『僕は恋をしたことがない』   10000HITキリ番リクエスト作品

 錆の浮いた細長い鋏は、しかしまだその鋭さを失っていなかった。生まれて初めて感じた柔らかな感触は、突き刺した腕をそろりと這い上がってきた。力を入れてひねれば、それでオシマイ。さようなら。後は幕を引くだけだ。さあ、スポットライトの準備はできたかい? それじゃあカーテンコールの始まり始まり。赤黒く染まった両手とか、冷たくなっていく頬とか、だらしなく口を開けたまま事切れた妹の小さな乳房だとか。舞台転換は迅速さが肝要だ。照明が溜息をついている間に何も無かったことにしてしまうんだよ。舞台挨拶の原稿はどこにやったっけ。あれが無いとびっくりするぐらい何にも話せないんだからさ。それにアスピリンを用意しておいてくれないかな。さっきからなんだか酷い頭痛がするんだ。替えの下着も持って来てくれるととても助かるよ。股の所がドロドロして、変に暖かくてとても気持ち悪いんだ。んん? そうそう、そうやってね、しっかりとロープの端っこを握っていておくれよ。それじゃ、飛ぶからね。ばいばい。

 僕が妹と初めて関係をもったのは、1997年の12月22日午前1時16分の今にも雪が降りそうな湿った夜のことで、僕は15歳、妹は11歳だった。別にとんでもなく素敵なイベントが二人の間にあったわけではなくて、単純に僕が眠っていた妹をレイプしただけだ。そして僕達の関係が終わったのは2005年の2月22日午後7時45分のこと。僕は23歳、妹は享年20歳だった。その8年とちょっとの間に彼女は2回堕胎し、3回手首を切り、1回行方不明になり、1回僕を殺そうとした。同時に僕はその8年間で2回妹を妊娠させ、1回妹を殺そうとし、また、数え切れないほど彼女を抱いた。僕達の間にあったものは性で、生だった。そしてその事を幸福な両親はついぞ知る事が無かった。きっと、これからも知ることは無いだろう。だって、今そこに二人とも血まみれになって転がっているからね。そろそろ死後硬直が始まると思う。
 可愛い妹。僕は彼女が泣きながら僕のを口に含んでいるのを見るのが大好きだった。彼女は僕の命。僕の贄。僕の葡萄酒。僕の自虐。僕の優越感、自己愛、矛盾、衝動、懐疑、妄執、羨望、愛情、解脱、懇望、怠堕、船首、比翼、錯綜、有機、量子、諦観、夏影、穎悟、金剛、譫妄。妹は僕が地に頭を擦り付けるようにしながら彼女の足の指を一本一本丹念にしゃぶるのを見るのが大好きだった。妹の躯には何一つ無駄なものが無くて、透き通るような色をしたふくらはぎに耳を当てると、いつも扇情的な儚い鼓動の音が痙攣にも似た反射運動と共に僕へと届いた。暖かい色をしたベッドの禄にしがみつくようにして僕に圧し掛かられる妹はいつしか澄んだ笑みを浮かべるようになって、僕はそんな妹に全身で愛を捧げ、僕の精一杯を注いだ。鰐の歯が抜けても抜けても何度でも生え変わるのは知ってる? 妹の美しさもまさにそれだった。僕は彼女が一番綺麗な時に優しく首を絞めてあげようと思っていたのに、そしてその柔らかな乳房を噛み締めてあげようと思っていたのに、妹はとどまることを知らないように美しく繊細なガラス細工のように脆く美しくなって行ったんだ。

 どうしてこんな事をしたかって聞くのかい? それじゃあ、君にはこう答えよう。それは、君のせいだよ。なぜか? それを説明して分るようならきっと、君はこの世界を嘘偽り無く愛してくれただろうね。そして妹がそうしたように僕に笑いかけてくれただろう。でも君は今、嫌悪感でいっぱいだね? そしてどうにかしてこの事情を否定してやろうと考えているはずだ。もしかしたら笑ってさえいるかもしれない。いや、もしかしたら嗤っているのかもしれない。どちらにせよ、僕が君に言える言葉は唯一つだけだよ。僕は、君の、中に、いる。そして、いま、君の、肩口から、このモニターを、覗き込んでいる。君は、この世界に、愛されている。おめでとう! おめでとう、本当におめでとう。最高の気持ちで呪いの辞を君に捧げよう。吐瀉物塗れで捧げよう。それじゃ、もう少し待っててくれるかな。この汚い死体を片付けたら、今度は君の所へ行くからさ。そこで動かないでいてね? この世界の刃を君に届けるから。好きだとか嫌いだとかを一生懸命に話そうとする夢見がちでおめでたい君にさ。どこまで行っても他人面し続けられると思い込んでいる君にさ。言ったろ? こんなことの全ての原因は君にあると。

 1894年のある風の強い日、オットー・リリエンタールは初めて自身の翼で空を駆けた。彼は布の翼を持っていたんだ。山や、丘の面に沿って吹き上げる風を利用して飛び上がることを考えついた彼は、その日、空を飛ぶ実験を決行した。大勢の民衆を前にして。民衆達にはリリエンタールの実験を応援する者、またはバカにした者なんかもいただろうね。リリエンタールは向かい風の強い瞬間をねらって丘から走った。そして彼の翼は上手く風にのり、空中をまるで鳥のように飛んでみせた。ついにリリエンタールは鳥になったんだ。今まで這いずり回る場所でしかなかった地上を空中から見下ろした。それはどれほど充実していて、美しくて、馬鹿げた気持ちだっただろうね。
 僕は今、妹と僕がお気に入りの場所だった渓谷を繋ぐ大きな橋の上にいる。ここは深い谷間から一年中強く風が吹き上げてきていて、それはまるで飢えた獣がごうごうと唸っているみたいで、遥か眼下に煙る清水の流れがとっても綺麗で、でも残念だけど、僕の背中にはリリエンタールが持っていたような翼は無い。付近を見回してみたけれども、お客さんも一人もいないみたいだ。でも、がっかりはしないと思う。僕の背中には愛する妹がいるからね。あれほど愛し合った妹がいるからね。ロープの端っこを彼女の腰にしっかりと巻きつけて、もう片方を僕の腰に。強く引っ張っても二人に結ばれた頑丈なロープは外れなかった。これで一安心だ。

可愛らしい妹に一つキスをして、僕は欄干を乗り越え、一息に飛び上がった。刹那の浮遊感と、まっ逆さまに落ちていく自由さを感じた。ふらふらと隣を落ちていく妹を引き寄せて、ぎゅっと抱きしめた。僕は恋をしたことがない。なぜなら恋を知る前に愛を知っていたから。僕は恋をしたことがない。なぜなら、この気持ちは恋なんていう言葉じゃ到底表現しうるものじゃないから。そんな安っぽい幻想は、あまりに美しい彼女の死相にあまりに不釣合いだ。僕は恋をしたことがない。恋なんて、したことが無いから。僕は、美しすぎる妹を抱きしめて、泣く。最後まで、最後まで。

---- ん?

あれ? 君はまだそんなところにいたんだね。そっか。僕達の様を最後まで見守ってくれていたんだ? でもね、幕はもう降りたよ。どうして君はまだそんな場所にいるの? ここは、君がいるべき世界じゃないのに。そう、この世界は、お前なんかにそうやって笑いながら眺められるようなお粗末な物じゃないんだよ。分かる? 消えてくれないかな。お前の顔を見ていると吐き気がするんだ。これだけ言ってもまだ聞いてくれないんだね。そっか。それじゃ、えぐりに行くよ。今すぐ、えぐりに行くよ。錆の浮いた鋏だってちゃんと生きているんだからね。ちゃんと君の中に喰らいつくよ。まるで、恋をしているみたいにさ。自分の欲望を一方的に吐き出すためだけに、まさしく、恋みたいにさ。

さようなら。



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