200603
■2006/3/2 「Re:」
 PCを立ち上げ、メーラーを開くと、随分と懐かしい友人からメールが届いていた。無機質なデータの世界。冷たいモニタ上に、見慣れた言い回しが息づいているのが少し不思議だった。内容は・・・ここに書くまでも無い。拍子抜けするほどあっけらかんとした、いつしか聞き飽きた愚痴の類だった。漏れ出ようとする溜息を慌てて呑み込み、コーヒーに口をつけた。そして、椅子に深く沈みこみながら数回ほど文面を読み返した。最初から最後まで丹念に読んだ。読むほどに冷えていく頭の芯を強く意識した。
 返信しようとして、書き込みウィンドウを開く。僕の指はそれきり動かなかった。真っ白なウィンドウを前に途方に暮れている自分がいた。Subjectにはそ知らぬ顔で『Re:』。Returnの頭文字であるのは自明だろう。Return。返す。最早日常的に見かける表記。特に意味は無い形式上の文字列。だが僕はそこで詰まってしまったのだ。
 時間は確かに流れている。確かに、確かに。時間は大きな力を持っている。その膨大なエネルギーがどこに作用するのかなんて、もう嫌というほど知っているつもりだ。知っている、つもりなのだ。だがその結果をこうしてはっきりとした形で示されると、ついつい混乱を覚えてしまう程度には僕はまだ若輩者なのだ。
 無意識に打ち込みかけた、感情剥き出しなどうでもいい一文をDeleteして、窓からよく晴れた空をしばらく見上げ、少し窓を開けて3月の風を吸った。そこには微かに春が香っている。しばらく待ってみたが、流石にまだ南風は吹かないようだった。振り返ればモニタ上にはメーラーと、『Re:』の文字。まっさらなウィンドウに、僕はゆっくりと文字を打ち込む。

 『今年の春は早いそうだ。桜が咲く頃に、また』
■2006/3/6 「花はまだ」
 春風にも似た暖かい空気。どこかでは春一番が吹いたとか聞く週の初めだ。桜並木が続く河辺の道で、独り、煙草をくわえて水面を眺めている。流石に平日だけあって人影は少ない。学生である自分を強く意識した。親しい友人達は今頃それぞれの仕事に追われているだろうか。
 こんな風に独りきりで水面を見ていると、つらつらと取りとめも無く浮かんでくる情景は否応も無く過ぎた時間のことばかりで、少しばかり感傷的にもなる。くわえ煙草のまま膝を抱えてうずくまった。陽射しが河に反射して目も眩むようだ。
 どこを見ても、何かを思い出す。それは嬉しいことでもあり、寂しいことでもあるのだろうか。たった数年前の夢ですら今はもう跡形も無く、その情熱ですらも思い出せないこんな自分には、どちらにせよ分を過ぎているような気がする。沈黙して、うなだれる。そんな姿こそがなんともお似合いだろう。
 悲しいことはなんだったろう。嬉しいことは。そんなことすら忘れてしまって、今の生活にそれなりの満足を見出してしまっている自分がいる。こんな姿は誰にも見せたくない。10年前の自分には尚更。それなり、という意識を最も憎んでいた悲しく美しい時代には、到底見せられる物じゃない。
 何に期待していたのか。何を待っていたのか。忘れてしまった。忘れることにしてしまった。僕は結局、思い描いていたような強い人間にはなれなかったようだ。忘れることでしか自分を守れなかった。守るほどの自分なんて元から無かったはずなのに、守ることにしてしまった。一度諦めたらそれは随分楽で、大地を踏みしめ慄然と立つための気力をも根こそぎ失われていった。
 平日の昼間、河辺の桜並木。花はまだ咲かずして人の気配は無く、耳にそよぐ風のみあくまで優しく緩む。訪れようとする春が慎ましく伝えるのはいつも希望であり、後に待つ諦観だった。淵に降り積もる花弁に首まで埋もれて眠るいつかの夢よ、今は目覚めるな。日々削られていく生気の残りカスではお前を抱きとめることが出来ないから。
 さて、自分は何を諦めたのだろう。くわえ煙草の灰が落ちる。気がつくと日は斜めに射し、どこからか夕餉の準備の為と思われる豊かな匂いが香る。夕焼けはあまりに赤かった。山の端に消えていく太陽を仰ぐ。今日も一日が終わろうとしていた。自然に立ち上がっている自分に苦笑して、踵を返す。桜並木の下をとぼとぼと歩けば、どこからともなく浮かんでくるいつかどこかで見たような幻覚と、どうしようもなく懐かしい声が僕の涙腺を壊すけれども、それもしょうがないことだと諦めて、笑う。道を進む右手側には夕日に赤く染まった河川が目に入り、その緩やかな流れの中で万物の流転を教えるから。見上げるが、花はまだ咲かないようだ。ああ、しょうがない。酷く出来が悪い大人である僕は、やはり出来の悪い溜息と、それに勝る慟哭を呑み込んで、笑おう。口の端を持ち上げて、笑おう。笑え。
■2006/3/10 「雨音の記憶」
 優しく柔らかに君は春の道を歩く。桜並木は間もなくほころぶだろう。僕達が夢を数えながら通り過ぎていく夜の果てに、それは待っている。美しく生きていきたい訳じゃないけれども、願わくば、緩やかに過ごしていきたい。難しいことだろうか。憂い無しに笑っているだけの生活を送るには、この街は少々騒がしすぎる。
 競争心、自尊心、優越感劣等感。極めて平明に資本主義的な、個人主義的なそれらの要素を注意深く取り除き続けて来た。そんな人生にすらも疲れてしまったのなら、僕らはどこへ向かえばいいのだろう。すっかり怯えた迷子の気分。時代が悪いから社会が悪いからとダダをこねられればいいのだけれども、社会も時代も、実は大して力を持っていないことになんてとうに気付いている。自分自身がどうあるかでしかないってことを先人は歴史の中に残してくれているし、僕らを取り囲む親切な反面教師達も、連日を通して不必要なまでに執念深く体現してくれている。緩やかに生きていきたいと願うほど、また口に出すほど、それらはしたり顔で唾液まみれの舌をちらつかせるんだ。
 春になり代わって行く季節の下、今日も朧雨。糸を引いたような銀の幕に濡れていつも何かを思い出す。春を待つ傍らで肩を寄せ合う僕らの耳にいつでも届いていた、それは雨音の記憶だ。いつか晴れたら。いつか春が来たら、僕達はとっておきのスニーカーとジーンズで、咲き乱れる春の元へと歩いていく。ビールも少しだけ買っていこう。おにぎりも握っていこう。おかずは冷凍品でいいよ。手を繋いで歩こう。そんな他愛の無い約束を、雨音は春霞の向こうにそっと仕舞いこんで次の季節を待つ。
 つまらないことを笑い飛ばす。薄らぐ群青に向かって緩やかに。この雨音がそっと伝える約束は「いつか、どこかで」。どこでもない場所、いつでもない時間。それは春が見せる永遠の夢なのか。
 しかし春は来る。花は咲くだろう。春の道を歩く君の後ろをくわえ煙草で歩く。季節の先に僕は、単純な、でも二度と叶うことのない約束、それは夢と呼ばれる物を抱えて、春を待ちわび、雨音の記憶の中に独り膝を抱えて沈黙する。君の声が聞こえたような気がして顔を上げれば、小糠雨はそっと包み込むような歌声で、依然、窓の外を塗りこめている。
■2006/3/14 「White Day Gift」
 中学の頃から付き合いのある友人に子供が生まれたそうだ。そうだ、なんて曖昧な表現なのは僕がその報を受け取ったのが5分前のことだからだ。突然降って湧いたような吉報に少々混乱してもいる。彼にとって初めての子供は女の子だそうだ。男ばかりの家に育った僕には、何をプレゼントしたらいいのか皆目見当がつかない。無難な所でお人形がいいだろうか。いやいや、産まれたばかりの子供がお人形で遊ぶだろうか。ああ、どうしたらいいんだ。混乱は増すばかりだ。
 嬉しい報告は、いつのまにか友人連中にしっかりと回ったようで、先程から携帯電話が鳴り続けている。誰も彼もが興奮した様子で埒も無いことを口走り、なんとか平静を装う僕をも巻き込んで、電話口で互いに万歳と叫ぶ始末だ。中にはまだ仕事中の者もいて、彼の後ろからは恐らく職場の同僚のものと思われる苦笑の声が漏れ聞こえている。
 ひっきりなしに届く様々な連絡の中、そっと届いたメールがある。シンプルなその文面はこうだった。「ホワイトデー生まれの女の子か。多くの人に祝福されて幸せになってくれそうだな」。僕は一瞬目頭が熱くなり、馬鹿みたいに独り「そうだよ、うん。絶対そうだよ」と、強風にがたつく窓越しに夜を見ながら、訳も分からず携帯電話の画面に向かって頷いた。幸せが一番だ。幸せが具体的にどのようなものなのか正直分からないけど、それでも僕は、僕達は、新しい命に幸せになって欲しいのだ。心からそう願うのだ。そしてそれを願う時、誰もがまた幸せになれるのだ。理屈なんていらない。そうであるということだけが真実で、涙が出るほど嬉しい。

 幸せな夜に。おめでとうが飛び交う夜に。
■2006/3/15 「SCOTCH」
 一息に飲み下したJOHNNIE WALKER BLACK LABELは容易く喉を焼いた。随分と飲みなれたはずなのに無様にむせ、涙混じりに苦笑する。グラスを握り締めたままだったことに気付き、テーブルへと。汗をかいたその透明な肌からは未だその峻烈な芳香が立ち昇っているようだった。対面に座った友人は黙したまま、そっと微笑んでみせた。
 照明の絞られた店内は落ち着いた様相で、一つ一つのテーブルは仕切りで隔離されている。慎ましく古く甘いR&Bが流れ、その彼方から深山のざわめきのように微かな人の気配。ふと目をやれば、壁にかけられた写真はモノクロのチャーリー・パーカー。サックスを吹くことがまるで苦行であるかのように体を九の字に曲げている。できすぎているな、と、思わず漏らした自分の声がその瞬間にどこかへと吸収されていくのを感じて、僕もまた黙った。
 ボトルは間もなく空く。ゆっくりと飲んでいたように感じていたが、かつては酒豪で鳴らしていた目前の友人との二人酒ならこんなものだろう。折り良く通りかかった店員に聞くと、CUTTY SARKの18年物も入っているらしい。少々高くつくが頼むことにした。今度は落ち着いて飲めるだろう。
 CUTTY SARK18年は少々気だるげな風情でテーブルに置かれた。封はあらかじめ切っておいてくれたらしい。無言で置かれた友人のグラスに注ぐ。豊かな香りが仕切りで区切られた狭い空間に満ちた。静かにグラスを合わせ、口に運ぶ。18年を飲むのは数年ぶりだったが、その何年かの内に自身の舌も少々鍛えられたようだった。無限に広がっていく深い味わいが喉を通り、胃へと。同じように味わったらしい友人と目が合い、照れ笑いを交わした。

 18年という時間がこの美しい液体にこのような深みを与えたのだ。琥珀色した深海が、このボトルの中にそっと封じ込められていた。深みとは何だと聞かれたら僕はこう答えよう。それは僕達が預かり知らぬ所でいつしか完成される過去の幻のようなものだと。そして幻はいつも隣り合わせにある。僕らが気付かないだけで。ふと思い立ち、CUTTY SARKを見つめる友人を盗み見る。彼とも早20年を越える付き合いになった。僕たちの間には何が生まれ、育ってきたのだろうか。生きていくという時間の中で数知れず遭遇しては通り過ぎていく森羅万象。眩暈のするような諸行の羅列の中で、その内のせめて一つは少しでも深まったのだろうか。

 気がつけば空いていたグラスに、友人が新たに注いでくれるのをぼんやり見ていた。どこか陶酔感を煽る香りが再び広がった。目でお礼を言い、口に運ぶ。18年の旅人は少しだけ刺激的に舌を通過した。噛み締めるようにして飲み下した。そんな僕をじっと見ていたらしい友人と眼が合う。ほぼ同じタイミングで苦笑しあった。くゆらせる煙草の煙が時折目に入るが、もう大して染みる事もなくなってしまった。良くも悪くも人は慣れるものだ。でも慣れてから見えてくるものもある。相変わらず言葉少なにグラスを傾ける見慣れた友人の顔にあまり表情は無いが、どうやら楽しんでいるらしいことは分かった。僕はCUTTY SARKのボトルに描かれた金色の帆船を軽く指ではじく。まだまだ若造の僕らの航海は、これからも続いていくのだ。

 夜風も緩む、三月の夜のこと。
■2006/3/18 「はないちもんめ」
 誰かに名前を呼ばれたような気がして振り返る深夜の帰り道。住宅街に明かりは少なく、外灯だけがポツリポツリと溜息を落としている。先程コンビニで買ってきたばかりの煙草の封を切り、くわえる。火をつけてゆっくりと長く吐き出しながらしばらく待ってみたが、やはり僕を呼ぶ人はどこにもいないようだった。携帯がポケットの中で身震いした。億劫な気持ちで取り出すと、君からのメールが届いていた。すでに時刻は午前三時だ。こんな時間まで起きて何をしているのかと訝る。メールを開くと、そこには一言だけ「家に着きましたか?」と記されていた。今晩僕が遅くなることを知り、心配してくれたのだろうか。浮かんでくる微笑みを抑えることもできずに返信。「もうすぐ着きます。心配はいらないのでもう寝てください。ありがと」。再度ポケットに仕舞いこみ、暗い夜道を見つめる。そこにはただ闇の濃さと、ふくよかな春の風だけがたゆたっていた。僕を呼ぶ人はやはりどこにもいなかった。
 今日は少しだけ酒が入っている。幻聴の類だろうと決め込んで、また家路を辿る。明日の朝は早くから予定がある。一刻も早く帰り、僅かにでも睡眠をとりたいところだ。ここのところ毎日があまりに忙しい為、あまり眠った記憶が無い。ベッドに倒れ込んだ所で記憶はふっつりと絶え、目覚し時計のアラーム音で飛び起きるというサイクルを繰り返しているだけのような気がする。スケジュール帖は最低限にしか開かなくなった。見るだけでうんざりするほど、そこには黒々と書き込みがされているからだ。ただ、それが羨ましいと言う知人もいることは確かだ。だから僕は、疲れきって何もかも投げ出したい時には必ず「忙しいうちが華」という誰かの言葉を思い出し、歯を食いしばることにしている。
 ともあれ何とか帰宅せねばならない。見慣れた道が延々と続いていく。夜のせいか季節のせいか、それとも個人的な気持ちのせいかは分からないが、なんだかとても他人行儀な顔をして見慣れたはずの道が延々と続いていく。延々と、静かに。近頃は多忙を理由にして静かな時間を中々持てずにいたから、それが少々ありがたいとも思った。単調に前へ前へと突き出す両足のリズムは思考に向いているように昔から感じていたが、それは今でも変わらないらしい。つらつらと取りとめも無いことが次々と浮かんでは端から処理され、押し流されていく。
 そんな思考の線が最後にいつも行き着く場所があった。それはなんていうこともない昔のことだ。昔、という酷く曖昧で不確かな時代のことだ。疲弊しきった脳内を断片化された思い出が頼りない足取りで透過していく。そこでふと、また誰かに名前を呼ばれたような気がして振り返った。そして無意識に首をかしげた。やはり背後には茫漠とした夜が寝そべっているばかりで、人はおろか、ろくに音すらも聴こえては来ない。緩んだ風も時折頬を撫でる程度に動いていく。煙草が燃え尽きそうだ。携帯灰皿を取り出して揉み消した。
 家まではもう五分ほど歩けば着くだろう。僕は軽く頭を振ってまた歩き出した。辺りの景色はもう、当たり前のように幼い頃からそこにあった風景へと変わっている。途中、小さな公園の側を通り抜ければ、そこは我が家だ。その公園では幼い頃に随分遊んだと思う。大人になった自分の視点では、よくもこんな所で一日を夢中で遊んでいられたなと驚くほど慎ましい公園だ。小さなブランコと、小さな滑り台、そして小さな自由スペースがある。それだけだ。
 公園、と反芻してみた時、何かが頭の隅で弾けるのを感じて、僕はまた火をつけようとしていた煙草を思わず噛み締めた。そして唐突に溢れ出すメロディと歌声に悶えた。はないちもんめ。そうだ。僕はあの公園で時々近所の友達とするはないちもんめが大嫌いだった。手を繋いで波のように前後に揺れながら「誰々が欲しい」と歌うあの遊び。
 その時、ポケットの中が震えた。呆然としながら携帯電話を取り出した。君からのメール。「もう帰りましたか? やっぱり心配なので着いたらメールください。黙ってるけど、体調、崩してるんでしょ?」。数秒間、画面を見つめた。そして急に思い出し、長く息を吐いた。いつの間にか呼吸を停めてしまっていたらしかった。携帯を開いたまま、宙を仰いだ。僕はもう、誰からも選ばれない子じゃないんだな、と、素直にそう思った。

 夜は続いていて、道には明かりも無い。やはり僕を呼ぶ声は聞こえない。けれども、待っていてくれる人がいる。
■2006/3/23 「いつかまた、どこかで」
 さようなら。何度でも告げよう。繰り返し繰り返し告げよう。別れの後にはいつでも暖かな春の園が待っていて、陽射しの中で僕らは懐かしい歌を口ずさんでみたりする。苦しかった日々も、絶望に泣いた夜も、その光の中にみんな溶かしてしまえ。さようなら。また出会おう。出会いの始まりは別れの予感をいつも引きずっているけど、だからこそ瞬間は輝く。
 春が来る。冬はそっといなくなる。今年もこの季節が来た。例年よりは軽いという花粉症に鼻をグズグズさせながら、僕達は目を真っ赤にして手を握り合い、抱擁し、お互いの名前を叫びあったりする。交わされる幾千もの約束を越えて季節は過ぎていく。人生を長い旅に例えるなら、今はどの辺りにいるのだろう。そんなこと分かる訳も無い。ただ、手に握り締めているのは、行き先の書かれていないシンプルな片道切符だ。そしてその事が僕達をこんなにも高鳴らせるんだ。
 さようなら。だからこの言葉は優しい気持ちで伝えよう。道は果てなく続く。途中でまた出会うこともあるだろう。心からの祝福と、心からのありがとうを込めて伝えよう。大丈夫、と、笑いながら強がって、お互いに歯を見せて笑おう。雪は消え去る。大地に緑が溢れる。新しい場所へと旅立つ君にも、きっと同じ空が広がっている。それはなんて嬉しいことなんだろう。
 ありがとうって言葉は何百と重ねても言い足りない。だから手を振る。大きく大きく。君の後ろ姿が消えるまで。僕らが、旅立つ人の名を幾度も叫ぶのはきっと、その響きを体に染み込ませたくてするんだ。ずっと忘れないようにするためなんだ。浮かんでは消えていく思い出の波。やがて失せる高潮に全身を濡らしながら何度でも叫ぶ。春になり変わっていく大気の下で、柔らかに霞みがかる空と君の後ろ姿があまりに綺麗で、綺麗すぎて、時折頬を濡らすけれども。
 約束は一つだけ。懐かしい指きり。青臭くて少しだけ照れ臭い約束をしよう。そっとそっと、告げよう。「いつかまた、どこかで」。二人、同時に空を仰いで上げた笑い声が、季節の隙間に消え失せてしまいそうな暖かい日に。涙交じりで精一杯のさようならが飛び交う日に。
■2006/3/31 「行かなくては」
 突然冷え込んだ三月の末。どこそこで桜が見頃というニュースを尻目に、ここ仙台では昨日の早朝に薄く雪が積もるという芸当まで見せてくれた。自然はいつも予想不能で、少しだけお茶目だ。一方、しばらく春めいた気候が続いていたせいですっかりと油断していた僕は、実にあっさりと風邪をひく羽目になった。いや、正確には『なった』じゃない。今もひいている。持病と言っても良いであろう花粉症と併発して、もう何が何やら分からない状況だ。気力が何も湧かなくて創造的な活動を全くできずにいる僕の傍らで、ティッシュの残骸だけがうずたかく山脈を築いている。そして同時にまったく春めかしい薄紅色に染まった僕の鼻の下は時折鈍い痛みを伝えてくるのだ。先日、その旨を友人に伝えてみた所、「鼻のかみ過ぎだ。バカ」という竹を割ったような気持ちの良い返答があった。
 ともあれ三月も今日で終わり。泣いても笑っても明日からは四月だ。試しに一度でんぐりがえしをしてみたが、やはり状況は何一つ変わらないらしい。カレンダーは無常に僕を見下ろしている。渾身のギャグだったのだが、お笑いブームとやらが到来しているという昨今においては、もはや体を使った勢いだけのギャグなんて小学生にさえも嘲笑されるのが実情なんだろう。まこと嘆かわしい風潮だ。
 身をよじって現代社会の世知辛さに悶えていると、狙いすましたかのような友人からの着信。息も絶え絶えに通話ボタンを押す。「はいはい、仙台のイザムこと後藤です」。「死ね、ハゲ」。「お前さあ、自分から電話してきて第一声がそれかよ」。「二十一世紀にもなってシャズナのこと思い出させるんじゃねえよボケが」。「あ、お前ってもしかして昔ファンだったろ?」。「ぐ」。他愛の無い会話を幾つかして、ほどよく朗らかな気分になった所で通話を終えた。と、思う間もなくまたもや着信。「はいはい、仙台の清少納言こと後藤です」。「二回も似たようなネタすんじゃねえよハゲ」。「いとあさまし」。「うっせえわボケ!」。「お前、さっきからハゲだのボケだのと言いたい放題だな・・・」。「お前がくだらねえコントを強要するから、したくもねえツッコミを入れてるんだろうが」。「律儀な奴。しかしなんなんだ。二回も電話寄越して。何か用か」。「そうそう、それ。お前さあ、この間貰ってきた成績はどうだ(ガチャン)」。ツーツーツー。携帯電話の電源を切って、先程いい所まで行っていた世知辛い身悶えを再開する。確か、「言いたいことも言えないこんな世の中はファッキュー」だかなんだかという歌があったけれども、もしもカラオケで歌ったなら文句無しで満点を出せるような気がした。

 ほんの少しだけ部屋の中は肌寒いけど、窓越しに見る空は小気味良い青さを見せてくれていて、熱っぽい頭に、その深さがめっぽう染みる。ぬるい寝床から出て、ふらつきながら立ち上がり、窓を開け放ってみた。風にはもう、厳しさは感じられなかった。
 四月だ。四月になるんだ。否応も無く出会いと別れが訪れる季節にまた僕はいる。幾度繰り返しても妙に落ち着かなくなる不思議な高揚感だ。身体を足元から駆け抜けていった身震いは熱の為だけではなかっただろう。ほんの少し迷ってから、僕は身支度を始めた。寝込んでなんていられないよ。ぼんやりしている暇なんて無い。別にどこに行くあてもないけれども、一度そう思ってしまってからの決意といったら中々強固で、なんだかとても素敵な思い付きみたいに感じられて、知らず微笑んでいた。
 病なんて吹き飛んでしまえ。そうだ、これから僕はいつもの道を抜けて、恐らく芽吹きの予感にはちきれそうにしているだろう、馴染みの桜に会いに行こう。そして共に遠からぬ春を待とう。途中でビールを買っていこう。そして日の高い内からこっそりと独り乾杯しよう。理由なんていらないよ。だって、春なんだぜ。

 陽射しの優しい日に。風邪が悪化した日に。(当たり前だ)

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