『Friend』


一眠りしよう。そう思っていたところだった。
「開けろ〜」
聞きなれた声が、寝巻きに着替えようと衣装ダンスに伸ばしかけた手を一瞬止めた。
しばし考えて、幻聴だ、と思うことにした。
「お〜い」
ノックの音と無粋な声は止まなかった。
ことさら無視を決め込む。
モニターには明後日に締め切りの迫った原稿が表示されている。
一瞥してから、保存してPCの電源を落とす。
着ていたシャツを脱いで、
パジャマ代わりのTシャツに袖を通した所で強行突破された。
「あら、ヌードショウ?」
「いいからさっさとドアを閉めろ」
施錠していなかった自分の油断に舌打ちしながら闖入者に向かって答える。
肩をすくめるまねをしながら後ろ手に1Kのきしむドアを閉めた彼女は、
それが当然といった顔で部屋に入ってくると、
体のラインが綺麗に出るスーツから伸びる足を組んで、
普段僕が座っている安物の椅子に腰掛けた。
Tシャツの上からまた薄手のシャツを着なおして、僕は彼女に向き合う。
「帰れ」
「久しぶりだね」
「一昨日来ただろう」
最早何を言っても無駄なのは分かりきっているが、
それでも何か言ってやらなければ気がすまないのは、
彼女の笑顔があまりに屈託の無い物だからだろうか。
「さて、呑もう」
「話を聞く気は皆無ということだな」
「今日は奮発したよ」
僕の質問に行動で必要十二分に答えてみせた彼女は、
小脇に抱えた日本酒の一升瓶を叩いてにやにやした。
銘柄を見ると、なるほど、いい酒だった。
ため息をついて、顔をそらす。
「そうか。嬉しいか」
知らず顔がにやけていたらしい。
振り向くと勝ち誇ったような彼女の顔が目の前にあった。
お前、それは反則だろう、と言いかけてやめた。
黙って二人分の猪口を戸棚から取り出す。
冷蔵庫を開いてみると、食べかけのキムチと、
今日コンビニで買った安っぽい蛸わさびがあった。
用意がいい、と言えるのだろうか。
「お、いいねえ」
僕の肩越しに覗き込んだ彼女の楽しそうな声が、
現在の時刻が午前二時半だということを忘れさせた。
殴るふりをした僕からわざとらしく逃げると、
彼女はツマミを持った僕の後に続いて意気揚々と小さなテーブルについた。
「早く! 夜は短いの」
「分かったから首を絞めるな」
いつもこんな感じで流されてしまう。
風情が無いから嫌だ、と言っているのに猪口で乾杯を強要される。
それもいつものこと。
「ところで聞いてよ」
酒が回って来たあたりで始まるヨタ話。
これもいつものこと。
彼女はいつもこうやって夜に訪れた。
そして脈絡も無く一晩中話に付き合わせた後、
空が白む頃に寝て、昼過ぎに勝手に起き出して帰る、
そんな美しく秩序だったパターンで統一されていた。
友達。
くるくると回る頼りない夜の時間の中で、
この狭い部屋の中にある一つの美しさ。
いつもの光景。
いつもと違ったのは、その日初めて彼女の涙を見たことだっただろうか。
様子が違うことに気がついたのは、
不覚にも彼女が僕の隣に席を移してからだった。
「おい」
向かい合って朝まで下らない話を続けるのが常だった。
初めてのことに僕はいささか戸惑った。
「ねえ」
それまでの声音からは一転した、感情の無い声だった。
「どうした」
それっきり黙ってしまった彼女の顔を覗き込んで初めて、
僕は彼女がきつく唇を引き結んでいることに気付いた。
数瞬の空白。
やがて顔を上げた彼女の笑顔はとても綺麗だった。
「私と寝たくない?」
「寝たくない」
「でも、寝てくれるんだよね」
「ああ」
ありがとう、と、動いたはずの唇を、僕はふさいだ。

目覚めると昼前の光がカーテンの隙間から頼りなく漏れていて、
探るまでも無く隣に彼女の気配が無いことも明白で。
枕元に置いたままの煙草を取って火をつけた。
部屋に一条差し込む柔らかな光が、
昨日呑み残した酒と、胸の内に淀み残る理不尽な感情を揺らしていた。

それっきり、彼女が訪ねて来ることも無くなった。

とか言えば、少しは格好も付いたんだろうけど。
それからも変わらず、彼女は夜に僕を訪ねて来る。
僕はあの日のことを聞かないまま、いつも通りの不機嫌な顔で彼女を迎える。
変わらない日常。
僕は今、友情とかそんな物の意味を見失ったまま、
彼女がまたあのきしむドアを叩くのをぼんやりと待っている。





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