200610
■2006/10/6 「消えていった人へ」
 「世界は、俺が生きようとすれば俺を殺しに来る。俺が死のうとすれば、生かそうとする。あいつらわけわかんねーよ。死ねよ。」と嘯いた君は、いつの間にか自分の首を絞めていた。出会いはLIVE。仙台の薄汚くて狭い地下で、倦怠感しかない打ち上げをそっと抜け出し、控え室で独りやるせない気持ちのままギターを弾いていた僕に、くわえ煙草の君は少しだけ恥ずかしそうな素振りで話し掛けてきた。「ギターを教えてください」と。以降、彼は僕の出るLIVEに毎回熱心に足を運んでくれては、言葉は少なかったけれども、DEEPな音楽の話をした。
 一緒に酒を飲んだのは多分五回くらい。一緒にギターを弾いたのも多分同じくらい。彼はアドリブの取り方を熱心に知りたがった。僕は音楽理論の基礎と、それに伴う実践的なアプローチについて少しばかり説明したと思う。
 ああ、あああ! くそったれ。なんで、どうして。もう飽きるほど繰り返されたその問い。また僕の前から人がいなくなった。君は生きる自信があると、そう言っていたじゃないか。「生きてるということは、俺のことだ。そういう表現がしたい。」と。僕はまだ君にギターを教えきれていない。まだ君と飲んでない酒がある。まだ君の本名すら知らないんだ。

 今夜、共通の友人が僕を訪ねて来ることになっている。酒を浴びるほど飲んで、笑って、泣かないでいよう。僕にできる事はなんだろう。傍らに物言わぬギターがそっと立ち尽くしている。ネックを握って、一つ呼吸を数えた後、思い切り掻き鳴らす。僕はまだ、生きている。消えていった人へ僕の音は届くだろうか。雨音が耳を聾する夜に掻き消えていくこの叫びは。
■2006/10/9 「夢の底、中秋の淵。」
 冴え冴えとした水底で息を潜めるような静寂だ。暗い淵から見上げる水面に揺れるは病める月。掻き消えていく諦観と、今もなお耳目を聾する泣き言と。手を伸ばしてそれに触れようとした。指先が触れる間もなく消え失せていく。膝を抱え、無様に丸くなったまま眠りに落ちる事にした。次に目覚めるまでに僕は何を忘れられるだろうか。何を覚えていられるのだろうか。
 秋のさなかに没入したまま、僕は俯き道を歩いている。風が強い河川敷。時折視界を遮る幾百もの落葉に、ひたすら歯を食いしばって耐える。風は冷たく、行き先は不明で、目は泳いでばかり。過ぎって行く幾つかの思考を繋ぎとめる手段もなく、それでも反芻は止められず、もう忘れてしまいたいとさえ願う。生きる事とはなんなんだろうか。僕には未だ見当がつかないのだ。道の端々に無防備な顔をして転がる中秋は音もなく枯れ果てて行こうとしている最中なのに。僕が本当に欲しい物はなんだろう。僕が本当に嬉しかった事とはなんだろう。暗鬱な時間を壊す馬鹿騒ぎも、パレードみたいな賑やかな行進も、今のこの場所からは欠片すら見えやしないのだ。
 伝えたい事があると、『君』は僕に言った。いつかの秋の終わり、冬の始まりの朝に。僕はかじかむ手に息を吐きかけた後で、おずおずと君の手を握った。寒気は張り詰めていて、現れ始めた太陽はうめくような光を投げかけ始めていて。「ありがとう」と君が呟いた声を、僕は聞こえない振りをしながら空を見上げた。そして僕は知ったのだ、さようならという意味の感謝の言葉を。
 冷たい風が吹き始めた中秋の底、僕は河に面した道に座り込み、いつしか眠りに落ちる。冴え冴えとした水底で息を潜めるような静寂だ。風の他は杉ばかり。膝を抱えて眠りに落ちる。次に目覚める時は、決定的な何かを終わらせていたい。眼前でちらつく過去の幻を苦笑一つで封じ込めたら、夢の中で僕は君と再会したいと願う。心から願う。
■2006/10/10 「右むけ、右!」
 小学生の頃、『右むけ右』がどうしても嫌だった。恫喝みたいな先生の大声で、みんな一斉に同じ姿勢をとって、同じ方向を向かなくちゃいけないのが辛かった。全身で反抗したかったけれども、僕の身体は小さかったし、僕はまだ子供で、「立派な大人の人達」は誰もまともに話を聞いてくれなかったから、いつも俯きながら、結局は右を向いていた。
 小学校三年生の時の担任の先生は、定年間近のお婆ちゃん先生でとても優しく、僕が唯一好きな「先生」だった。でも、運動会が近付いたある日、その先生も「右むけ右」と皆に言った。クラスの友達は皆綺麗に右を向いたけれども、やっぱり僕は俯いたままボンヤリしていた。優しい先生はそんな僕に気付いてくれて、声をかけてくれた。どうしても嫌なんだ、なんだか間違っている気がするんだ、という意味のことを、小学生なりに一生懸命説明したと思う。先生は、初めて「子供」の僕の話をちゃんと最後まで聞いてくれる人だった。嬉しくて、話しながら泣きべそをかいてしまったのを覚えている。優しい先生は「うんうん」と言いながら、僕の肩を抱いてくれていた。話が通じた、と、僕はこれもまた初めての感動に身が震えるほど嬉しくて、先生の優しい笑顔を見つめた。「うんうん」と先生は言った。「うんうん。でもね、みんなやってるからね、後藤君がちゃんと右むけ右をしてくれないと、運動会の練習ができないんだよ。ね? 後藤君はちゃんとできる子だって先生わかってるよ」。ああ先生! 優しい優しい先生! 冷水を頭からかけられたような気持ちというのを知ったのは、きっとあの時だったんじゃないかと思う。僕はその日、生まれて初めて「オトナノヒト」を本気で殴りつけた。僕はその日、決定的に世界について懐疑的になった。優しい優しい先生。唯一好きだった「先生」。僕が生まれて始めて書いた『詩』紛いの物を本当に驚いた顔で褒めてくれた先生。生まれて初めて「後藤君は凄い」と認めてくれた先生。大好きな先生。僕は、あなたの事をも未だに恨んでいる。
 学校の中、教室の中、制服の中。そんな狭苦しい世界はもう過去の物だけれども、僕の中ではまだ消えてくれない。忘れようと努めるほどに、ますます陰影を濃くしていく。夢の中にまで現れるほどに。ままならない感情を持て余したまま、教室の窓から空ばかり見ていた僕はいつも孤独で、なんだか逃げる事ばかり考えては、情けなさに泣いてばかりいた。
 うん、そうだ。僕は『右むけ右』をするような人間にはなりたくないんだよ。『右むけ右』をさせるような人間になんて尚更だよ。僕が学校で学んだ事はなんだろう。多分、「答えなんてないことのほうが多い」って事。普通とは真逆なんだろうなって事。誰も認めてくれなかったから自分で自分に答えを用意するしかなかった。自分の疑問に自分の答えを見つけていく事でしか生き残れなかった。クラスメートが自分の机を傷付ける為に使っていたカッターナイフで、翌年に後輩達も使うだろう備品を傷付けるという罪悪感に勝てなかった僕は、自分の胸しか傷付けられなかったけれども、今ではもうその傷痕もすっかり消えてしまったよ。でも、そこに刻もうとした事だけは今でもちゃんと覚えている。割り切る事も、諦める事もまだ出来そうにないし、「大人」になんてなりたくないけれども、それらの事が別にどうでもいいことだっていうことももう知ってる。
 資本主義で大成功した人が老後に南の島へ移住して、歌を歌いギターを弾き魚を釣り昼寝をして一日中のんびり過ごしてる。そういう誰もが羨む『成功』の光景がある。でも、僕は知ってるんだぞ。資本主義も何も知らない南の島生まれの人が、生まれてから死ぬまで歌を歌いギターを弾き魚を釣り昼寝をしてのんびり過ごしているっていう現実があるのを、知ってるんだぞ。そしてそんな現実を『大人』の人達が気付きもしていないって事を、小学生の時から知っていたんだぞ。知っていたんだから! 「君以外の皆はもうやってるよ。どうしてしないの?」と言われて泣きそうになっても、僕は、右むけ右はしないんだ。
■2006/10/17 「こんなラブソング」
 一つだけ言えるのは、紋切り型のラブソングなんていらないってこと。そんなものは男に買われていく男娼の背中や、部屋の隅で膝を抱えて怒りに震えている少年には届きゃしないんだってこと。花束を君に。さあ華麗に振り回して踊ろう。勢いだけの反体制も必要ないよ。本当に難しいのは壊す事じゃない。作り上げる事だ。だからこそ、マッチョイズムからは程遠い君の薄っぺらな胸を叩いて歌うよ。何に向かって言葉を撒き散らすのかを忘れたまま笑うなんて事が間違っても無いように、笑うよ。
 何が悪くなったのか、どうして悪くなってしまったのか僕に尋ねておくれ。とても答えることなんて出来ないけど、一緒に考えよう。煙草の火を体中に押し付けられて死んでいく幼い子供の事を、教室なんていう息苦しい監獄の中でひっそりと殺されていく優しい子の魂を、磨り減らされていく善良なサラリーマンの良心を。どこにも行けない僕らの言葉で考えよう。「団塊」でも「しらけ世代」でも「ロスト・チルドレン」でも無い、名前すら付けてもらえなかった世代である僕らなりの不器用なステップで踊ろう。どこを見回しても理屈、理屈。堅苦しいね。そしてそれらに価値を、意味を見出せないね。押し付けられた定型句みたいなラブソング。そんなに悪くも無いからなんとなく納得してしまうけれども、やっぱり僕らは思う。視界の端に映るどうにもならない歪み、軋み、閉塞感。何度も壊そうとしたけれども、傷ついていくのは自分ばかりだった。もうやめよう。さあ、花束を君に。振り回して遊ぼう。負け犬の遠吠えだって笑われても、それがどうした。ニッと笑ってさよならしてやれ。そして花を一輪プレゼント。ほら、なんだか気が利いてるだろう?
 僕らの細腕は、振り回すとそりゃあ格好いいんだ。弱々しい声だって、本質を語る事はできる。僕たちが憎むのは、いや、悲しく哀れむのは、強がりを繰り返す自称勝ち組の群れた動物達。マネージャンキー。モラルジャンキー。個性ジャンキー。たまに大群で襲い掛かってくるからさ、その時は慌てて逃げよう。花束を忘れずに持ってね。病でへたり込んだ娼婦の肩を叩いて、自殺しようと考えている優しい人を抱きしめて、傷付けられていく小さな命を抱き上げて、歌おう。不器用なステップと、剥き出しの言葉で歌おう。全ての人へ。こんな小さな場所で震えながら。

 どうかな? こんなラブソング。でっかいでっかいラブ・ソング。
■2006/10/20 「物語的」
 物語のような人生を送りたいと思っている訳じゃない。劇的である必要もない。静かな生活であればいいと思っている。物語は、傍らに幾らでも転がる小さな本の中に沢山詰まっているから、僕はそこに浸るだけで満足だ。のんびりと過ごしている。淡々と進む毎日をじっと見つめて、できるだけ漏らしが無いように見つめ続けて、同時に考え続けている。膨大な事を。僕はそれでいいと思っている。「我唯足る事を知る」事の実践こそが、きっと理想なんだろう。
 満たされている。喜びも悲しみも怒りも人並みに知っている。人生が自分にとってどんな物かは未だ分からないけれども、それはきっと終わる瞬間まで見当もつかない物なんだろうから、今は苦笑していることにしている。時折、人の口から語られる人生について、驚愕に目を見開いたり、一緒に笑ったり、時には涙ぐんでいる。物語はこんな所にもあった。酒の肴で終わらせるには切実過ぎるものもあって、僕はそういう物語に出会うたび、自分の中に定着するのを待った後に、自分なりの物語として書いてみたりもする。そしてそっと仕舞っておく。
 十四歳の時、僕は既にこの世界における大体の事について自分なりに解答が出てしまっていて、そしてそれは酷く退屈な事でもあった。十四歳以降の人生は、一度答えが出た事についての再検証のみに費やされてきたように思う。十四歳の僕が出した答えはほとんど全ての事柄において真実を捉えていた。検証はいつの間にかただの再確認に変わっていった。退屈な日々の中で、僕が酷く冷めた眼差しのまま見ていたのは、僕の年齢や肩書きを見て端からまともに取り合わない輩で、僕はもう軽蔑する気も、その気力も無く、ぼんやりと時間が過ぎるのを待っていた。いつだって僕に足りないのは肩書きであり、実績であった。つまりある程度の時間が経過しなければ得られようも無い物だった。待っていた。でも同時に、それらに意味が無い事も知っていたから、やっぱりどうでも良かったんだろうと思う。
 僕は年若い人の話をよく聞く。自分がそうであったからだろう、例え、人生を十数年しか生きていなくても真実を知るものがいる事を、経験からすでに熟知しているからだ。僕は期待している。目の前に座る人間の口が今にも開かれて、僕の知らない物語が溢れ出すのを。期待して、じっと呼吸を潜めている。語られていく未知の物語を、ほんの少しも漏らさないように。
 物語のような人生を送りたいと思っている訳じゃない。それは、物語が常に自分の身近にあって、語られ始めるのを待っているという事を知っているからだ。自身が物語である必要は無い。僕を楽しませる物は無数に存在していて、注意深く探れば、この手に溢れるほどの喜びを容易に掴む事ができる。静かな生活の中で、ちょっとした浮き沈みを繰り返し、大騒ぎする人をぼんやりと見やり、常に考え続けている。劇的ではない。静的であるけれども、動的じゃないわけでもない。言葉少なく、声高に語られる事も無い。これが僕の物語的。テーマはいつまでも見えずにいる。

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