200605
■2006/5/5 「柔らかな季節を過ぎても」
 花は既に散っていた。誰も見上げる者のいなくなった夜桜をしばらく見つめた後、僕はその場にしゃがみこんだ。背の低い草の群れの中に数枚の花片を見つけて握り締める。遠くで貨物列車が走る音が響いていた。春の夜はいつでも雨が降る予感に溢れていて、奇妙に静かだ。
 楽しい時間はいつでも速く過ぎてしまう物、なんてことは子供でも知っている。でも、子供達は知らないだろう。時に苦痛めいた空虚な時間もまた、矢のように飛び過ぎて行くことを。安易に年齢のせいにはしたくないけど、近頃それを実感するようになってきた。今日別れた友人が次に帰るのは一ヵ月後のことだそうだ。それを聞いて「なんだ、それならすぐじゃないか」と何の疑問も持たずに口にした僕と、「だな」と短く同意した友人はいつの間にかちゃんと大人になっていたのだろう。一ヶ月。子供の夏休みと同じくらいの長さだろうか。蜃気楼が立ち込めるようなイメージが自然に想起されるほど、夏休みというのは濃密で長いものではなかったか。今では何の自信も無い。
 ポケットの中で握り締めたままの手。早足で歩いているせいなのか、或いはもうそういう時期に来ているのか、早くも汗ばみ始めた手の平で花弁は揉みくちゃにされていくようだった。自分が何をしたいのか皆目分からない。去年と同じ気持ちで見上げているのではないと、今年突然気付いてしまった桜の断片を持ち去って、自分が何を期待しているのか分かりたくない。目は眩み、足元は覚束ない。そうだ、出掛けに安っぽいウィスキーを流し込んできたっけ。あれが今頃効いてるだけなんだ。そうに違いない。どんどん歪んでいく視界も、痛み始めた鼻の奥も、うめいてしまいそうな胸の疼きも、全部全部そのせいなのに違いない。固くじめついた頭の奥で鳴り響く警鐘を舌打ちと歯軋りで無理やり打ち消してやる。
 一人帰る晩春の夜道。時折、柔らかな風が吹いては懐かしい香りと行き場の無い感情を置き去りに通り過ぎていく。雨が降るのかもしれない。夜気は湿った生暖かな肌触り。また季節は変わる。それはしょうがないことなんだろう。食い飽きた荒唐無稽な幻。見飽きた情と喧騒の馬鹿騒ぎ。聞き飽きた繰り言のような浅はかさ。辟易としてるんだ。そうだ、それは確かなことなのに。ああ。

 季節は過ぎたさ。でも僕は今、名残の花弁と薄汚れた過去を握り締めて、静かな道を一路、家へと急ぐ。
■2006/5/7 「秘する」
 難しい言葉は幾らでも思いつくのに、ただ優しい一言がどうしても言えなくて。僕は事あるごとに謝ってばかりいる。酷く情けない気持ちになるけど、どうしてだか僕の周りの人々はみんな寛容でその度に随分救われてきたように思う。以前、ある人に「自分が特別だと思っていないか」と聞かれたことがある。少しだけ考えて、「そうだ」と答えた。「だろうな」と、その人は苦々しい顔で吐き捨てたけれども、僕は彼の誤解を解こうとはあえて思わなかった。自分が何かにおいて誰かよりも優れているとか、そんなことを考えている訳ではないんだよ。ただ、世界を認識している自分というものが存在していて、それは、極論で言えば自分の目でしか世界を捉えられないということで、つまりはどう足掻いても主観の世界に生きるしかない『自分』という物が特別じゃない訳が無いと言いたかっただけなんだ。でも僕にはそれを説明するだけの気力も、上手い言葉もなかった。だから、黙った。いつものことなんだ。
 時々、多くのものを投げ出したくなることがある。なにもかもが面倒になって、自嘲の笑みが湧いてしょうがないことがある。億劫だ。考えることも、話すことも、寝ることも、誰かのつまらない話につきあうことも。逃げ出してしまうことすらある。『誰か』なんてどうでもいいじゃないか。僕は独りでも楽しく生きていける。世界中から人という人がいなくなったって構わない。寿命が尽きるまで独りでも、僕なりのやり方で楽しく生きていける。そんな風に考えている自分を発見する。そして愕然とするんだ。なんて短絡的な人間なのかって。本気でそう思っていたという事に気付かざるをえなくて、嫌な気持ちになる。もし本当にそうだったとしても、それは秘して生きていかなくてはならない感情だ。僕が80年という人生の中で関わっていく膨大な人々に対する、それは大きな裏切りなのに違いないのだから。どうすべきかは、明白だった。

 難しい言葉はぐっと飲み込んで、僕は今日も優しい言葉を探している。でも、当分見つかりそうも無いから、今日も黙って夕空を見上げている。
■2006/5/9 「不在の景色」
 いるべき人のいない風景はどうしても味気なくて、つい口数も減る傾向にあるらしい。戯れにつけた、滅多に見ないTVはやはりいつまでも脈絡の無いことを口走っていて、火の気の消えたような部屋に虚しく響いた。親しくしていた友人が大学を卒業し、男子寮から退寮して関東に行ってから早くも一月が経つ。僕は去年、とある事情で退寮を余儀なくされていたのだけれども、彼の持つ底抜けの明るさと、それとは相反する隠された繊細さに惹かれて、気紛れに一升瓶を抱えては泊まりに来ていた。寮時代に特に仲のよかった者はその友人の他にもう一人いた。残された者同士で飲む酒は地に足がついていないような、およそ味覚に対する比喩とは程遠い言葉がふと頭をかすめるほど、味気無いのだった。
 小さな猪口を幾杯空けただろう。TVはまだ無責任なノイズを撒き散らしている。ふと、住み慣れていたはずの部屋を見回して思うのはとても月並みなこと。この部屋はこんなに広かったのかということ、こんなに薄暗かったのかということ。分かっているのにとても悲しいこと。
 日付はいつのまに変わったのか。どこかの部屋から遠くさざめいていた気配もすっかりと鳴りを潜めた午前一時過ぎ。一升瓶はもう残り少ない。思えば今向かい合っている男はいつからこんなに飲めるようになったのだろう。入寮当時を思い出す。安っぽいビールをただ一杯だけで真っ赤な顔をしていたっけ。様子のおかしい彼を僕は横目で見ながらハラハラしていた。そんな僕達を見た、もう出て行ってしまった奴が意地悪く笑っていたな。あれはいつの話だっけ。たった数年前の出来事じゃなかったか。何もかも現実味が無い。事あるごとに入り浸って明け方まで大騒ぎを繰り返していたこの部屋は、今となっては変に広く、薄暗いのだ。ああこれが回顧かと思い知らされる瞬間だ。
 杯を重ねながら、お互いに思い出話は意図的に避けていたように思う。ポツポツとお互いの進路について語り合った。芳しくない。そう聞くまでもなく、お互いの表情こそが雄弁に語り過ぎていた。語ることはもう無かった。どちらから立ち上がったのかは分からない。飲みかけの一升瓶を抱え、僕らは部屋を出て、屋上へ出るべく消灯された深夜の階段を上った。
 風はもう晩春のそれで、生ぬるい中に湿り気があった。給水塔の上にまで登りつめて、これ以上高いところが無い所でやっと落ち着いた。そうであることが自然であるように寝転がると、霞みがかった夜空に星。瞬きを繰り返している。苦笑いが込み上げて来るのを感じた。いつの日だったか、ここでこんな風に三人で寝転んで、一晩中獅子座流星群を見つめていたことがあったからだ。思えば、流星をあれほどはっきりと見たのはあの夜が初めてだった。友人が戯れに持ってきた激辛の菓子を食わせられ、激しくむせたのもあの夜のことだった。生活空間というのは残酷だ。そこかしこに記憶は焼きついているのに、だからこそ、不在の温度の無さが体の芯まで凍てつかせるのだ。
 僕らも来年の今頃はここにはいない。当たり前のことだ。そんなことは何度も繰り返してきた習慣に過ぎない。時を経て、この場所もまた不在の景色となる。うっかりと倒してしまった瓶から漏れる、濃密な特級酒の香りすらも風の中に消え去って行く。濡れた、服が酒臭い、等の声をあげて、やっと笑い転げることができた僕らの胸の痛ささえも、夜の湿度の中に溶けて行く。それでいい。いつかこの場所が、胸を掻き毟られるような懐かしい景色になってくれればそれでいい。例え、そこにもう誰もいなくても。
■2006/5/11 「Lu/LaLaLa/Lu」
 君が最後の眠りに潜り込んでしまう前に、僕はもう一度キスしたい。一人で寝転がるベッドはいつでも広大な海で、のたうつ魚のような気分で斜めに寝てみたりもする。「何も悪いことなんてなかったよ。でも、もう終わりだね」と囁かれた言葉は冷たい春の息吹。君の手を取って踊ろう。そして口ずさむ『Lu/LaLaLa/Lu』。言葉にならない気持ちは素朴なメロディと共に宙に舞い散る。桜が丸裸になるのと同じくらいの性急さだね。春は終わり、君は無意識の世界へ。紫色した煙が目蓋の裏を焦がすから、輪郭を失った世界の中で歌おう。望む物は全て手に入ったのに。君が望みさえすれば、今日という日は過ぎ去った永遠の幻になったのに。道々に眠る小さくて律儀な地雷を掘り返して遊ぼう。君が最後の眠りにつく前に僕はもう一度キスするから。軋むスプリングに身を投げて、わざとらしいほどに広々としたセミダブルベッドの上の大空を今夜僕達は見上げる。言葉も無く。世界なんて知らないよ。興味なんて無い。ほんの少しだけ調子外れな鼻歌交じりに歌おう。Lu/LaLaLa/Lu。ノイズ奏でるブラウン管の上には知らない体温が逆巻いていて、それを見ようともしない他人達には上質なメタファーの大安売りがお似合いだ。

 あの頃、小さな居酒屋に毎週のように通っていた。そんなに昔のことにも思えないのに、今は全てが変わってしまった。注ぎ足されていく安いビールに浮かされて語った夢と、それを真剣に信じていた皆はどうしているのだろう。五月の陽射しの中、僕はあの暗いガラス窓の前に立っていた。ねえ、あの店はもう潰れていたよ。短く謝辞を告げる変色した紙が頼りなく貼り付けられて風に揺れてた。通りに面した窓に映った疲れた男が自分だって信じられなくて、しばらく曖昧に笑った。ドアの向こうから誰かの声が聞こえる気がする。今にも、僕を呼ぶ声がするような気がする。今にも、あの夢がまた熱を帯びるような気がする。しばらくそうしてたかなあ。薄暗いガラス窓を一つ蹴りつけて、僕はその場を後にした。

 Lu/LaLaLa/Lu。自傷行為には似ても似つかない代償行為なのかな。君は眠り、僕は膝を抱える。耳にこびり付いた旋律を集めて、遠く手を振ろう。そう、遠く行くよ。僕ももう行くよ。HELLO! HELLO! ル/ラララ/ル。花はもうじき咲くのかい? それとももう散ったのかい? 燃やし尽くしてしまえ。幻の中で潜り抜けた扉のそのまた向こうまで、君の手を引いて、僕は行くよ。昔話のように残酷な、優しい歌を歌いながら。
■2006/5/14 「誤解」
 誤解はどこから生まれるのだろう。それは恐らく情報の受け取りミスが大きく関係しているのだろう。例えば『リンゴが一つ』、と僕が言ったとする。誰かは『リンゴが一つあるんだな』と思い、そこで思考停止する。だが誰かは『なるほど、リンゴは一つあるのか。じゃあ、他には一体何があるのだろう』と考えて、次の言葉を待つ。この場合、実際に何が幾つあったのかはさして問題ではない。様々な手法(それは書き言葉であったり、口伝えであったり、写真であったり、時にはジェスチャーであるかもしれない)で伝えられる断片的な情報をどう処理するか。また、どこまで煮詰めて聞けるか。事実確認を怠らないでいられるのかに着目すべき必要性がある。
 特に情報は、時にその発信者によって故意に制限される場合も多い。あえて具体例はあげないが、僕個人の経験で言えば、かつて湾岸戦争があった時に報道された一枚の写真にすっかりと騙されてしまい、酷く自己嫌悪した。そしてそれきり報道機関の言葉を鵜呑みにすることがなくなった。実害がほぼなかっただけ、安くて有効な授業料であったと言うべきだろう。
 悲しいほど人は擦れ違う、とは名前も思い出せないような古い歌の一節だ。僕はこのフレーズを最近よく思い出す。そしてそれが何故なのか真剣に考え込む。でも、本当はもう答えなんてとっくに出てもいる。人が擦れ違う理由なんて明白だ。所詮、我と彼は違う個体なのだ。例えば僕が今、手酷く転んだとしても、僕以外の誰かの膝に擦り傷はできないだろう。痛みを分かち合うことは物理的に不可能だ。ただ、それだけのこと。
 でも、と考える。でもそれじゃ、と、心のどこかから悲痛な声がする。それじゃ、あんまりじゃないかと。僕らには想像力というものがある。ジョン・レノンがいみじくも歌ったように「想像する」ということ。それが僕らにはできる。つまづいて膝小僧を擦りむいた友人に僕らは手を差し伸べることができるんだ。彼の傷から流れ始める赤い物を見て、その痛みを考え、自分のもののように感じることさえも。想像力。そして、思考停止を避けること。これが僕らが持つ大きな武器であり、可能性だ。
 誤解し、擦れ違ってばかりの日々に嫌気が差す時、僕達はいつでも誰かのせいにして自分の殻に引きこもってしまいがちだ。でも、それにさえ疲れたら、立ち上がれ。僕達には出来ることがある。目の前の情報を丸呑みにするな。取捨選択という言葉を忘れるな。写真に写るテーブルの上のリンゴ。でももしかしたらフレームの外にはもっと素敵な何かがそっと佇んでいるのかもしれない。誤解を招かないように心を砕き、また相手の話の真意を探れ。僕達は、目前で泣く人の手を取り、共に声を上げて泣くことが出来る生き物だ。そしてその能力には気の遠くなるほど昔に誰かが付けてくれた名前がついている。長い時を経て人から人へと受け継がれてきたそれは、「思いやり」という。
■2006/5/18 「トロイメライ」
 平明な子守り歌に包まれて眠りたい。誰かの暖かな胸の中で泣き疲れて眠りたい。それが叶わないなら独り静か過ぎる場所で呆然としていたい。今にも消えてしまいそうな夢に手を伸ばす。耳元で囁かれる昔話の言葉一つ一つ、ゆっくりと殺されていきながら。大人になるということがどういうことかなんて本当は分かっちゃいなかったんだ。ただ、何も変わらないということだけはわかる。レッテルを貼り付けることで自我を守ろうとしていた青い日々よ、今は言い訳をしないでおこう。弱さを嫌い続けた脆い日々よ、強くなろうと足掻いた分だけいつしかこんなにも空白に落ち込んだね。
 大人というカテゴリに何かを期待していたわけじゃないけれども、少しは上手く何かを諦められるようにはなるだろうと思っていた。ある日をさかいにすっぱりと、何かを切り捨てられると漠然と考えていた。そしてそれがとても寂しいことだと思っていた。まさかこんな風に少量ずつ自分を削られていくことになるなんて。想定外だ。本当に、自分がいかに甘かったかを必要以上の残酷さで時の流れは教えてくれている。胃が千切れそうなそれは、これから長く続く喪失の旅路の予兆だ。
 トロイメライが聴こえる。大人の為の子守り歌。夢という名前の小さな歌が聞こえる。もう少しだけ叫んだら、僕はそっと眠るとしよう。
■2006/5/21 「どれほど歩けばいい」
 かつて身近に、幸せになりたかった人がいて、幸せがなんだか分からない僕がいた。結果、その人は幸せにはとうとう辿り着けず、僕は大切な人を失って初めて自分が幸せだったということを知った。あれから季節は幾度巡っただろう。数えることは止める事にして、僕は今、夜の中で窓越しに空を見上げ、煙草をくわえている。
 『何が幸せなのか。何が喜びなのか。解らないまま終わる。そんなのは嫌だ』。これは日本で育った子供なら大抵は知っているアニメの主題歌の冒頭だ。多少改変したけれども、こうして字にしてみると、どうしても子供向けとは思えない悲壮感とも言えそうな切実さがある。そのアニメはもう十数年ほど見かけたことは無いけど、まだ放送されているのだろうか。飢えた者に自身の一部を分け与えるヒーロー。聖書的な善行を飽かずひたすら実践する予定調和。その一方で設定された悪と汚染の偶像の存在。なんだろう、少しモヤモヤする。あのヒーローにとっての幸せとはつまるところなんだったのだろう。解るようで、解りたくないと思っている僕がいる。役に立たなくなった頭部をあっさりと新調してしまう姿に、少しだけ胸の軋みを覚える。
 必要の無くなった部位は切り捨てて、またさっぱりと歩き始めればいいのだろうか。幸せになりたかった人の声はまだ僕の胸の内に残っているのに。幸せが見えなかった僕は、そのためにあれほど後悔し、苦痛に転げまわったのに。善いことも悪いことも全てひっくるめて、全て背負って生きていく覚悟を、やっとの思いで持つことが出来たのに。まだ揺らぐのだ。視線を上げれば先の見えない道行きが、それでも確かに続いていくのが見えるのに。
 夜の窓辺で煙草をくわえたまま、過ぎていく季節を見る。夜風はすっかり冷えていて、頭の中は空白になっていくばかりだ。この両足でどれほど歩いてきたのか解らない。この両足で歩ける所まで歩いていこう。幸せがなんなのか本当の意味で解らないまま、僕は終わりたくないから。
■2006/5/25 「冬の葬列」
 振り返ってみる。今日来た道を。これまで来た道を。もう戻れない場所から漏れる優しい光を。唇を噛み締めてみる。強い力で噛んでいるのに血が滲むことは無い。乾燥してひび割れていたりすることがないからだろう。冬は本当にとっくの昔に終わったのだ。春でさえも最早去ろうとしていることに気付く。道の先に視線を返した。果ての無い田園地帯のあちらそこらから蛙のか細い鳴き声。ああ、もう夏を待とうとする季節にやってきているのだ。鼻腔の奥にまだ雪の香りが、手の先にまだ冬の寒気が、胸の奥に未だ震えていた貴方の温もりが残っているのに。路面を睨みつける。綺麗に舗装されたそれは、憎らしいほどの美しさで冷たい視線を投げ返した。
 僕は別れを告げなくてはならない。山の向こうの小さな果樹園の側の小屋の中の人々の優しさの名残のようなか細い夢に。黒いネクタイを締めなくてはならない。神妙な顔をしなければならない。声を絞り出して泣き悶えなくてはならない。季節の死と共に心中していく幼い幻想に。永遠の雪が降りしきる場所に立つ、想いを一身にその身に受け続ける少女に。理想と現実なんていう馬鹿馬鹿しい慣用句をことさら真面目な顔でそろそろ受け入れなくてはならない。物語は恒久に永らえていくと信じてやまなかった詩人の憂鬱な水晶を打ち捨てなくてはならない。
 晩春の先、初夏の足がかり。声も無く、肩を落としてまた歩を前へ前へと進める。例え、その先に待つ故郷が記憶の凍土の下に凍りついてしまっていたとしても。
■2006/5/29 「青い帰り道」
 今にも雨が降りそうな、湿っぽくて少しだけ生暖かい夜の空気。バイクでのんびりとそんな中を滑っていくと、鼻腔をくすぐる独特の季節の香りとでも言えそうな匂いに、いつでも何かを思い出している自分がいる。それはかつてここよりも南にある都市で生活していた頃の夜だったり、今ではもう会うこともなくなってどうしているのか解らない友人と、深夜に越えた奥羽山脈だったりする。次々と浮かんでは押し流されていくそれらの情景を噛み締める程、通り過ぎていった場所の遠さが身にしみて、なんだか笑い出したいような気持ちにもなってくる。かつて、という言葉を臆面も無く吐くことができるようになった。いつからなのかは解らない。
 田舎の農道を虚ろに進んだ。農道というと未舗装の細い道を思い浮かべる人は多いと思うけれども、田植え機を始めとする何もかもが自動化された現代では、かえって広い道が必要だったりもし、なんだか怖くなるくらい広くて綺麗な道が長々と続いていたりする。農作業は基本的に昼間にしか行われないから、深夜の農道には外灯も極端に少なくて、その気持ちに拍車をかける。右を見ても左を見ても広々とした田園地帯だ。そんな中を息を殺してバイクはかけていく。急に不安な気持ちになってライトをハイビームにした。先まで見通せるようになって安堵したのも束の間、道の先まで終わりが見えない平坦さを確認してしまい、なおさら胸が詰まった。しばし考えて、今度はライトを消してみることにする。道は広いし、整備されすぎていて気持ちが悪いほどだし、こんな時間には誰も通っていないだろうし、と次々に思い浮かぶ言い訳に苦笑しながら、手元のスイッチを操作した。
 不思議なことが起こった。視界がなくなるかと懸念したのは完全な杞憂で、一瞬の暗闇の後、急に辺りを見渡せるようになり驚く。見上げると空は曇りがちで星もなかった。明かりはどこから得ているのだろう。人間の採光能力も捨てた物じゃない。自分の呼吸音と、低く断続するエンジン音の他は何も聴こえなかった。虫も多く鳴いているはずだが、バイクに跨っている以上、そこは奇妙な静寂が支配していた。変化の無い道は暗闇の中で茫と青く浮かび上がっている。時折雨の匂いがする。再度、空を見上げるが、そこには曇天があるばかりだった。延々と同じところを走り続けているような気になってくる。頭の中はいつしか、空白に落ち込んだ。

 青い帰り道に僕は落し物をして来てしまったらしい。尋ね人はもう行ってしまった。都市での喧騒は遠ざかった。空白の頭は涼しい風を呼び込んで、変に気が清々しているのだ。今はそれでいい。それでいいと思えるから、きっと大丈夫なんだろう。
■2006/5/31 「花をあげたかった」
 百の枝に花萌え出でる。花には歌を、歌には祈りを。繰り返し繰り返し。いつか、君まで届くように。夏の陽射しの中に燃え尽きていった影と五月の陰陽の中で再会するとき、僕らはいつでも曖昧に微笑む。約束を信じられなかった虚しい自己の再確認だ。困惑顔で頭を振る僕らの上に、ほら、また夏が帰ってくる。
 世界に花が満ち溢れる。花に雫がまとわりつく。濡れてしまったのなら、苦笑い一つ交わしていつかの夢を思い出してみようか。空を見上げては祈っていた。君にいつか届きますようにと。鏡を見ることはもう止めてしまった。霞んだ写真に色づくセピア。薄れた日溜りよ、遠ざかる日々よ、僕らはまだ間に合うだろうか。
 消え失せそうな足跡を辿るたび、どうしようもない感情が僕らを壊す。
 百の枝に幾千の花。花には万の歌を。歌には永遠へと向かう祈りを、叫びを。この足はもうひたすらに前へ前へと急ぐけど、いつかの君に届くように、懐かしい声に向かって祈る。僕は君に花をあげたかった。ただ、それだけだった。握り締めて、また祈る。

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