に意識は完膚なきまでに撹拌され、苦笑すら作ることも出来ずにぼんやりと煙草の火を見つめる。吐息が白すぎるせいで煙と区別がつかない。黙って携帯灰皿に押し込んだ。
 深雪の下に埋まっているのは春か。それとも積年の死なのか。
 やがて、三叉路。じっとりと湿った重苦しい雪にすっかり全身を覆われた標識には恐らく『とまれ』と書いてある。道の股で立ち止まった自分の影を俯き確認しながら空白の頭で次の行き先を考えていることを発見した。道は二つに分かれている。振り向けども音もなく、影もない。ただ雪が深い。倒れこんで転げまわってみた。道は答えてくれなかった。
 ええ、ええ。僕達が失ってきた物はみんな焼き捨ててきましたよ。
 「雪が凄いねえお前来年はどうするんだお疲れさん会は来週の木曜日になります寒すぎるってなんか面白いことない実は事故っちゃってさあこの前のあの女どう思うやってらんねえよよろしくお願いしますあんまり乗り気じゃないんだよなあおめでとうございます昨日亡くなりました」。今日、僕の前を通り過ぎていった意味のない記号達。
 血を吐くような優しさ? 馬鹿言わないで。
 雪が深すぎて少しも歩けないんだ。これ以上進めない。でも戻ることも出来ない。吐く息ですら先から凍っていくようなこんな夜の片隅の紫色した暗闇の中で行き場を無くした見るも無残な大人は泣くこともできなくて嫌らしい笑いを張り付かせながら昔語りに矮小な自己をひっそりと弁護してみたりするうちにますます時間の流れは速くなりますます道からは遠ざかりますます笑うしかなくなっていくのを見ないようにすることだけで沢山なんだ。圧倒的な抒情詩のようなそれは語り継がれるべき蛇足だ。雪が深い。ああ、雪が深い。白すぎる。紫色しすぎている。むかしむかし大昔に見上げた大切な空の青さが急速に薄れていく。三叉路は三叉である分だけ残酷に道の果てを伝えてはその直前に『とまれ』なんて居丈高な宣言をちらつかせて来るから。揺れる揺れる崩れていく。世界が。いや、毒々しく彩られた自意識の極楽浄土が。

 2006年2月2日夕暮れ。長い長い夢から覚めた僕は荒い息と酷い寝汗に驚きながらも、冷え切った部屋の中の空気に震えた。ぼんやりと見上げると、窓が猫の目のような細さでそっと外界に開かれていて、そこからがむしゃらに凍るような隙間風が入り込んでいた。ストーブの電源を入れ、煙草に火をつけた僕は少し考えた後、窓をいっぱいに開け放って、今日も終わっていこうとする落日に全身で向かい合った。迷いのない冬の風が、心の襞にまとわりついて離れないようだった澱みを、少しずつ吹き飛ばしてくれることを祈りながら。窓の外の景色は一面の雪に覆われていて、それは日が傾くと共に紫がかった発光をし始めているように見えた。
 まもなく春休みに入る。四月になったら、僕はまた一つ歳をとる。
■2006/2/4 「Song Zero」
 言葉が見つからなくて今日もぼんやりとギターを弾く。伝えたいことも表現したいことも、もう見つからない。ただ、ぼんやりとしたモヤモヤした物が胸につかえて身悶える。言葉にならないから、アンプの音を大きくして音の世界に没入した。いつものことだ。
 歌。唄。詩。うた。僕の。声にならない、ウタ。例えば、言葉がなければこの気持ちを悲しみだと言うことすらもできないが、言葉があるためにこの気持ちは悲しみ以上の物に成りえないのだ。語れば語るほど物事は定義されていってしまい、なんとも窮屈な話ではある。
 暗い影の落ちた道を俯きながら下るようなフレーズを漫然と繰り返しなぞりながら、僕は努めて何も考えないように、言葉が僕を捉えて何かしらの矮小な枠に押し込んでしまわないように、注意深く、執念深く、頭を空白に保とうとする。空虚であるが故の自由さなんて寂しい物を求めなければならないほど落ちぶれてはいないつもりだけど、今は静寂が愛しい。
 僕の歌はまだ声にならない。これはいつか一に辿り着く為の零であるはずだ。本当にそうなのかな。いや、疑うのはやめておこう。寒々しい光が満ちる窓の外に名も知らぬ鳥が鳴いている。いつか僕もあんな風に歌い上げたいものだ。その声は澄み渡り、やがて何ということも無く消え失せていく。
 沈黙の途中、君からの着信。突如叫び声をあげた携帯電話の頭が割れるような電子音に飛び上がりながら、通話ボタンを。「今、どうしてた?」、「いや、なにもしてないよ」、「嘘だよね」、「どうして?」、「声、元気ないよ」、「うん。そうか」。
 君の柔らかな声を聞きながら、僕は、まだまだ歌になりえない言葉をどうやって君に伝えればいいのか考え始める。窓の外には名も知らぬ鳥が一羽きりで鳴いていて、澄みきった二月の週末の空に、それはなんていうことも無く消えていくのだ。
■2006/2/8 「COMA」
 気を失うように眠った。明日のことを考えずに、目覚ましすらかけずに眠ることができるのは半年振りほどだったかもしれない。酩酊するまで酒を飲んでいたこともあって、意識は急速に閉ざされていった。
 昏睡状態で落ちた無意識の底には、泡のように頼り無い音列が至る所で弾けていて、自分が夢を見ているのだと気付くまでしばしの逡巡が必要だった。夢の中に流れる音楽は奇妙に深い青色をしていたように思う。暗い暗い深海に一筋射した光明から漏れ出でるような、それは黒い青だった。
 やがて泡が形をなしてくる。リズムが形になっていく。メロディが肢体を取り戻していく。言葉が意味を掴んでいく。僕はそこでやっと、その曲が数日前に自身が作ったばかりの曲であると気付き、苦笑した。
 『COMA』。昏睡状態、を意味する。宮沢賢治への限りない畏れと、無意識の世界へ伸ばす指先の拙さをそのまま形にできないか、そんなことをぼんやりと頭の片隅で考えながら作った曲だ。今回は手助けしてくれる人もいて、随分影響を受けたように思う。
 多忙を理由にして言葉から逃れていた数日間。合い間合い間に時間を見つけて一人こんなことをやっていた僕だ。自分でもその暗さに辟易とする。ただ、出来上がった音は不思議なほど、今の自分の心に添ってくれるのだ。

 『COMA』   協力してくれた人々に感謝を。
■2006/2/9 「波照間島」
 波照間島、をご存知だろうか。「はてるまじま」と読む。下手な地図にはその所在さえ載っていない、沖縄県に属する日本最西端の島の一つだ。南の多くの島々がそうであるように、近年、波照間島にも開発の波が押し寄せ、現在は石垣島から飛行機ででも訪ねることが出来る。
 その名前を知ったのはいつだったのか。正直に白状すればもう覚えていない。随分昔のことのような気がしている。何かのパンフレットででも見かけたのか、テレビの旅番組に見たのか、それとも放浪癖のあった過去の友人に聞いたのか。ともあれ僕の脳裏には「はてるま」という耳慣れない響きと、「波照間島」という字面の美しさが深く刻み込まれ、それは十代の余熱すらも失おうとしている今の僕の胸の中で、未だ不思議な熱を帯びて、どこか遠い場所から透き通った声でこちらを呼ぶのだ。東北、というイメージに反して、冬の間はカラリと晴れ上がることの多い太平洋側の平野部とはいえ、それでも全国的に見たらやはり寒い地方なのだろう、仙台に住んでいる者として、絶え間の無い波音と、南に特有の眩しい陽射しに心惹かれるのは当然だっただろうか。
 島。全方位を海に抱かれた大地。世界の終わりも、始まりだって、そこからはよく見えることだろう。
 今日、夜中に酒を持って遊びに来てくれた友人とした四方山話の中で、ふと湧いて出たように口に上った「旅」という言葉から、僕は本当に久方ぶりに波照間島のことを意識した。戯れにネットで画像を探してみたりしているうちにどうにもたまらない気持ちになってきた。2006年。何が出来るのか。僕は、あの美しい海の中に飛び込んでこようと思っている。いつになるのかは皆目見当がつかないけれども。
 高速船に揺られて10数時間。青すぎる波の間に、美しい輝きを放つ島を発見できるなんて、考えただけで心が躍る。僕はそこに辿り着きたい。
■2006/2/10 「空白」
 言葉をこねくり回し、自分に都合のいいように理屈をつけ、勝手に納得し、諦めたことにすら上手く言い訳けてみたりする。そんな器用な自分にほとほと嫌になる瞬間があるけれども、かといって改善しない。涙無しには語りえない美しい言葉も、凄絶に過ぎる悲壮な決意も、それが自分以上のものなら、その瞬間に灰に変わる。
 晴れた冬の空はどんな言葉でも語り尽くせないほどに真実を捉えているように思う。いや、なにも冬の空だけに限らないだろう。ただ、自分だけが違和感だ。いや、それも違う。つまらない感情でポカンと空を見上げる、ちっぽけ過ぎて笑いたくなるような自分こそが真実だ。その姿は違和感でもなんでもないし、それ以上でも以下でもない。格好つけるのもいいかげんにしたいものだと思う。無意味という言葉はきっとこんな時のためにあるのだろう。
 何が不満だ? 不満が無いことが不満か? 甘えるな馬鹿野郎。確かに人生は少々複雑怪奇だ。夢を持てと蹴飛ばされ、夢を見るなと笑われる。だが、それがなんだっていうんだ。空が綺麗だ。それを見上げている自分がいる。天気予報によると明日は吹雪くらしい。明朝から一泊二日でスキーに行く予定だというのになんたることだ。そら、本音が見えただろう。全くもってつまらない。

 今日は少しだけ暖かな一日で。見る間に路傍の雪が溶けていって。その匂いにあなたを、あなたと通り過ぎた幾つかの風景を思い出して。思い出してしまったことを、傍らに寄り添う恋人に申し訳ないと感じて。それでも冬の空は綺麗だった。他にどうしても表現する術が無いくらいに、綺麗だった。言葉にしてしまう側から全てが偽りになってしまうと感じてしまうほど、それは自然だった。

 恋人と別れた後。そこにはもう夜が来ていた。僕は車を停め、河辺に添ってどこまでも蛇行していく道に上った。大河とは言えないまでも立派な河だ。その道沿いに桜並木がある。幼い頃から幾度も幾度も訪れた場所だ。その中に一際大きな桜がある。幾度も幾度も訪ねた桜だ。悲しいことも嬉しいこともみんな打ち明けてきた、大切な桜。僕はいつものようにその桜に背中を預けて煙草を一本吸った。花のない枝が風に揺れて時折そよいだ。ごめんな今日は何も話すことが無いんだ、と僕は呟いて、ぼんやりと闇に覆われた空を見ていた。

 言葉に出来ない気持ちはどうやって伝えたらいい?
 知らないよ、そんなこと。

 だから僕は今日も。灰色に変わった言葉と煙草の吸殻を携帯灰皿に押し込んでぼんやりと桜を見上げては、子供のような呻き声を上げる。そして桜に頭を押し付け、通り過ぎてきた場所を思う。言葉なんて知らなかった、何も持っていなかった、あなたが微笑んでいた、もう思い出せない「いつか」にすがりつく。夜は更けていく。やがて朝になり、また「いつか」は遠ざかっていく。へらへらと笑ってやり過ごせる日も、「いつか」は来るのだろうか。来るのだろう。それが今は怖い。器用な自分が、今、震えるほど怖い。

 言葉に出来ない気持ちは、そっとしまっておけばいい。
■2006/2/13 「無意味」
 他人から見てどんなに下らないことでも、当の本人にしたら本当に深刻で絶望的な問題というものが存在して、それら一つ一つの悩みは、ほとんどの個人にあるものだろう。でも、やはり僕から見て、どうしても人のそんな悩みは馬鹿げていて、ちっぽけで、欠伸が出るほど無意味だ。かと言って自分に大層な人生的命題があるはずも無く、ただ呆然とした倦怠感だけを残して日が暮れて行く。
 向き合う人々、自分の眼前を通り過ぎていく人は、年を負うごとに劇的なまでに増えていって、それはいかにも悲劇的な舞台喜劇のようでもあり、一方でやはり無意味な記号の羅列のようでもある。世界と歴史が一個の壮大な演劇であるとするのなら、膨大なまでのエキストラ達に一人一人名前をつけることはほぼ不可能なのだろう。それと同義で、個々のバックグラウンドを追う暇も無く、今日も舞台は愚直なまでに変わらず、ただ日が昇り落ちて行くばかりだ。
 そんな世界で叫ぶことがどれほどの意味を有するだろう。磨き上げられた偶像に手を伸ばしては嘆息する行為。どこか自慰に似る。そんな世界で叫ぶ声が誰に届くだろう。通過していく人の波は誰しもがざわめきながらも、決して他の声に耳を傾けることはしない。しかしながら、それでも時折聞こえてくる声は、やはりそれなりの力を、閉ざされた人々の耳をこじ開ける何かを有した力強い声なんだろう。
 誰しもが、自らしか理解し得ない宿願に惑っている。そしてその苦しみを語りたがっている、伝えたがっている。でもその声はあまりに幼稚すぎて誰にも届かないまま、やがて時と共に風化し、名も無い歴史の渦に飲み込まれていくのだ。世界のどこか、いや、この場所、こんなにも近しい場所でさえもその事実からは逃れえず、僕は欠伸を噛み殺し、相手はきっと今晩の夕食の献立でも考えている。

 そう、今日の言葉それ自身がまさに無意味な寝言だ。
■2006/2/15 「二月の昼下がり」
 春を感じさせる陽気にふと不安を覚えて立ち止まる二月の昼下がり。傍らには自転車。戯れにサドルを跨いだのは一年ぶりほどだったけれども、結局手で押しながらぼんやりと歩いている。見慣れた河沿いの道を行く。時折吹き抜けていく風までもが優しすぎて、誰かに連絡をとりたいと衝動的に思った。でも、携帯は部屋に置き忘れてきてしまったようだった。苦笑して軽く頭を振る。誰か、というのが誰なのか全く思い浮かばなかった。携帯は置き忘れてきたんじゃなかった。置いてきたのだ。アドレスを呼び出して、200人近くの名前の前で途方に暮れる自分を見たくなかったからだ。
 それにしても暖かい日だ。青い時代を置き去りにして、また季節は過ぎていく。今年、何度目の春を迎えるのかを考えることはもうしたくないけれども、冬の終わりはいつもそれと気付かぬ間に通過してきたように思う。夏が最後に断末魔を上げて去っていくのとは違って、冬という季節は音もなく、気配も無く、ふと、ある瞬間に春になってしまっているような気がいつもしているのだ。眠っていた季節を越えて、静かに春が目覚める。そう春は、目覚めの季節のような気がしてならないのだ。
 春は出会いと別れの季節、と言ったのは誰だったか。覚えていない。僕の場合、不思議と出会いの記憶の方が鮮明だ。別れ別れになった人々も、どこかで昔と同じように呼吸をしているはずだと無意識に願っているためかもしれない。さようならした人々の記憶はいつもどこか痛々しくて、どこか暖かい。そう、春そのもののように。

 引いていた自転車に跨ってゆっくりとペダルを。しばらく放置されていた往年の僕の愛車はすっかり機嫌を損ねてしまっていて、漕ぐたびにどこかしらから不満の声を上げる。でもそんな軋みですらも今はただ懐かしい。少しずつスピードを上げてみる。見慣れた景色がゆっくりと過ぎていく。ああ、何を見ても何かを思い出す。今、僕はそんな道を鼻歌交じりで一人、柔らかな春の匂いのする冬空を見上げながら通り過ぎる。僕に出来ることは何だろう。僕がしたかったことは何だろう。辿り着きたかった場所は。かつて身を焦がした情熱が向かう先は。夢、と叫んで憚らなかった衝動が残した余熱がまだ胸の中に残っている。
 春は目覚めていく。戸惑いながらも僕は、二月の昼下がりの中で一人笑ってみる。
■2006/2/19 「10年」
 街の雑踏の中に埋もれそうな君を見つけた。俯いた目には昔の輝きの破片も無くて、流れた時間の長さと独りで生きていくことの意味を痛みという形で僕に教えた。声をかけようとして押し黙ったのは、決して在りし日の二人の別れが酷く辛いものだったからではなく、思わず目を背けた先にあったショーウィンドウに映る僕の顔も、同じように時間の垢にまみれてくすんでいたからだ。奥歯を噛み締めて、僕は思う。
 あまりに他愛の無い夢物語を二人肩を寄せ合い、黒板いっぱいに書いた、あの放課後の夕焼けですらも、もう夜の闇に呑み込まれそうな10年間を。
 思い描いた明日は手を伸ばすほどに遠ざかり、歪み、失われ、慌てて振り返った昨日はもう昨日どころではなく、目も眩むような月日がたっていて。でもなんだか10年というその響きはあっけなく、それでいて一言で片付けてしまうにはあまりに長すぎた。君の声を記憶の底から呼び覚ますことさえ出来ないほどに。
 そう、思い出せない。冷え切っていた冬の廊下。下校時刻をとうに過ぎた校舎に吹きつける冷たい季節風の唸りと、君の囁いた壊れ物みたいな秘密が心を騒がせたあの日を。

 乗客も少ない鄙びた下り列車に独りで乗りました。固いシートに疲れた体と過ぎた10年間を丸ごと投げ出して、強すぎる暖房にぼんやりと視界は霞みました。都市の高く冷たく煌びやかな密林を抜けて、見慣れた田園風景が車窓を流れる頃、やっと泣くことが出来ました。

 雪も溶けようとしている街角の雑踏を、俯いた君が通り過ぎていく。同じように肩を落とし、声も無く急ぎ足で過ぎていく人の波に飲み込まれた君を、もうすぐ見失う。駆け出そうとした足を止めたのは、君の名前を叫ぼうとした心を押しとどめたのは、本当にただ10年という長すぎる隔たりの為だけか。もう一度ショーウィンドウに目を移せば、輝きという言葉すら初めから知らなかったかのような顔で曖昧に笑う僕がいた。
 君の後ろ姿は遠ざかり、ただ気の早い半月だけがビルの隙間から淡い光りを放ち始め、その下で次々と点灯していく混沌とした原色ネオンと、同じ数だけ疼き始めた、思い出と呼ぶには胸が痛みすぎる記憶の数々が僕の足を留め、張り付いた笑顔を自覚するほどにまた僕は大人になっていく。

 君の名前を覚えていました。初めて君を抱きしめた時のあの目も眩むような高揚と、あまりに繊細すぎた君の線と。この柔らかで弱いものに自分が何をしてやれるだろうと真剣に考えた10年前の冬の日も。でも、君の声をどうしても思い出せません。君が僕をなんて呼んでくれたのかを思い出せません。車内アナウンスが緩慢に揺れ動く列車の中に響きます。でももう、よく聞こえないんです。降りるべき駅は過ぎてしまったようでした。僕はこの列車に乗ってどこに行くのでしょう。どこに行けば、どこで降りればあの日の夕闇に帰り着くことが出来るのでしょう。

 教室の真ん中に置かれた石油ストーブはもう随分前に火も消えてしまっていて冷え切っているのに、どうしてだか僕らはその近くで肩を寄せ合い、どうにもならない進路の違いを言葉少なく呟きあいながら、そっと窓の外に目をやり、校庭に降り積もる眩い雪の平原を眺めていた。
 明日が怖いと泣き叫んでも日は落ちまた昇る。いや、本当は分かっていた。明日が怖いんじゃなかった。僕達は明日に変わっていく自分達がひたすらに怖かったんだ。不安で不安で仕方なかったんだ。何が変わって何を失うのか。その対価として受け取る物が、果たしてそれだけの価値があるものなのか。全く分からなかったんだ。分からなかった。今でも分からない。同じようなコートの下、同じような表情をして足早に去っていく冬の雑踏に埋もれて君は、僕は、僕達は、誰も彼もが手放したくなかったもの。

 10年。人ゴミの中で君は。僕は。俯きながら、大人の顔をしながら、言葉を交わす事も無く、それぞれの場所に帰る。ふと、放課後の夕焼けが目蓋の裏に甦った。再び目を移した先のショーウィンドウに映った自分の顔はちゃんと10年後の顔で微笑んでいて、ゆっくりと唇が君の名前を刻んだ。夜になっていく街の片隅で囁いたその響きは、ぼんやりと冬風の中で掻き消されて行こうとする。引き寄せて、抱きしめた。君の後ろ姿はもう見えなかった。

 いつかの放課後の約束を抱いたまま、僕も家路を辿る。

 >otmさん。
 もしも明日が現れないなら昨日も無い、ということになります。
 僕は今日だけでは生きていけません。明日も昨日も必要としている人間です。

 >えーこさん。
 初めまして。ありがとうございます。
 これからも細々ながら続けていきたいと思っています。

■2006/2/28 「冬の末路」
 歩いては立ち止まり、迷ってばかりの道程だ。喜びも悲しみも、当たり前みたいな顔をして路肩に転がっている。一つ一つ拾い上げてみることを諦めてからどれほどの時間が過ぎただろう。頬に当たる風はいつのまにか厳しさを失いつつあり、春の近さを教える。そもそも何を求めた道筋だったのだろう。共に歩いていけると信じていた人々もいつしか消え果てた、こんな寂しい道に。
 人生を赤裸々に懺悔するには僕はまだ若すぎるし、この道の先に理想や喜びを見出すほどには現状に絶望していないのだ。緩慢に、穏やかに、酷く密やかに、握り締める拳の力が失せていくことだけを実感して、なんだか大声で泣きたくなるだけだ。
 また、雨。雪の消えた道を濡らす。一雨ごとに春は近付いてくる。冬来たりなば春遠からじ。題目にするのもおこがましい教えを抱いて、僕らも春になっていく。
 孤独を弄ぶ季節はそろそろ終わりにしたい。春が来たら。春が来たら。僕は誰に会いにいこう。桜散る華の宴の中で誰かの手を取り、高らかに歌いたい。道の端に打ち捨てられた喜びも、悲しみすらも飲み込んで。
 歩いては立ち止まり、震えるばかりの冬路だ。濁りのない寒気が肺を満たし、頭の中は空白になっていく。遠からぬ春を待つ胸の奥にわだかまりは消えないけれども、なんとも言いがたい感情をぶら下げたまま、また道を進む。

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