200701
■2007/1/4 「明けても暮れても」
 明けましておめでとうございます。当たり前のような、くすぐったいような挨拶を交わして年が明けた。ふと戸外に耳を澄ますと、どこかの家からかもざわめきが伝わってきた。正月のこんな瞬間がなんだか昔からとてつもなく好きな自分がいる。12月31日から1月1日へと変わる、ただそれだけの瞬間に生まれる昔からの約束。昔から当たり前のような顔をして続いてるこのお祭りに頬も緩む。きっとそれは、少々過ぎたお屠蘇のためばかりじゃない。
 三が日を過ぎて、なんとなく世の中も平静に帰る頃。僕はまたいつものようにギターを弾き、言葉を書き殴っている。正月に時間を見つけて、いつもよりも過大に本を読み漁っていたせいで、なんだか頭も冴えているように感じる。なかなかいい調子だ。鼻歌交じりにいつも通りの事を長々と繰り返す。
 明けても暮れても、やりたいことも実際にやっていることも変わらないんだ。飽きる事もなく深化して行くだけ。去年の今頃もきっとこんな風に過ごしていた。来年も変わらなければいいなと思う。願わくば、もっと深い所まで届いていて欲しいと思う。多少の心境の変化も、感じ方の変化も全部飲み込んで、それでもやっていけたらと思う。静かに、強く。
 年が改まった。新しい年が来た。今年は猪年なんだそうだ。猪突猛進。陳腐だけれども、そんな風にやっていけたらいいな。それに今年は個人的に大きな事が幾つかありそうだから、脇目も振らず一心不乱にやって行きたいな。明けても暮れても変わらずに、愚痴らず腐らず前向きにやって行きたいな。ああ、明けても暮れてもずっとずっと。幸せだな。なんて幸せなんだろうか。
■2007/1/7 「みんな、大人になっていく」
 明日は成人式。気の早い自治体では、もう今日の内に終わらせてしまっているようだ。俺の住むこの地域もそれにあたるらしい。朝から幾人かの華やかな姿を見かけて微笑んだ。形骸化した式典にはきっともう何の効力も無いけれども、また『大人』の仲間入りが増えたという事なんだろう。
 いつ、大人になるのか。いつの間にか大人になるのか。十代初盤からそんな事を真剣に悩んでいた自分からすれば、通過儀礼でしかない成人式であってもありがたかった。何かに諦めがつく、何かに区切りがつく、気持ちを切り替えられる。ともかくも、きっかけというのは本当に大切だったからだ。ダラダラと大人になりたくはなかった。そもそも、大人になんてなりたくはなかった。いずれ必ず通る道だという事は苦々しい気持ちで了解していたけれども、どこかで納得がいかなかった。そんなざらつきを、不思議な集会は萎えさせてくれた。
 最早年中行事になりつつあると言える成人式にまつわる数々の事件の報道はあえて見ないでおこう。そんな些末な事はどうでもいい。俺が興味深く眺めるのは、その報道を呆れた顔で眺める『大人の先輩』達の反応だ。薄ら笑いを浮かべる過去の子供達だ。みんな大人になっていく。そ知らぬ顔で、いつの間にか。ある瞬間に大人になった人間ももしかしたらいるのかもしれないが、俺の知る殆どの人は、ぼんやりと大人になっていった。
 諦めでもなく、詠嘆でもない。無理やり言語化すればそれは寂寥なんだろう。遠い夜のしじまの中で思い出す過去はもう掠れて、はっきりとなんて見えやしないんだ。見知らぬ少女に傘をあげたかった自分も、閉塞感の中で気が狂っていった自分ももうここにはいない。みんな、大人になっていく。みんなの中に自分がいると気づいた時、俺もまた薄ら笑いを浮かべる。酷い話だな。この感情は嫉妬なのだろうか。退屈な皮肉なんて犬にでも食わせてしまえ。

 賑やかな新成人達を眺めながら、こっそり「おめでとう」と呟く風の強い日。
■2007/1/15 「音楽を誰かに」
 先日お話した、障害者施設でのコンサートが迫っている。年が明けてからというもの、一日のほとんどを準備のために費やしているように思う。既に現地でリハーサルも終えた。今回使用する予定でいるギターはどうも機嫌が良いらしい。美しい音で歌っていた。心の友から譲り受けた大切なギターだ。残念ながらその友人は今回のコンサートに来られないが、どうやらスタッフがコンサートの模様を録画してくれるらしいので、後で送りつけてみようかと思っている。
 熱心に、ひたすらに、なによりも音楽を。言葉は時に過剰になり、独り善がりになり、袋小路に突っ込む。だから、曖昧だけれども切実な衝動を俺は音で表現する。アンプを通したギターは随分上手く歌えるんだ。時にラウドに、時に打ち震えながら。俺は心を全部預けて一緒に怒鳴り散らし、囁けば良い。そしてそれを目の前にいる誰かに届けるんだ。こんなに嬉しい事があるだろうか。
 何でもない真冬の週末。一月下旬のある日。そんな日に、障害者の方々のために小さなコンサートを開いたんだという事を、十年先も微笑みながら誇らしげに語れるといいな、と思っている。
■2007/1/21 「笑顔」
 施設でのコンサートが昨日終わった。自分が昔から相棒とやっているプロジェクト名義で一つ、そしてそこに三人の友人を招いて結成された即席のグループで一つの、二つの出演枠で演奏した。結果から言えば成功、と言っても良いんじゃないかと思う。お客さんは熱心に拍手してくれたし、嬉しい事にアンコールもしてもらえた。言葉にならないほど嬉しくて、俺は思わずギターを強く握り締めて一瞬俯いてしまうほどだった。
 なんのために音楽をやり続けてきたのか分からない、と先日ここで書いたように思う。その考えは未だもって分からないままだ。今更目を血走らせて理由を探すつもりもない。でも「誰のために」、なら、やっと実感できたように思う。俺は目前の人のために音楽をやりたいのだ。目前の人を微笑ませる為にこそ音を重ねて行きたい。やがて『目前』は拡大して行くかもしれない。音はどこまでも響き渡っていくから、いずれ俺の知らない場所へと細い旋律が届くかもしれない。いずれにせよ目前の誰かを笑顔にさせられる音楽でなら、そんな遠い場所にいる見知らぬ人へもきっと届くのだと信じたいのだ。
 自分の為に。それは一見すると強い言葉だ。しかし同時にそれは頑迷で虚しい矮小な思考停止だ。誰かを微笑ませる事。人は、少なくとも俺は、そうする事で自分すらもまた微笑ませる事ができるのだ。言葉にならないほどの清々しさで。
 演奏そのものは不安定で、反省すべき点も多く見られた。そこは大いに精進しよう。しかし、今回のコンサートで得られた実感は何物にも代え難い価値がある。音楽に本気で取り組んで、本気で音にした。音楽を届ける相手のことを本気で考えて、本気で伝えた。結果はいつでもちゃんとついてくる。それが分かった。理解した。さあ次は何をしようか。
 最後の曲が終わって、観客への一礼を終えた友人達とふと顔を見合わせた時の、あのくすぐったいような笑顔を忘れはしない。あの瞬間のために俺はこれからも努力し続けよう。
■2007/1/27 「見えなくなっても」
 溜息はつかないように。一歩一歩。時折、両手をぐっと握り締めて。空を見上げたり、地面を睨みつけたり。振り返りたい欲求は抑えて。悲しい事を思い出さないように。楽しかった事はなおさら思い出さないように。言葉にならないうめきが漏れ出さないように。空白に塗り潰されないように。適度に、適度に。何も分からなくならないように。熱っぽい頭を冷やしながら。言葉は慎重に選んで。いっそ、何も喋らないで。

 通話終了ボタンを押して、しばらく。携帯電話を握り締めたまま、暖かい冬の昼下がりにぼんやりと飲み込まれていた。来るべき時が来たような。でもやはり、そんな風には割り切れないような。耳の奥に残る嗚咽交じりの報告が頭蓋の一番深い所を抉り続けては、奇妙な静寂の中で反響し続けていた。こんな天気の良い、なんでもない週末に死を選んだ人がいて、それを空白の中で人づてに聞く自分がいて、夏の暑い日に仲のよい友人達も交えて数人で海へ行ったことや、深夜に近い時間のファミレスで彼氏に寄り添いながら冗談ばかり言っていた姿や、明らかな、鮮やかな狂い方をしていった君の歪んだ笑顔が彩った徒然を思い出しては言葉を失くす。
 親友の彼女。だった人。今日からはもういない。いないんだ、永遠に。溜息はつかないように、両手を痛むくらいに握り締めて。冬の最中とは思えないほどの光に満ちた道を歩く。振り返る事無く歩く。歩いていこう。笑うことも、泣くことも今の俺には出来なくて、どうしたら適度になんてやれるのか本当に分からなくて、ただひたすら悼むだけだ。

 こんなにも暖かい冬の日向の中で言葉もなく消えていった人へ、懐かしい言葉を贈る。いいや。やっぱり言葉にはできそうもない。しょうがないから唇を噛み締めて君を見送る。受話器の向こうで何度もしゃくりあげる親友の声は震えるばかりだ。俺はその気配を覚えていよう。今日という日と、今日という日の空の青さと。今日という日の眩さを、静けさを無言の慟哭を、ずっと覚えていよう。
■2007/1/29 「Zeigarnik」
 暖房もいらないような冬だからなのかもしれない。色々なことが釈然としなくて、なんだかずっと気が重いのは。身近な人が亡くなったからかもしれない。夜の闇の中でどうにも目が冴えてしまった後、朝の目覚めが悪いのは。かつてなかったほど静かな生活をこのところ送っているからかもしれない。断続的に浮き沈みを繰り返しては、大切なはずのことがどうでもいいことのように思えてくるのは。単純に年齢のせいなのかもしれない。過度な大騒ぎや粉飾が耐えがたいほどに目に痛くやるせないのは。
 場違いな高揚も、ありきたりな予感も無い。心を浮き立たせるものはみんな轟音と共に昨日に流れていった。自分を縛るものはなんだろう。それすらも見えないなら、やはり存在っていう不可解なヤツはきっとみんな自由なんだろう。ポジティブな、もちろんネガティブな意味でさえもだ。いや、本当はそのどちらでもない。一時の過ちなんていう便利な言葉で肢体が崩れるまで踊らされた。きっとこのまま明日の夕日の下、水溜りに頭を首まで突っ込んでは凪の中で呆然とするだけなんだ。
 それでも無言の俺たちがここまで囚われているのは何のために、何の対象に? 粘つく記憶をさらう内、どうしようもなく思い出されてくる情けなさのオンパレード。うなされて、いたぶられて、食い千切られて針でつかれ焼かれ溶かされて益々無表情になっていく俺たちの薄弱な感性よ。ツァイガルニク。全く酷い冗談だとは思わないか?
 贅肉をこそぎ落として。数学で言うところのΦになって。どこにも集まれない声を空集合させて。生臭い匂いのするとんでもなく胡乱げな暖冬の腸の中でもう少しだけシンプルになりたい。鈍る五感を引きずってこのままとつとつと呼吸し続けなきゃならないなんてとんでもない話だ。年齢のせいにしつつ、一方で暴力的に喪失しつつ、通り過ぎた嬉しいことばかりを思い出そうとしている時のこの荒い呼吸音だけを拠り所にする。やがて、痛む全身を鞭打って歩き続けた先で、青空の下から永遠にいなくなった人の悲しい歌を思い出す。

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