『いつか、どこかで・・・』



月が綺麗だからお月見をしましょう、なんて、
日付も変わりそうな頃に突拍子も無い提案をする。
僕は呆れてぼんやり煙草を吹かす。
冗談かと思っていたけれど、
暖かい紅茶をポットに入れている君は真剣そのものだった。
てきぱきとしたその後ろ姿はどこかコミカルで、
僕は昔見た白黒のチャップリンなんかを思い出していたんだ。
気がつくと、あっという間に変身して見せた君は、
まだそんな格好をしているの、と文句を言いながら、
無理やり僕を立たせてマフラーを巻きつけ、外套を羽織らせた。
待ってよ。まだ靴を履いてない。腕を引っ張らないで。

晩秋の夜の空気は常に囁いていると僕は思う。
もしかしたらそれは歌なのかもしれないね。
小さな子守唄。
街路を渡る風が静かに木々と戯れている。
もう落とす葉も無いから後は眠る準備をするだけなのかもしれない。

道は次第に寂しくなっていった。
そこで僕は、君がどこへ向かおうとしているのかやっと分かった。
君の左手が僕の右手を捕らえていた。
前、後ろ、前、後ろ。
つながった手は慎ましく二人の間を揺れる。
不意を付いて少しタイミングをずらしてみると、
君はいたずらっぽい目で笑って蹴りをくれた。
それでも道は次第に寂しくなっていった。

昔、昔々、そう言いたくなるほど遠い過去。
幼い頃に通り慣れていたはずの田舎道の狭さに驚きながら、
僕たちはやがて小高い丘に登る道に入る。
背の低い木が林立する小さな森を抜ければ、
僕たちが出会い、遊び、喧嘩し、約束し、
それが全て壊れて泣きじゃくったあの場所だ。

見渡す限り何も無い、その丘の頂上に着いたのは、
君のマンションを出てどのくらい経った頃だったのかな。

永遠なんて信じてない。それは幼い頃からずっと変わらない。
でもこの場所は変わらない。
三人で再会を約束した、あの場所のままだ。
適当な場所に二人で並んで腰を下ろした。
ポットからお茶を注ぐ。
魔法瓶から出るそれがまだ熱さを保っている事に興奮するのは、
きっと幾つになっても変わらないだろうと思う。
そういえば君は昔、その事に酷く感心していて、
僕も内心ではうきうきしていたけど、それを隠してからかってみたね。
いつか二人、無言で月を見上げてみた。
視界をカップから出る湯気が時折通り過ぎた。
三人が二人になってもあの月の透明さは何も変わらなかった。
そしてその事が僕たちを優しい気持ちにさせた。

『約束、覚えてる?』

だから君が不意にそう聞いたとき、
僕はあまりの悲しみに胸が張り裂けそうになった。

覚えてるよ。もちろん。忘れたことなんてない。
三人でここに来たかったねえ。
そうだね。

それからまた君は黙って空にぼんやり浮かぶ月を見ていた。
月はあまりに煌々と照っていて周りに星が見えないくらいだった。
寂しいね、と君が言う。
そうだね、と僕が答える。
何が寂しいのかは聞かなかった。

紅茶をもう一杯ずつ入れて僕たちは月を眺め続けた。
失われた約束は本当にもう失われているんだ、と、
晩秋の風がしんみりと語っていた。
柔らかい香気がゆったりと流されていく。
そんな静かな時間の中で、それは本当に静謐な時間で、
どこからかずっと歌が聞こえているような気がした。

約束、もう一回しようか。
だけど僕がこう言ったのは決して思いつきなんかじゃない。
君はちょっと躊躇した後で目を伏せて一言、うん、と言った。
あの時のように、僕たちは立ち上がって腕を組んだ。
僕の左側に君。
右側の腕にあるはずのもう一人の君の温もりがない事は、
やっぱり僕を深く傷つけたけど、
とにかく僕たちはそうやって月を見上げた。

『いつか、どこかで・・・』
例えみんながいつか離れ離れになっても、
そしてお互いの居場所も分からなくなってしまっても、
僕たちはいつか、どこかで出会う。
絶対に出会う。
失われた約束を、僕たちはまたここで誓おう。
そして祈り続けよう。
永遠に壊れてしまった願いがいつか君に届く事を。
『いつか』という言葉は、
決して先の見えない漠然とした未来の為にあるのではなくて、
今、この瞬間の為にあるのだと言う事を僕たちは信じよう。

どのくらい時間が過ぎてしまったのか僕には分からない。
君はゆっくりと腕を解くと、「帰ろ?」と笑った。





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