200606
■2006/6/5 「終わる世界」
 幼い頃から夢想するのはいつも世界の終わりのことばかりだった。どうしてなのか解らない。幼年時に聞かされた物語なんかに、すっかり影響されてしまっていたからなのかもしれない。もしくは始まったという実感が持てないままいつの間にか「ここに在る」自分という存在そのものに、どこか不信感が募るのを禁じえなかったからかもしれない。
 妄想の中の世界の終わりはいつも静寂で満ちていて、およそ人工物という物が一つも存在せず、少しだけ冷たい風がそっと吹いていた。果ての無い草原の上で独りポカンと座り続ける自分にはあまり感慨が無くて、そういうものだ、という、訳の解らない達観だけが胸に響いていた。少年期から思春期にかけて、多感な文学少年が持つありがちな厭世観だったのかもしれない、と、今ではぼんやり思っている。
 昨夜、夢でまさにその情景に出会った。草原と荒野を足して割ったような場所で僕は、もう大人の四肢を持つ僕は茫然とへたり込んでいた。頭の中に「ああ、終わったんだな」という無色の実感と、倦怠感、そして拭い去れない自嘲が渦巻いていた。
 やがて朝の光の中に目覚め、心はおかしなくらいに乱れた。現実感がまるで無く、僕は目の前にかざした手の平を幾度も開いては閉じてみたりした。不安な気持ちは薄らぐ事無く、取り乱した僕は立ち上がり窓を開け放ち、今日の始まりと向き合った。世界は平然とした顔でそこにあった。安堵した後で自分の馬鹿馬鹿しさに気づき、声をあげて笑った。
 始まりは、自分がいつ始まったのかはまだ解らない。実感が無い。それに、当たり前な朝の空気の中でいくら想像してみても、終わりの景色はまだまだ見えてこない。ここは途中なんだということだけが解る。終わる時、僕はあの夢想の中のように独り空白の中に座り込んでいるのだろうか。いや、きっとそんな風に綺麗には終われないだろう。終わりを美化すべきじゃない。いつかの日に僕の目の前で命を散らした誰かのように、苦しみもがいて転げ回って、まさに断末魔の絶叫と共に終わるんだろう。避けられないのならしょうがない。後は覚悟だ。それだけは忘れないようにしよう。

 でも、もしもあの終わりが、目前に現実となって現れるようなことがあるのなら。僕はどうすべきだろう。解らない。今は膝を抱えて、どうにも止まらない身体の震えを無理やり押さえ込もう。
■2006/6/8 「エゴ」
 毎日言葉を書き殴っているし、実は口数も少ない方じゃない。ちょっと昔かじっていた哲学なんかのせいか、理屈好きだと思われる事も多い。でも本当は口より手が早いほうだったりもする。あんまりグダグダ言うのは好みじゃない。そこには美しさが無いから。灰色が好まれる現代だからか、どうにも反発心が働いて、必要以上に白黒つけてやりたくもなる。結論が出せないなら黙ってろ。大切な大切な過程とやらの中でいつまでも阿波踊りしてりゃあいいさ。俺はもっと先が見たいんだ。
 年齢のせいにはしたくないけれども、どうも最近気弱になってきている自分を感じる時があって、嫌気がさす。何に遠慮しているのか解らない。繊細さと弱さはイコールじゃないはずだ。繊細な強さというものを俺は知ってる。その素晴らしさも可能性も、知ってる。身が無い批判に怯えて縮こまりそうな昨今だ。どうしたことだろう。身の無い、というのは、苦言だけをダラダラ並べて新しい道を指し示すことの無いつまらない戯言のことを言う。責難は成事に非ず。解りやすい格言だろう。つまり、畏れながら御伺いを奉る必要は無いってこと。
 どうにも最近手詰まりで、停滞感が酷い。理由を探ってみたら簡単なことだった。エゴがなかったんだ。貫き通す覚悟が。理由が解らないモヤモヤ感に苛まれて一日中イライラしていたところ、ふと、懐かしい感覚が戻ってきた。言葉で諭すことがすっかり上手くなっていた自分だったけれども、たった数年前までは問答無用で殴り倒してたこと。矮小だった。何よりも自分自身が。赤裸々になって、もう一度初めから言葉を紡ぎ直そうか。もう少しマシなことを書けるだろう。
 かつて、本当の憤怒がどういうことだか教えてくれた人がいた。剥き出しの怒りは言葉に言い表せられないほど怖くて、同時に感動もしていた。長いこと振り上げた拳の行き所がわからなかったけど、とりあえず振り下ろしてしまうことにしよう。止まっていた足はちょっと萎えかけているけれども、叱咤して、走れ。もっと先が見たいんだ。
 ちょっとだけ、悲しい事が多すぎた。随分沢山の人を見送った。忘れることはしないでおこう。ついでに理論武装もやめておこう。稚拙なままを恥じる前に、どこにでもいる誰かに進んで成ろうとしていた自分を恥じよう。怖れていたことを認めよう。何を怖れていたのかを実は知らなかった自分も認めよう。全て認めた上で、もう一度殴り倒そう。後について回ることを全部受け止める覚悟ができたら、さあ振り下ろせ。
■2006/6/15 「なんともはや」
 今日はいつもとは趣向が違いますので予めご容赦を。
 ここしばらく更新が止まってしまっていて申し訳ありません。ちょっとゴタゴタしていたのですが、本決まりになったのでご報告です。ある物の製作に長期間拘束されることになりました。期限は2007年の3月末日まで。進捗具合によっては夏まで延びるかもしれません。また、今年は教育実習と卒論研究が重なってもいますので、これから日を追うごとに忙しくなってしまうと思います。
 『病弱な花々』は僕にとっても大切な場所ですので閉鎖はしませんが、今後は極端に更新ペースが遅くなってしまいそうです。毎日覗いてくださっている方も分不相応に沢山いらっしゃいますので、大変申し訳なく思います。今後は毎日ではなく、はてなアンテナ等で時々チェック頂ければ幸いです。
 頂いたメールの返信につきましては基本的に即日対応させて頂いていますが、スケジュールの過密化が進むにつれてままならない状態に陥るかと思われます。お急ぎの場合はタイトルにそう明記下さると幸いです。また、稀にお仕事のご依頼メールを受けるのですが、そういった状況ですので申し訳ありませんが今後しばらくは全てお断りさせて頂きます。加えてBBSにつきましては日に一度は必ず目を通すようにしますが、最近、現在の病弱な花々におけるBBS設置の意義について疑問に思っていた所でしたので、もしかしたらコンテンツから削除するかもしれません。90日間書き込み無しで自動削除される仕様らしいので、その状態になったらコンテンツから外す、という方向で現在は考えています。

 今後もなんとか月に2回は更新したいと思っています。
 よろしくお願い致します。
■2006/6/22 「埋没」
 久方ぶりに長いスパンの物語を書いている。本当に久々だ。書き始めの数日間は、身体が長期間の体勢に入っていなかったらしく大いに戸惑ったが、ここ何日かで没入できるようになってきた。この調子で進めよう。これから長期間に渡って物凄く悲しい話を書くのだ。覚悟をしなければ。悪意を剥き出しにすることを怖れずに、振り絞らなくては。
 物語に埋没し始めると、いつも一つだけ弊害がある。現実感が希薄になることだ。境目が解らなくなると言った方が近いだろうか。当たり前の日常が変質する。視界が変わる。筆舌に尽くしがたい色に染まる。今日もそれで一つ失敗してしまった。上手く切り替えるためには何が必要なのだろう。実は最近、自分のことをおこがましくも職人的な物書きだと自負していた。どうやら違うらしい。
 悲しい物語を書く。幸福へ至る道を越えた、さらなる終着駅までの道程を書きたい。偽り無く。個人的な主観や想いや道徳や倫理や価値観や夢や希望や奇蹟や努力や愛情が、然るべき理由で崩壊するまでを書きたい。どうしてなのか。そんな物語が誰にとって必要なのか。それはあくまでも自分自身にとってだろう。根拠の無い綺麗事には飽き飽きしてしまった。実体の無い強さや美しさには嫌悪感が募る。日々言葉で織り上げられていく自己満足臭の強い愛情はもう胸を打たない。一時の情熱なんてものに興味も無い。優しく語り継がれる数多の御伽噺の中で、その行間で、音も無く殺されていく無数の断末魔を抉り出したい。絶望の中ではたしてまだ美しい物は力を持つのか、はたしてその姿は現れるのか。それを見たい。
 ああそうだ。僕は本当に綺麗な物が知りたいんだ。永遠なんて夢物語を信じたいんだ。それだけだ。黙って待っていたって、そこら中に散らばる綺麗な物はみんなどこか濁った偽者だから、そしてそんな物ほど嫌らしいしたり顔で擦り寄ってくるから、僕は、自分から動いてみることにする。
 もっと埋没して。何も無くなるくらいに。現実を侵すくらいに。
■2006/6/30 「青空。梅雨はもうじき明ける。」
 花を買った。なんていう名前なのかは忘れてしまったけど。小さな安っぽいビニールの鉢に入ったそれには100円の値札が寂しく揺れていた。小銭入れの中身を確認するまでも無く、一つ下さい、と僕の口は動いていた。105円だった。消費税か。なんだか馬鹿馬鹿しい気分になって少し笑った。
 花を飾った。今からの季節に窓辺に置かれてはこの小さな花に酷だろうと、日がぎりぎり入る場所にそっと飾った。一緒に買ってきた小ぶりなプラスチック製の鉢に新しく土を入れ、その中にそっと植え替えた。水はどの程度あげればいいのだろう。解らなかったから、土が少し湿るくらいにあげておいた。夕方にもう一度見てみると、店に並んでいた時よりも微かに元気そうに見えた。
 花を見ていた。疲れた時にふと視界に入れるのが癖になった。小さな花はいつでもぼんやりとそこに揺れてた。我知らず微笑んでいる自分を知った。そんな自分が新鮮でちょっと可笑しかった。随分救われていたように思う。
 花の名前を結局知ることは無かった。一月近く咲いていたそれは、ある日突然、朝の光の中で萎れていた。水をやったり、肥料を足してみたりしたけど駄目だった。花を買った時に一緒についてきた育て方の小さなカードがあったことを思い出して、慌てて探し出した。もともと一月だけの命だったことを知った。僕は二、三度頭を振って、小ぶりな鉢の中でうな垂れている花を見やった。
 花を埋葬した。いや、この言い方は少しおかしい。鉢植えの花を庭に植えなおしてやった。そんなことをしてもどうなる物でもないことは解りきっていたけど、最後は青空の下で揺れていて欲しかった。随分傲慢な、人間臭い考え方だな、と僕は一人で苦笑した。掘り返した土の匂いがなんだか懐かしくて、涙腺が緩んだ。懐かしさのせいだ、きっとそうに違いない、と、僕は誰ともなく言い訳をしていた。
 花を忘れていた。あの夏の日から二年が過ぎた。今年も夏がやってくる。僕は気付いた。庭先の花。懐かしい赤。言葉にならなかった。どうしたらいいのか解らなかった。だからそっと空を見上げた。
 空は今日も蒼い。梅雨明け宣言はまだ出ていないようだ。

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