200612
■2006/12/9 「空白。或いは慟哭」
 未来に思いを馳せなければならない時こそ、執拗に昔ばかりが思い出される。きっぱりと冬の顔をしている空に呆れながら、これほど透き通った気配の中でなら、いっそ頭を撃ち抜くのもさぞや爽快だろうと思う。

 青臭い歌を否定して、はまり込んだのは灰色。

 もう一息で、あと一息で、僕は何かに届く。もう少しで、あと少しで、僕はまた苦痛を失う。鈍くなっていく苦々しさが伝えるのは、いつでも油塗れの倦怠感だ。誰からも何も受け取れなかった。今はそれが悲しい。差し出される手はあまりに遠かった。今はそれが悔しい。おかしい。笑うしかない。昔ばかりを考えているのは、何らかの必然なんだろうか。

 自分の夢に押し潰されて、窒息していく気分はどうだい?

 百の後悔は千の強がりで消してしまった。上から繰り返し黒で塗り潰した。飛散した黒が目に入って何も見えない。夜よ、僕を壊せ。光が見えさえしなければ、僕は未来を生きる気力も期待も失望も持たなくてすむ。
 繰り返し、ぶり返し、春遠し。間もなく雪も降るだろう。僕はそこで呆けるだろう。昔々の昔話は冬の下で凍りつけ。願う事を諦めた朝の空は灰色だ。胸にわだかまる気持ちを届けることもかなわない。花が咲く頃に君に逢いに行こう。大きな地図に指を滑らせて、それだけを願おう。祈る事を諦めた灰色に濁る朝に、小さな窓から眩しい場所が見えるけど、不意に聞こえてきた誰かの笑い声に、今はただ、唇を噛み締めて耐える。
■2006/12/10 「それでも、空を見ている」
 馬鹿げた祭りはもう終わったのかな。明日に何が起こるか全然見当がつかなくて、でもどこかで何も起こらないのも分かっていた気だるい日々は、もう戻っては来ないのかな。古い友人と交わす再会の約束に胸を高鳴らせる事もなく、ゆっくりと携帯の通話終了ボタンを押す。祭りは一晩だけだから楽しいんだ、なんて、どこかで聞いたフレーズをふと思い出して、思い出してしまった自分に嫌悪感を覚えて。滅茶苦茶に顔を洗った後で、ふと洗面台の鏡に映る自分の顔にぞっとする。自分もいつの間にかどこか遠い所に来てしまったのだろうか。そして唐突に夢という単語をしばらく聞いていない事に気付いた。

 それでも、空を見ている。あの頃と同じように。変わったのは、肩を並べてくれていた人々が皆いなくなってしまった事だけだ。一緒に空を眺める事が無くなってしまった事だけだ。空の色が時折酷く色褪せて見えることだけだ。それだけ。それだけの嘆き。それだけの悔恨。僕らが何かを間違っていたのかな。幾ら考えても分からないから、薄ら笑いで空を見ている。自棄っぱちな歌も歌ってみる。どれほど離れても、どれほど時間が経っても、そこに空があって、きっとそれはいつまでも変わらないんだろうという事は、なんだか叫び出したくなるほど嬉しい事だね。真っ白になった頭に、空の青さが射してくる。目に見える物事の変化を、青い眼差しは許す事ができる。

 馬鹿げた祭りはもうお終い。そんな事、もう随分前から分かってたよ。白々しい酒の席で、懐かしい顔ぶれを眺め渡した時に不意に襲ってきた嘔吐感。嫌悪感は常にそんな自分にこそ向かう。何が変わったのか。ああ、分かってるよ。変わったのはなんていうことも無い、この些末な僕自身だ。本当にそれは些末な事だ。爪先から頭の先まで埋もれるほどの言い訳を用意して、結局一歩を踏み出せなかった男の顛末記。いいや、物語は始まってもいなかったんだ。馬鹿げた祭りの余韻の中でそれは美しく凍りついたままさ。

 それでも、空を見ている。時折、手を伸ばす。冬の空気になっていく光は冷徹な率直さで、辺りを、僕達を照らす。映し出されるのは古く甘い日々に見た未来の姿からは程遠いかもしれないけれども、この空の下でなら、少しは柔らかい気持ちで笑えるから。僕は、またどこかの誰かが気紛れに僕と肩を並べて、言葉を失いながら遠すぎる空を見つめてくれる瞬間を待っている。そして、空の色を映した青い眼差しが僕を捉えて優しく歪む瞬間を、心待ちにしている。
■2006/12/15 「コンサート」
 来月、友人の誘いを受けて障害者施設でコンサートを開く事になった。何人かの知り合いを誘ってみると、みんな乗り気でとても嬉しかった。自分の音楽を人に楽しんでもらえるなんて、考えただけで心が躍る。音楽をやって来て良かった。音楽を信じてきて良かった。音楽で誰かを喜ばせられる事が嬉しい。なんだか手当たり次第にキスして周りたいような気分だ。でも流石にそういうわけにもいかないから、十年という時間を一緒に乗り越えてきた、最も愛する自分のギターにそっとキスをした。
 ギターに依存して、いつの間にかいい年齢になり、いつの間にか袋小路にいた。どこにも出口が見つからないし、どんどん自分の中に篭って行くような閉塞感で息が詰まった。何故音楽をやるのか、という問いはもう全く意味がないし(なぜならそれは僕にとって呼吸をするのと同じだからだ)、そんなことを考える事もなくなってしまったけれども、こうやって大きな意味を人から提示してもらえると、純粋に嬉しくなるのだ。
 優しく楽しい音楽をやろう。大きなうねりを作り出そう。何よりも自らが楽しんで、その気持ちを共有してもらおう。僕のギターは誰かに届くだろうか。一音一音にこめた祈りを、誰かが受け止めてくれるだろうか。日溜りの中で、人々が笑いあう。その中心に音楽がある。僕が夢見てきたそんな情景の一端でもそこに見出せたらいいな。ああ、本当にそうなれば良いな。
 さて、何の曲をやろうか……。

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 追記。
 web上で知らない誰かが「死ぬ」と言っていて。「この世界に存在することに疲れた」と言っていて。一瞬コメントなりメールなりしようと思ったけどやめておいた。俺に言えることは何もないし、また仮に言った所で、俺の言葉に赤の他人へ強力に作用するような何らかの力があるとは思えないからだ。病弱な花々をアンテナに登録してくれていた見知らぬ人だ。俺は、彼(だと思う)と一度酒を飲んでみたかったな、とぼんやり思いながら煙草を吹かす。酒を飲みながら、世界の事について一晩中ゲラゲラ笑いながら話してみたかったなと思いながら、煙を吐き出す。
 そう言えば、ここ半年ばかり口を開けば「逃げたい逃げたい」と言っている誰かさんもいたな。お前らみんなまとめて一度俺のLIVEを見に来いよ。そのつまらねえ頭の中グシャグシャにしてやるよ。ありったけの優しい音楽で。
■2006/12/17 「コンサート 続き」
 皆で何か一つの物を作り上げるっていうのは本当に嬉しい事だ。昨夜は遅くまで友人達が集まってコンサートの準備について話し合っていた。機材はどうするのか、曲は何をどうアレンジするのか、そもそも会場の規模はどれほどなのか、想定される客層は? どの程度までなら音量を出せるのか。話題は尽きなかった。
 結果、複数人が曲ごとに入り乱れて演奏する、というスタイルになった。これがどういう結果をもたらすのか正直見当もつかない。見てくれた人が楽しんでくれる物になったら良いなと思っている。何よりもそれが最優先だ。
 年末年始を挟んで、どうやら来月の20日付近が本番になるらしい。もう日もない。やれることをやれる時に片付けていかなくてはならない。頭が痛むけれども、純粋にそれが楽しくて嬉しい。音楽を、音楽で。音楽なんだ。自分が本当に好きなことを胸を張ってやれるんだ。顔をあげて、大声で誇らしげに語ろう。歌おう。笑おう。
 しかし、どの程度までなら激しい曲も許されるんだろう。先方は「ズガーンとやってくれ」と言っていたけど、障害者施設でのコンサートだしなあ。我彼の「ズガーン!」が大きく隔たらない事を祈りながら、アレンジに取り掛かっている。楽器はアコースティックギターとエレキギターが各一台、エレキベースが一台、シンセサイザーが一台、ドラムは打ち込み。後はマラカスでもカスタネットでもソプラノリコーダーでも各自が勝手に持って来い、といったような主旨だ。この構成ならなんだってやれるだろう。
 やはり問題は、いかにしてやり過ぎないかという事だと思うけど、これが一番難しい。適度にお祭り騒ぎで、適度に節度を守って。本来ロック兄ちゃんでしかない俺にはちょっと荷が重いかなあ。色々と資料を引っ繰り返したりしつつ、どんどん散乱して行く部屋の惨状を見てみないふりをしつつ、なんとかなる事を祈りながら作業を進めている。
■2006/12/25 「ジングルベルが鳴り止むまで」
 メリークリスマス。そんな言葉を正面きって言うのは少しだけ恥ずかしいけど、あえて張り切って言ってみる。幸せな事というのがなんなのか、そこにははっきりと含まれているような気がするから。色づいた街をポカンと見上げるのもそれなりにしておいて、このお祭りを楽しもう。揶揄も誹謗も悲しいふりも自分探しだって、こんな日にはひたすら野暮だ。シャンパンを開け、ケーキを切り分け、クラッカーの音にビックリしたら、もうそれだけで良い。例え、独りで過ごすのだって、それなりに風情があると思い込めば良い。ラジオを捻れば、テレビをつければ、そこには立派な聖夜が繰り広げられている。呆れてもいいんだ。笑えばいいんだ。そして気づけばいい。正月を過ごすのと実はそう大差がないってことを。
 もし今年、赤い服を着た優しいヒゲのおじいさんに会えなくても、そう悲しむ事はないさ。ここだけの話だけれども、会えないってことには深い意味がある。なんだと思う? 君がサンタになる番だって事さ。奪い合う事ばかりに明け暮れた一年の終わりに、一つ伊達と酔狂とやらで踊るのも一興だろう。ごめんな、つまらない答えに失望したか? でも、きっと楽しいぜ。
 ジングルベルが鳴り止むまでの乱痴気騒ぎ。楽しいってことは良いことだ。楽しめないってのは寂しいことだ。なんとかして楽しもうと、どん底で喘ぐ人には千の口づけを。人を楽しませる事で自分を楽しませようとする人には万の拍手を。独りどうしようもない気持ちで、こんな退屈な文章に最後までつきあってくれた人に僕から精一杯の愛を。ありがとう。メリークリスマス。君に心からこの言葉を贈ります。本気で贈ります。ジングルベルが鳴り止むまで、ジングルベルが鳴り止んでも、僕は忘れません。
■2006/12/28 「暖冬。濁る視界に」
 声高に世迷言を、思い込みを、欺瞞を。できる限りそういう情けないことは避けたいと思っている。でも、油断するまでもなく、いつの間にかこの小さな頭と心には、どうしようもない言葉が溢れている事もある。冬がきた。でも今年の冬は暖かくて、どうにも頭の芯までは冷やしてくれないみたいだ。
 色々な所からひきも切らずかかる飲み会の声には、できる限り参加するようにと心がけている年の瀬だ。師走の街は例年に漏れずせわしい。繁華街の真ん中でふと夜空を見上げて星を探してみるが、ネオンと雑踏に紛れアルコールに濁った自分の目には、小さな輝き一つ見つけることが出来ない。溜息なんてつきなくないから、苦笑いで交わす。そして同時に溢れてきた薄汚い言葉を、どうにかして心の外へと追いやろうと努力する。
 寒くなりきれない冬だ。また、一年が終わろうとしている。身の置き所のないような温さの内に過ぎようとしている。自分を立て直したいと願う時、半端な温度は妨げにしかならないことをもう知っているから、今こそ切実に望んでいるのだ。冬の残酷さを。そして再確認したいと願う。手足の感覚を無くすほどの寒気の中で知る、人の暖かさを。
 言葉を選んで、むしろ沈黙して。瞑目して、零になって。でも、自分ひとりの手には余ってしまうから。今年は除夜の鐘を聞きに行こうか。百と八つもの煩悩が自分にあるかどうかは分からない。それでも、消えて欲しい醜さは沢山持っている。誰かの助けに縋る事はそう情けないことでもないさ。例えば、飲み会の席で遠慮がちに愚痴る事くらいは許されるだろう。そして忘れてしまえればいい。まもなく年が明ける。ただそれだけの事でさえも、何らかの理由付けをしなくてはまともに動き出す事もできない自分にはありがたいから。吐き出した退屈な由無し事は欺瞞と一緒に奥に仕舞って、自分の位置を再確認する。
 忘年会を楽しむ人の流れの中、二次会へと向かう道の途中、ふと思いついて探した星は結局見つからなかったけれども。共に歩く知り合い達の顔は今年も皆笑顔で、こんな輝きも悪くないと思う。温さの中にもう少しだけ浸ったら、今度こそ凍りつきそうな西風の中で美しい言葉を綴ろう。濁った視界もきっとその頃には鮮明になっているだろう。そうであれ、と願う。

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